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4. 夜会当日

次兄カイル回……

夜会の時刻になっても、カイルは相変わらずのんびりしていた。


鏡の前で、わたしと揃えた赤いジャケットの襟を整えながら、

余裕たっぷりの笑みを浮かべている。


「ちょっと、夜会に遅れるわよ」


そう言うと、カイルは振り返り、意味深な笑みを返した。

「こういうのは、ゆっくりがいいんだよ。

……綺麗だな」


「なによ、いきなり」


「いや、パートナーの俺に恥かかせるなよ?」


「そっちこそ、わたしを転ばせないでよね。

"ますます惨めな捨てられ女"なんて言われるのは嫌だからね!」


「そんなわけないって、お互い、ダンスの腕は知ってるだろ?」

にやりと笑い合う。


「遅れて行く分――」

ふいに距離を詰め、低い声が耳元をくすぐる。

「身支度は、念入りにな、フェリ。しっかりと見せつけてやろう」



会場に到着し、主催者である侯爵夫妻に遅れを詫びると、

二人は咎めるどころか、

うっとりとした表情でわたしたちを見つめた。


「まあ……絵画のように綺麗……」

「今宵は、忘れられない夜になりそうですね」


意味ありげな言葉を残し、楽しむようにと送りだされる。


その直後だった。


硬いヒールの音を響かせ、

派手なドレスの女が一直線に近づいてくる。


「カイル!! その女、なんなのよぉ!?

わたしを断って、その下品なドレスの女はどこの誰っ!?」


視界いっぱいに飛び込んできたのは、

胸元が、今にも崩れそうなドレスを着た

スーザン・コット子爵令嬢だった。


下品って……それ、そっくりそのまま返したい。


「誰って? 俺の大事なお姫様だよ」


カイルはにやりと笑い、わたしの肩を引き寄せる。


「……ちょっと!」


我が兄ながら、なんてキザなの!


わたしの手を取って、優雅に口づけまで落としてくる。

たらしめ……。

内心で毒づきながら、表情だけはにこやかに保つ。


「ご機嫌よう、スーザン」


「……え?」


スーザンの目が見開かれ、怒りが驚愕に変わる。


「ま、まさか……フェリシア!?」


「わたしが一生『地味ないい子ちゃんドレス』

しか着ないと思ってた?」


言葉を失い、呆然と立ち尽くすスーザン。


「フェリシア嬢、今宵は一段とお美しい!」


即席のパートナーらしい子爵令息の……(名前は思い出せない)が、

ふらふらと、わたしに近づこうとした瞬間――


カイルが一歩前に出て、それを遮った。


「俺のお姫様に、気安く近寄らないでもらえるかな」


「え……ただ、ご挨拶を……」


「聞こえないの?」


低く落とした声に、令息は青ざめて後ずさり、

そのまま逃げるように去っていった。


わたしは、そっとカイルの耳元に囁いた。

「カイル兄様って、女の子の趣味が悪いわよね」


「後腐れ無い女の子と遊んでただけだよ」

カイルは自嘲気味に笑う。


「スーザンって、マーカス殿下にもアタックしてたってよ」


急に、ぎくりと慌てたような目の色になる。

「スーザンは本当に、ただの友達だよ」


そして、熱を帯びた瞳でわたしを見る。

「俺には子豚の姫がいるからね」


「また子豚って言ってるし!」

なぜか少しだけ頬が熱くなる。


さすがカイル、

思わせぶりに女の子の心を揺らすのが上手い。

たとえ、それが義妹でも。



わたし達が、ホールへ一歩踏み込むと――

まるで潮が引くように、人々が左右へ割れていく。


スローテンポの曲が終わり、空気が張り詰める。


次に来る曲を誰もが知っていた。


ざわめきが消え、ホールは静寂に包まれる。


そして――



「ホールのすべての音楽は我らのもの!


手にもつま先にも音楽の精霊が宿る!


我らは音楽の僕――さあ、いくぞ、みんな!」



カイルの時間が始まる合図。

甘く張りのある声が、高らかに響き渡った。


次の瞬間――歓声が爆発した。

軽快で激しい音楽が流れ出し、人々は一斉に踊り始める。


「行くよ、フェリ!」


「分かってる!」


久しぶりに戻ってきた、

黒い疾風カイルと、熱狂の白い妖精フェリの舞台。


歩調を合わせて踏み出し、回転し、


わたしは、高く、高く、宙へ抱き上げられる。


驚く令嬢達の悲鳴すら、歓声に変わる。


わたし達の速いステップを真似しようとして転ぶ人も、

皆、笑っている。


カイルの赤の混じる緑の魅了魔法が、

無意識に広がって行き、ホールを包んでいた。


怒り狂っていたはずのスーザンでさえ、

いつの間にか同じ輪の中で踊っている。


「なぁんだ、わたしが手伝わなくても、

良かったじゃないの。念願叶ったね」

にやにや笑いながらわたしを見るスーザン。


「まあな…」

なぜか、スーザンの言葉に赤くなるカイル。


老いも若きも、身分も思惑も忘れ、

ただ今この瞬間を楽しむ。


世界が、踊っていた。


その中心で、わたしは、


誰にも縛られず、誰にも遠慮せず――


ただ、自由に、笑っていた。



――だからこそ。


それは、本当に突然だった。


がたがたっ。


床が揺れ、グラスが跳ね、シャンデリアが大きく振れる。


悲鳴。

人々はしゃがみ込み、短く、大きく建物を揺らした。

揺れはすぐに収まった。けれど、熱狂は一瞬で消えた。


その瞬間――

わたしは、無意識にカイルの手を離していた。


「あ――」


ヒールが滑り、体が前に流れる。


転ぶ――

そう思った刹那。


「……フェリ、大丈夫かい?」

低く静かな声。確かな腕が、わたしを抱き留める。


顔を上げると――

一瞬でわたしの心をさらってゆく

エメラルドグリーンの瞳がわたしに降ってきた。


「アスラン、兄様!」


漆黒の衣装のアスランは会場を見渡し、凛と告げる。


「皆さん、落ち着いてください。

ここは女神に守られた王都です。

この程度で、動揺する必要はありません」


ざわめきが、ゆっくりと静まっていく。


わたしの手を取ったまま、アスランが言う。


「さぁ――踊りを、続けましょう」


逆らえない力を帯びた声音。

彼が放つ圧倒的な「圧」に、会場の動揺が

魔法のように霧散していく。


……どうして、アスラン兄様がここに?

今夜来るなんて、聞いていない。


「踊るよ、フェリ」


見下ろす瞳は、感情を映さない。

いつも通りの、緑の迷宮。


「兄貴……どうしてここに?」

カイルも戸惑いを隠せていない。


「フェリを独占は、できない。それだけのことさ」

感情の揺れのない声。


アスランは躊躇なく、わたしの腰を引き寄せた。

カイルの熱い手とは違う、凍えるほどに冷たい指先。


音楽が、再び流れ出す。


けれど、先ほどまでの自由なステップではない。

一分の狂いもない、完璧で、冷徹な旋律に支配される。


「こんなドレスで、フェリは誰の心を狩る気なの?」

耳元で囁く声は、甘い毒のように脳に回る。


「カイルには、刺激が強すぎるようだね」


カイルの刺すような視線を背中に感じだけれど、

わたしはただ、操られる人形のように

足を進めることしかできない。


ああ、このドレスで、

アスラン兄様の心を囚えられたらいいのに――。


影の中でギグの気配が、まるで見えない敵を威嚇するように、

鋭く逆立ったように感じた。

お兄ちゃんに持ってかれました……


スーザンは、ほんとうにただの友達です。

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