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47.ひとりぼっちの帰還


――カイル、カイル!


白い空間で、ぐるぐると目がまわる。




「――聖女様!」


揺り起こすような声に、

重たい瞼を開く。


視界いっぱいに飛び込んできたのは、

昏く淡い水色の瞳だった。


白銀の長い髪が、

はらりとわたしの頬に落ちる。


「……サシャ……」


かすれた声で名前を呼ぶと、

彼は肩から息を吐いた。


転移広間だった。


白い石壁も、巨大な柱も、

つい先ほどまでいた辺境の神殿とはまるで違う――見慣れた大神殿の中だ。


石造りの広間には、

サシャとわたしだけで、

痛いほど静まり返っていた。


何人もの神官が数日かけて、

丹念に描いた移動魔法陣が

役目を終えて消えてゆく。


周囲には魔力を使った後特有の、

冷気が漂っていた。


でも、それ以上に、

神殿の奥から流れてくる空気が、

ひどく重苦しく、どことなく生臭い。


いつもなら、

絶えないはずの神官たちの足音も、

祈りの歌声も、

すべてが根こそぎ奪われたような、

不自然な静寂。


「予定より遅かったので、

本当に心配しました。

ご無事で、何よりです」


疲れの滲む顔で、サシャはそう言った。


その言葉を聞いて、

胸に溜め込んでいたものが溢れ出した。


「わたし……

カイルを、置いてきた!」

声が震える。


「グレンも……騎士たちも、

灰色の村の人たちも……

神殿が襲われたのよ!

身を守るすべのない神官たちも……」


胸の苦しさに言葉が途切れる。


「わたしのせいで襲われてるのに、

わたしを守ろうとしてくれた人たちを、

みんな……!」


座り込んだまま、石の床を叩く。

乾いた音が、やけに大きく響いた。


「……落ち着いてください、

聖女様」

サシャはすぐにわたしの手を押さえる。

「だから……やめてください。

血が出ています」


見下ろすと、

拳を打ちつけた手の甲が擦り切れ、

赤く滲んでいた。


「向こうには、すでに援軍が到着しています」


「でも……!」

顔を上げる。


「聖女は死なないし、

傷もすぐ治る……なのに、

傷つくかもしれない人達を置いてきたわ!」


カイルが心配で気が狂いそうだった。


震える声で訴えると、

サシャは少しだけ表情を和らげた。


「少なくとも、カイル様は大丈夫です」


握られた手からは、

サシャの白い魔力が流れ込んでくる。


「伴侶の印は、危機に陥った際、

『聖女の加護』を自動的に発動します」


淡々と、しかし確信をもって告げる。

「加護の範囲内にいる者は、

命を落とすことは絶対にありません」


「……それ、本当なの?」


「ええ。

わたし自身で試しましたから」


一瞬、

彼の唇の端に浮かんだのは、

昏い悦びを孕んだ微笑みだった。


そうだ、

反聖女派にかかわる粛清があったのだった――


「サシャは、

怪我したりしてない?」

思わず、サシャの胸に手を添える。


「どこも、怪我などしてません」

けぶるような瞳が、

なぜか少し嬉しそうに見える。


わたしは小さくため息をついた。


「……わかったわ」


彼が誰に対して、試したのか。

それを問う余裕もないまま、

わたしは、呟いて視線を落とした。


「力がなければ、戦えない……」


顔を上げて、サシャを見る。


「だから、あなたはいつも……

なにも教えてくれないのね。

わたしが弱いから」


「……違います」


サシャは、きっぱりと否定した。


「私たちは、ただ……

貴方をお守りしたいだけです」


聖女の傷は、自分の魔法で自然と癒える。


それでもサシャは、わたしの傷ついた手に、

丁寧に治癒魔法をかけ始めた。


抱き寄せられたように、サシャの身体が近い。


サシャの袖口の赤黒い小さな飛沫に目が止まる。


いつもの清廉な香油の匂いに混じって、

ふと、鼻腔を突く違和感があった。

何かが、焦げたような臭い。


「神殿内の反聖女派は……どうなったの?」

自然と声が低くなった。


彼の手が止まる。

「カイル様が言ってしまったのですね」

サシャの声は静かだ。


「裏切り者への粛清は、

すでに終わっています」


――大神殿の中で粛清が……

言葉が出ない。


「神殿そのものが腐っていたわけではありません。

外と通じていた一部を処分しただけです」


視線を伏せたまま、

袖口の赤黒い飛沫を隠すように腕を引いた。


「聖女様には、知られたくなかった」


「……どうして?」


「生死に関わることは、貴方の心を傷つけてしまう」

淡々とした声。

「聖女様を遠ざけ、

知らせなかった理由は……それだけです」


胸が、きゅっと締めつけられる。


「視察は……」

唇を噛む。

「わたしを、王都から遠ざけるための格好の口実だったのね」


「……はい」

サシャは否定しなかった。


「襲撃も……想定内でした。

ただ、その前に対処できるはずだった」

わずかに眉を下げる。

「怖い思いをさせてしまいましたね」


「アスラン兄様やミゲルも、

無事よね?」


少しだけ、

水色の瞳が揺れた気がした。

「……そちらには、

反聖女派の襲撃は、

ありませんでした」


「みんな、

わたしに過保護すぎるわ」


子供の頃から、

公爵令嬢を狙った襲撃を受けたことはある。

たいていは、騎士が来る前に、

音もなくギグが対処してきた。


ただ、

聖女のわたし自身のせいで起こることには、

どうしても、心がついていかない。


――知らないところで、

もっと、もっと、

多くの血が流れている。


「過保護でも、

そうしたいんですよ」

サシャの顔は涼やかだ。


カイルは言っていた。

『サシャがきれいにした』と……


わたしが視察という名目で遠ざけられていた間に、

サシャはこの聖域を、

たちまち裁きの場へと変えていたのだ。


そう思うと、息が詰まった。

目をぎゅっと閉じて深呼吸する。


「お話の前に、少しお休みになってください。

旅の汚れを落とさないといけませんね……

客室を用意してあります」


わたしについた汚れは、

サシャの純白の衣を汚して、

血の跡を目立たなくさせていた。


そして――


影の中に、

ギグが戻ってきていた。



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