5.兄達との日々
不吉な大地の揺れは、その後も何度か起こった。
けれど、王都に大きな被害は出なかった。
この王国は女神への信仰が厚く、神殿の力は強く、
そして国政も安定している。
そうした“安心”が、人々の不安を薄く包み込んでいた。
「被災した避難民がこんなところまで来ているんだな……」
大神殿へ向かう馬車の中、向かいに座るカイルが不意につぶやいた。
神殿の施しに列をなす人々を見て、珍しく視線を落とす。
カイルは、領地戦の際にお父様に同行している。一年前のことだ。
小競り合いとはいえ、戦闘も地方での生活も経験している。
わたしには想像もつかないことばかりだ。
「カイル兄様は騎士にはならないのよね?」
「あぁ、向かないからな。
俺は、いつかはのんびり王都の郊外で暮らしたいな。
乗馬して、ダンスして……
ちょっと生意気で綺麗な女と結婚して……
うるさい子豚みたいな子供に囲まれて……」
ぶつぶつ呟きながら、ちらちらと、こちらを見るカイルと目が合う。
「ん?なに?子豚?」
「残念だな、フェリには生意気しか当てはまらないからな!」
急に視線を外し、窓の外を見るカイル。
後ろ頭にふたつ、つむじが見える。
何言ってるのよと、わたしは吹き出す。
大神殿での二十年に一度の聖女の降臨祭が近い。
未婚の18歳の娘は聖女を模して白いドレスを着て参加する。
結婚し損ねた、わたしもだ。
珍しく義父にしっかり準備するように言われ、
事前に大神殿に祈りを捧げにきた。
公爵家は女神の熱心な信者で、神殿に多額の寄付をしている。
神官の案内がつき、特別な祈祷堂に通されるが、
「こんなもんでいいんじゃね?」
カイルがかなり適当に祈りを済ませわたしの手を引く。
神官の集団と出入り口ですれ違う。
真っ白な気配。
あれ?わたしと同じ白銀の髪?
若い神官だ。
さらりと髪が揺れ、その人と目が合った気がしたけど、
一瞬のことで、カイルに手を引かれてその場から去った。
「どうした?フェリ。疲れた?」
「ううん、大丈夫。」
わたしは、
なぜか、足元が崩れるような不安に襲われカイルの腕を強く掴んだ。
王都は今日も変わらぬ顔で夜会を開き、
人々は笑い、踊り、恋に浮かれた。
まるで、世界のどこにも、亀裂など入っていないかのように。
王子に婚約破棄された――
『哀れな公爵令嬢』になったはずのわたしは、
いつの間にか、再び『夜会の薔薇』に返り咲いていた。
兄達が、そばにいたからだ。
面と向かって蔑まれることもなく、
すべて兄達が静かにブロックする。
わたしは煩わされることなく、
ただ、好きなように笑っていられた。
だけど、『王子と破談になった貴族令嬢』のわたしは、
この先どうなるのだろう。
十八歳の女性。――決して、若すぎる年でもない。
わたしは“公爵令嬢”だけれど、
公爵家とは血が繋がっていない。
実の父は、わたしが生まれる前に、戦場で亡くなった。
父の面影は、小さな肖像画の中にしか存在しない。
五歳のとき。母は、公爵と再婚して、
母の連れ子として公爵家に入った。
わたしには同時に――二人の兄ができた。
わたしより三つ年上の、アスラン。
一つ年上の、カイル。
濡羽色の髪のまぶしいほど美しい義理の兄達は、
平凡なわたしを、よくからかい、弄んだ。
それでも――わたしは、兄達が大好きだった。
わたしの世界には、
兄達しか、いなかったから。
――けれど。
わたしが十歳のとき、マーカス王子との婚約が決まると、
すべてが変わってしまった。
兄達は、わたしに触れなくなり、
一緒に遊ぶことも、ふざけ合うことも――なくなった。
まるで、わたしが“別の世界の人間”になってしまったみたいに。
それから八年も経って、
まさか婚約者に捨てられるなんてね……
「流石に、求婚は無いわね」
お誘いの手紙をパラパラと見ながら、わたしはため息をついた。
王家との結婚が、式直前で破談したばかりの公爵令嬢。
なぜか、マーカス王子は、
熱愛中の伯爵令嬢アンナとの結婚話に進展は無く……
わたしとまだ復縁の可能性がある
――なんて、迷惑な噂もあって、
結婚市場でわたしは全然人気が無かった。
しかも、今は、はち切れたお転婆ぶり。
「ははっ、求婚が無いって?」
本を読みながらカウチに横になっていたカイルが突然笑いだした。
アカデミーの新学期が始まるまで、よっぽど暇なようだ。
乗馬や夜会や外出などの遊びに付き合ってくれて助かるが、
家にいる間もわたしにべったりだ。
「妹の不幸がそんなにおかしいの?」
猫みたいな動きで近寄り、
ふくれてそっぽを向くわたしの肩に顔を乗せ、ささやく。
「相手がいないなら、フェリは俺と結婚したらいいじゃん」
顔が近い。からかう時のカイルのいつもの軽口だ。
「兄妹で?こんなに憎まれ口言い合ってるのに?
それにカイルにはいつも複数の恋人がいるじゃない。
浮気症の夫なんて嫌だわ」
「浮気症だって?心外だな!」
「ガキの頃フェリ、傷だらけだったろ?
兄貴と男だけの兄弟だったから、力の加減ができなくてさ」
「確かに、そうだったわね」
わたしを後ろから抱きしめる。
コロンの香りが鼻をくすぐる。今は女たらしの腕だ。
「親父に『女の子のあつかい方がわかってない』
って言われたから、いろんな女の子と付き合って……」
カイルは言いながら、わたしを椅子ごと持ち上げくるりと回し、
自分の方に向かせる。
「そして今、熟練に達した俺がいる!安心して胸に飛び込んで来い!」
カイルの冗談に吹き出した。
「はぁ?なんと、それでカイルお兄様はヤリチンになったと??」
「レディがなんてこと言うんだ!?そんな言葉どこで覚えるんだよ。
まったく、フェリ相手だと調子狂うなぁ」
ちょっと言い過ぎたかな。
カイルは顔が真っ赤になって、口をとがらす。
この兄と話してると悩むのが馬鹿馬鹿しくなった。
カイルも跡継ぎのアスランでさえ、まだ婚約していない。
父様は政略に、子どもの結婚を使う気がないのかもしれない。
両親は、破談したわたしに何かしろとは言わなかった。
わたしは、ギグに言ったように、
ショッピング、ダンス、乗馬と、自由に好きなことをしまくった。
ぶつぶつ言いながらも、
暇なカイルがそれによくつきあってくれていた。
アスランは
公爵領の管理を任されていて、留守にすることが多かったけど、
ある晴れた日に、少し遠出をして、ふたりで海を見に行った。
「カイル兄さんは、出かけてるわよ?」
突然の誘いに戸惑うわたしに、
「あいつは、女のところに行ってる。
今日はカイルがいないから誘ったんだよ。」
何事もないようなアスランのいつもの口調。
「たまには二人でもいいわよね…」
アスラン兄様とふたりきり!
揺れる馬車よりもわたしの心の方が跳ねまくっていた。
アスランは相変わらずそっけなくて、
でもわたしは気が遠くなりそうなくらい嬉しくて、
ドキドキしっぱなしだった。
アスランの瞳と同じエメラルドグリーンの海は
息を呑むほど美しくて……
このまま時間が止まるならなんでもするのに。
普段祈らないわたしが、心から女神様に願った。
アスラン兄様のそばにいられるなら、なんでも……
口にして出せば、わたしは妹じゃなくなる。
公爵家にいられなくなる。
だからわたしは、ただ、
風に吹かれるその横顔を見つめるしかできない。
春の海の風に脱げたわたしの帽子を手に取る、
アスランの骨ばった優しい手。
被せる時の体温。
伏せた黒いまつ毛から覗く海と同じ色の瞳。
陽が傾き、
夕陽を背景にするアスランの黒い影も
フェリと呼ぶ声も、
わたしの忘れられない、
大切な、大切な、思い出になった。
わたしは、
生まれてはじめての自由に、有頂天だった。
いつもわたしの影の中にいるギグも、
一緒に笑ってくれている気がしていた。
行き遅れになるかもって、ちょっとの不安があるだけで、
わたしは自由を謳歌して、希望に満ち溢れていた。
そう、あの日までは。
フェリシア もうすぐ19歳
長男 アスラン 22歳 公爵領の管理をしてます
次男 カイル 20歳 学生です




