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3.秘密の護衛ギグとフェリのドレス

自室のベッドに横たわり、小さなランプが揺れる薄明かりのもと、

わたしは今日の出来事をギグと話していた。


ギグは闇に溶け込むような黒装束の長身で、

短い灰色の髪と鋭い灰の瞳だけがランプの光を反射している。


年は多分、二十代半ばくらいだ。

闇魔法でいつもわたしの影の中にいて、

わたしを守ってくれる――秘密の護衛だ。


危険はもちろん、淑女の最大の敵である、

貞操の危機まで救ってくれるし、愚痴も聞いてくれる。


ギグがいるから、ひとりで馬を駆るなんて無茶もできる。


「あのボンクラ王子のせいで、あなたはずっと無理をしてきたでしょう」

ギグがやさしく言う。


「そう、ずっと無理して、努力してきたつもりだったわ。ばかみたいよね。

わたし、誰にも望まれていなかったなんて……」


「期待されるのは不自由なことです。やっと自由になりましたね」


姿を見せないときも、常に影の中に彼の気配がある。

今は、わたしの一部のような存在だ。


ギグがはっきり姿を現したのは、

マーカス王子と婚約したばかりの十歳の時だ。


義父は威厳のある公爵様で近寄りがたく、

おっとりとした実母は元々わたしにあまり関心がなかった。


毎日一緒だった兄たちは、わたしが王子と婚約すると、

あからさまに距離を置かれた。


公爵家で大事にされていても、わたしはひとりぼっちで、

ギグだけが、小さなわたしの味方だった。


だから――一度だけ聞いたことがある。


「ギグは……わたしのこと、好き?」


ほんの少しだけ期待してしまった。

子供の頃のわたしは、家族に愛されている実感が無かった。


だから、

誰かからその言葉が欲しくて仕方なかった。

けれどギグは、微笑んだまま言う。


「あなたのためなら、命を捨てるのも惜しくはありませんよ」


『好き』とは言ってくれなかった。

わたしは子供だったけど、それが任務の言葉だとわかったから、

その時、心に小さな穴がぽっかりと空いた。


そう、これはギグの仕事。

ギグは……誰に命じられて、わたしを守っているんだろう?


鮮やかに敵を制圧する、高度に訓練された身のこなし。


王子を軽く侮辱できる時点で、

少なくとも王室ではない。


公爵家の皆にも秘密だから違う。

――ギグの存在は二人だけの秘密だ。


この疑問はいつも喉まで出るのに、

問いただす勇気がなかった。


聞いてしまうと、ギグを失いそうで……

ギグの笑顔は、悪夢で見る黒い霧の中に消えていきそうな、

そんな儚さがあった。


「わたし……自由なのかな?」


「自由ですよ。十八歳の、自由な女の子です」


ギグはわたしが弱っていると、近くの椅子に腰かけて、

眠るまで手を握っていてくれる。

武器を扱う手なのに、不思議なほど優しい。


「この家で好きなことをして過ごせばいいんです」


わたしが固くなった手のひらをなぞると、

彼はいつもくすぐったそうに目を細める。


「わたし、したいことがいっぱいあるわ。

乗馬、ダンス、ピクニック、ショッピングにおしゃべり。

そして……たくさん笑うこと」


ギグに触れていると、日々の小さな傷が少しだけ癒える気がした。


マーカス王子に合わせて生活するのも、

王妃の冷たい態度も、

浮気相手の伯爵令嬢との噂を告げる、

周囲の好奇に満ちた視線も、

ヒソヒソ話も、

真綿でゆっくり首をしめるようにわたしを苦しめた。


そっと握られた手から、ギグの温もりが伝わる。


風も止んで、窓からは微かに雨の匂いの名残りがする。

今日のアスラン兄様の匂いを思い出す。


「自由を謳歌してください。……たとえ、それがほんの僅かな間だけでも……」

眠りに落ちる直前、ギグの震える声が聞こえた気がした。


けれど、わたしはそれを確かめる前に、眠りに落ちていた。



――



「よしっ!片っ端から夜会に出てやる!!」

暗闇の中、ギグにしか聞こえていないだろうけど、

わたしはひとり宣言した。


わたしは、乗馬だけじゃない。ダンスも得意だ。


アスランとカイルは王国随一のダンスの名手で、

わたしはそんな兄たちのパートナーを務めてきた。


けれど、わたしが巷で『熱狂の夜の白い妖精』

などと呼ばれていると知ると、


「お前は、そんなに他の男の手を握りたいのか?!」

婚約者のマーカス王子が怒り、夜会で踊ることは許されなくなった。


婚約期間のことを思い出すとまだ怒りと悔しさが蘇る。


――でも、破談になった今は違う。

わたしはもう、誰にも縛られていない。


押し殺していた感情が、シャンパンみたいに弾けた。



カイルはアカデミーが休みに入り、暇を持て余しているせいか、

最近やたらとわたしにまとわりつく。


「なに笑ってるのよ?降臨祭用に配布された絵本がそんなに面白い?」


カウチに寝そべり、聖女伝説の本を開いたまま、

だらだらとページをめくっている。


「御伽噺の本が?まさか!」

カイルは本を放り投げ、聖女と勇者の挿絵がぐにゃりと曲がった。


「いや、嬉しくて。あんな愚かで冴えない男と親戚にならずに済んで、

良かったと思ってさ。」


「まだ言ってるの?わたしはマーカス殿下が家族になって、

嫌がるカイル兄様の顔が見られなくて残念だわ!」


そう言いながら本を拾い、挿絵に目を落とす。

(こんなに人、描かれていたっけ?)



「カイル兄様、暇でしょ。行くわよ!」


ヘラヘラ笑う次兄の腕を、

有無を言わせず、引いて立たせる。


「え、ちょ、ちょっとフェリ?! いきなり、なに?」


いつもなら公爵家専属のテーラーを呼ぶところだけど――


「最先端のドレスデザイナーのアトリエに行くの!」


馬車の窓の外には、華やかな王都の街並みが流れていく。

夜でも灯りは絶えない。


最先端のドレスデザイナーのアトリエは、

宝石箱をひっくり返したみたいに眩しかった。


シャンデリアの光を受け、色とりどりのドレスが壁一面に並んでいる。


その場に居合わせた令嬢たちが、カイルを見てざわめいた。

(どこまで顔が知られてるのよ、このたらし)


カイルが興味深そうに口笛を吹く。


「フェリ、もしかして俺と衣装揃える気?」


「当たり前でしょ。次の夜会、わたしのパートナーはカイル兄様なんだから!」


婚約者がいたわたしを、これまで誰も誘うことはできなかった。


――そして今も、突然“自由”になった元王子の婚約者の

公爵令嬢を誘うほどの強者は、いないらしい。


アスラン兄様は公務で忙しい。

だから残るのは――この軽薄な兄しかいない。


今も女性たちに手を振られ、笑いながら振り返している。


「子豚は色気もかわいげもないからなぁ。

お前のパートナーは俺しかいないってわけだ」


カイルは昔から、なぜかわたしを子豚と呼ぶ。


「かわいくなくて悪かったわね!」


「フェリはさ、俺に夜会のパートナーがいないと思ってんの?」


「えっ?いたの?」

カイルはアカデミーでも指折りの女たらしだ。いないわけないか。


「いや、もういないよ」

カイルはあからさまに口角を上げた。

「全部断るからな。フェリには――俺しかいないから、しかたない!」


「はいはい、かわいい妹のために空けておいてよ!

好きに恩を着せていいから」


唇をとがらせる。

カイルは他の女には優しいくせに、わたしにはいつも意地悪だ。



デザイナーが、わたしを鏡の前へと導いた。


「どんなイメージがお好みですか?

今なら、まだ、20年ぶりの『聖女降臨祭』用の白いドレスを、

お嬢様のために特別なデザインで、ご用意できますよ」


「良いね。未婚の貴族女性は全員参加だからな。

結婚し損ねたフェリもだ。俺が選んでやろうか?」


確かに、白のドレスは作らなくてはいけないけど、

今日の目的は違う。


「聖女のための純白のドレス?そんな清楚で慎ましいのは、もうたくさん!」


「お?」カイルが目を瞬かせる。


「そうね、強さと自由を感じるドレスがいいわ!」


そして――デザイナーがわたしに持ってきたのは。

『夜会の主役が着るため』のドレス”だった。


深紅のドレスは、腰のラインはくっきりと、

背中は夜会の視線という視線をさらうほど大胆に。


わたしの白銀の髪と紫水晶の瞳を、艶かしく引き立ててくれる。


「意外とこんなのも、似合うと思わない?」


「……フェリ?」

ドレスをまとったわたしを見た瞬間、しばらく口を開けたまま固まり、

急に慌て出した。


「待て待て待て、待て!!そんなドレスを未婚の娘が着たら、

男たちからどんな目で見られるか……」


「ふふん。そんな風に見られないようにいる、

パートナーが、カイル兄様でしょ!」


カイルの緑の瞳の奥に、わずかに赤い色がほとばしる。


「そうだな、俺がパートナーだ!

……よし、俺も合わせて狩猟服決めるか!」


(なんで狩りになってるのよ?)


久しぶりに、誰にも遠慮しないで踊れる夜会。

カイルと、思いきり、全力で。

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