41.落ちた雛
その夜、
灯りを落とした部屋は、
雨上がりの冷たい空気をまだ少し残していた。
遠くで梟が鳴いている。
「……女神が創った八つの世界。
八って、女神の数字ね」
自分の声が思ったよりも弱く、
夜に溶けていく。
八つの祝福。八つの予言。
女神にまつわる伝説は、数えきれないほどある。
そして――聖女に、八人の伴侶。
「フェリの夫は四人だし、
今そばにいるのは、俺だけだよ」
カイルは、いつものように笑って、
背後からわたしを抱きしめた。
腕の中は温かくて、鼓動がすぐ近くにある。
「……そんな世界を創った女神様が、
わたしを聖女にしたの?」
言葉にした途端、不安が胸いっぱいに広がる。
「こんな……ちっぽけなわたしを、本当に?」
カイルを振り返る。
彼の腕に、ぎゅっと力がこもった。
アスランとは違う緑の瞳――
だけど、
遠い記憶が、ふいに蘇る。
「――子供の頃ね……
樹の下に、鳥の雛が落ちていたの。
巣に戻しても、また落ちていて……
その時、
アスラン兄様が言ったの――
『小さくて弱い雛は、親鳥が巣から落とすんだよ』って」
「兄貴も酷いなぁ……」
カイルの手がわたしの背中をそっとさする。
「わたし……親に捨てられる雛は、
自分だって思ったの」
声が、少し震えた。
いつも無表情なアスランが悲しげに見えたのを思い出す。
「わたし、公爵家から捨てられないように必死だった。
マーカス王子の婚約者でいること、
『役に立つ存在』でいること――
それだけが、自分の価値だと思っていたの」
わたしを見るカイルの明るい瞳が揺れていた。
「だから今も、聖女でいることに必死なの。
本当は聖女じゃなかったら?
聖女でも、役に立たなかったら、
皆を失望させてしまう……」
わたしは首を振る――
それどころか……
「世界が、滅びてしまう」
「……フェリ」
カイルは、わたしの髪に頬を寄せた。
「たとえ落ちても、
俺が、拾うから――
何度でも」
低く、静かな声。
「フェリが聖女でも、聖女じゃなくても、
俺はそばにいる」
その言葉に、すがりつきたくなる。
「……誰かが、
わたしのせいで傷つくと、
胸が張り裂けそうなの」
喉が詰まり、言葉が途切れた。
「ハロルドみたいに……
もし、カイルが怪我をしたら……」
「俺は大丈夫だ」
即答だった。
「わたし、たくさんの人に憎まれてる。
今日みたいに襲われるくらいに……
いいえ、きっと、もっと」
涙が、次々にこぼれる。
やっぱり、カイルの前では泣いてしまう。
「カイル、ごめんなさい……
わたし、なにもできてない。
弱くて、守られてるばかりで……」
「大丈夫だよ、フェリ」
カイルは、何度もそう繰り返しながら、
わたしの背を撫で続けた。
「俺が、ずっとそばにいる」
それ以上、何も言えなくなって、
わたしは声を殺して泣いた。
カイルは、わたしが泣き止むまで、
ずっと、
抱きしめ続けてくれた。
ギグの存在はやはり、
闇の中には感じられなかった。
――
翌朝、
身支度を手伝ってくれたのは、
ベルの母親だった。
手つきは慣れていて、動きに無駄がない。
部屋には二人きり――今しかないと思い、
胸に溜めていた疑問を口にした。
「……闇魔法を使う人たちは、
皆、わたしの『道』に入れるの?」
彼女は一瞬だけ手を止め、
それからゆっくりと言葉を選ぶように答えた。
「いいえ。
我々はそれぞれ、自分だけの『道』を造ります。
それは契約であり……呪いのようなものでもあります」
髪を整える指先が、再び動き出す。
「自分の『道』を持たない、
幼い子供だけが、
時折、他人の『道』に入り込んでしまうのです。
ベルは『道』を辿る力が強く、
聖女様への『道』に入り込んでしまいました」
そう言うと、
彼女はわたしの前にひざまずき、
また深く頭を下げた。
わたしは、慌てて彼女を止めた。
「ベルのこと、あまり強く叱らないでね」
この村は、神殿の庇護下にある。
『契約』の相手は、おそらく神殿。
――ギグも、同じ神殿の配下。
そう思うと、
胸の奥で点と点が静かにつながっていった。
フェリシアは子供の頃から影の中にギグがいると思い込んでいました。




