44.勇者との邂逅
突然、
――カタ、カタ……。
天井が、わずかに音を立てて震えはじめた。
次の瞬間、
大地が、唸り声をあげる。
「……っ!」
足元が大きく揺れ、
聖堂の柱が軋む。
剥がれ落ちる、
漆喰と瓦礫の粉塵。
さっきまで静かに捧げられていた祈りの声は、
一瞬にして逃げ惑う人々の絶叫へと変わり、
堂内に渦巻いた。
(まずい……!)
この揺れが本格的になれば、
奇跡的に耐えていたこの聖堂も、
今度は崩れるかもしれない。
(なぜ、こんなタイミングで……
まさか竜脈が、
わたしの聖女の魔法に反応したの?)
「聖女様……助けて、
助けてください!」
ベルの従姉妹のカノンが、
わたしに向かって懇願する。
どうしよう……
わたしのせいかもしれない。
このままでは、
救おうとした彼女も、
他の人々も、みんなこの瓦礫の下敷きになってしまう。
人々は、
女神に、聖女に、
救いを求める。
わたしは、人を癒せても、
この揺れを止める力は無い。
また、自分の無力を突きつけられる。
(誰か、誰か、
この揺れを止めて!
お願い!
わたしが救ったこの人たちを助けて!
――女神様っ!)
突如として、
大気をびりびりと震わせる奇妙な波動が、
押し寄せる波のように伝わってきた。
(これはなに……?)
大きな揺れが止まった。
感じる。
確かに感じる。
大地の底から噴き上がる
暴力的で理不尽な力を、
必死でねじ伏せようとしている
圧倒的な存在が、
どこかにいる――
(もし、わたしが本当に
『光の聖女』なら……
この揺れを止めようとしているのは――)
魂が、
強く惹かれた。
考えるより早く、
――わたしは波動の源へと飛んでいた。
荒野。
ひび割れた大地の中央に、
巨大な力を放つ影が立っていた。
――人?
人の形をしている。
でも――
放っている力が異質すぎる。
周囲の空気をも焦がすような、
紅蓮の魔力が、
まるで巨大な火柱となって、
天を衝いている。
次の瞬間、
それが人間だと理解した。
燃えるような赤毛の大男が、
大地に一本の大剣を深く突き立て、
歯を食いしばって、
絶叫していた。
「……ぐあああぁっ!」
男が持つ剣から溢れ出す凄まじい力が、
荒れ狂う竜脈の奔流を、
力ずくで押さえ込んでいる。
(……すごい!)
人の身で、竜脈と拮抗するなんて――
太い腕の筋肉が、
引き千切れんばかりに盛り上がる。
飛び散る汗が夕日にきらめき、
踏ん張る両足は、
大地の奥深くまで食い込んでいた。
(魔剣だ!
この人、
魔剣で竜脈を止めている……!)
光の聖女が引き寄せられる存在。
そうだ、この男が――
(……勇者)
けれど、男の持つ魔剣の聖力が、
急速に底を突きかけているのが分かった。
迷いはなかった。
魔剣の柄を握りしめる男の無骨で大きな手に、
透明な自分の手を、
叩きつけるようにして重ね合わせた。
瞬間――
わたしの身体に
『格納』されていた聖力が、
堰を切ったように一気に
魔剣に吸い上げられていく。
――そうだ。
聖女は、
魔剣に力を与えるためにいる。
潤沢な聖力を得た魔剣が、
まばゆい輝きを放った。
その光の刃は、
地の底へとさらに深く、
容赦なく突き進んでいく。
わたしには、視える。
光は、
渦巻く濁流のような竜脈を、
正面から貫いた。
ゴウゥ、と不気味な唸りをあげていた竜脈が、
水が凍りつくように、
急速に勢いを失い静まり返る。
……止まった。
魂だけのわたしは、
魔剣を手にした男のすぐ目の前にいた。
「……聖女か!」
大きく肩で息をしながら、
赤毛の男が吐き捨てるように言った。
夕日に燃える紅い髪。
左目の下、頬に小さなほくろ。
人間の男に間違いない。
琥珀色の瞳が冷徹に、
まっすぐわたしを射抜いていた。
「お前は……なぜ泣いている?
無垢な美しさだけがお前の武器なのか?
この程度のことで、なぜ嘆くのだ?」
(……この程度?)
頭に血が上り、
顔がかっと熱くなる。
あの町がどれほど破壊され、
人々がどれほど怯え、
傷ついたか。
(あの町の惨状を、
この程度だなんて言えるの?)
魂だけのわたしは、
赤毛の男を睨みつけた。
「こんなことは、
あらゆる場所で起きている」
(だからこそ!
こんな悲劇を止めるために、
女神様は、
聖女を創ったのよ!)
男は、鼻で笑った。
「止める? 笑わせるな。
すべて、女神が仕組んで
始めたことなのに?」
その声は、
刃のように冷たく、
容赦なくわたしの心を抉った。
(勇者だって……
あなただって、
女神の創造物でしょ)
勇者はせせら笑う。
「なにも知らない愚かな女よ。
お前は、所詮――
元凶の手先に過ぎない」
わたしは動揺した。
だけど、
わたしは一歩も引かなかった。
(……それでも、
わたしの聖力が、
あなたの役に立ったのは
事実だわ)
魂のまま、
わたしは真正面から睨み返した。
「……ちっ。女神の犬め」
勇者は舌打ちして、
唾を吐き捨てる。
そして、
乾いた地面に深く刺さった大剣を
力まかせに引き抜いた。
刹那、
刃から溢れ出した光があたりを包む。
これが魔剣……
なんて恐ろしく、美しいの!
そう、
聖女はこの剣に、
真の力を与えるためにいる。
【聖女が来た!
ワタシは、ここだ!】
頭の中に、
不意に、
高音の女性の声が直接響き渡った。
どこか狂気を孕んだその声は、
明らかに――
わたしの力を求めている。
どくん、と胸が高鳴った。
「黙れ!」
男は短く叫ぶと――
魔剣をわたしの頭上に
振り下ろした。
――パァン!!
ガラスが砕け散るような
強烈な衝撃。
視界が白く弾け、
世界が激しく反転した。




