38.襲撃
峠道に差しかかるころ、空気が一段と薄く、
冷たくなった。
山肌はむき出しの岩が増え、
馬の蹄が小石を弾く音がやけに大きく響く。
「……やはり、馬ではここまでのようです」
グレンの低い声が、霧の立ちこめる峠道に沈んだ。
馬の蹄が何度も滑り、
これ以上進めば転倒は避けられない。
「大丈夫よ。歩くわ」
わたしはそう言って、
不器用に差し出された彼の大きな手を笑いながら押し戻した。
抱きかかえて歩くなんて――
昨夜の冗談を、グレンは本気にしたらしい。
そんなタイミングで、
ぱらり、と頬に冷たいものが落ちる。
見上げると、
灰色の雲が山の稜線に絡みつくように広がり、
小雨が降り始めていた。
サシャが用意してくれた、
上質で薄手のマントをカイルが着せてくれる。
しかも、
サシャの白い防御魔法が丁寧に重ねがけされている。
布地には、微かに彼の香油と
魔法の痕跡が残っていた。
(まるで、
サシャに優しく背中を押されたようだわ……)
カイルも、
わたしにフードを被せながら、
サシャの香りを感じ取ったみたいだ。
確かめるように顔を近づけ、
わたしの髪に鼻先が触れる。
「やっぱり、
サシャの魔法か……ぬかりないなぁ」
いない相手に向けるその声が、
どこか拗ねていておかしい。
わたしは安心させるように彼の手を取って、
一緒に歩き出した。
谷状に落ち込んだ場所へ差しかかった、
――その瞬間だった。
前を行く護衛の一人が、
弾かれるように倒れた。
「弓矢での襲撃だ!」
鋭い声と同時に、
矢が岩肌に突き刺さる音が連なる。
「伏せろ!」
反射的に岩陰へ転がり込む。
高所からだ。
雨に紛れて射っている――
「待ち伏せされたな……」
カイルが、歯噛みするように呟く。
ついた膝に冷たい泥水が染みていく。
(大丈夫、きっと、
近くに神殿の護衛がいるはず)
――手が震える。
グレンが即座に判断した。
「聖女様、こちらへ。茂みの中を抜けます」
「待って、この人は……!」
倒れている若い騎士に視線を向けた。
昨日、
神殿で静かに祈りを捧げていた――
ハロルド。
「彼は、脚を射抜かれました。
置いていきます」
――胸が詰まった。
「聖女様、わたしなら大丈夫です!
早く行ってください」
ハロルドは必死に笑おうとしていた。
わたしは咄嗟に、
羽織っていたマントを外し、彼にかけた。
「必ず、必ず、生き残って……!」
気休めでもいい。
サシャの魔法が、少しでも守りになるなら。
「フェリ、早く!」
カイルに引かれ、
胸元まで伸びた草の中へ押し込まれる。
「ギグ! この人を守って!」
急いで影に向かって叫んだ。
届いたかどうかも分からない。
少しの間でも、
ギグと離れる……
不安を打ち消すようにわたしは唇をかんだ。
獣道のような横道へ入った途端に、
「聖女様、失礼します」
長い腕に引き寄せられ、
身体が宙に浮く。
今度こそ本当に、グレンに抱え上げられた。
岩を跳び、ぬかるみを越え、走る。
力強い脚が地面を蹴り、
下り坂で速度が一気に上がる。
グレンの肩越しに後ろを見ると、
護衛二人とカイルは、
賊と交戦していた。
弓を射た者たちのほかにも、
襲撃者がいた――敵の数が多い。
そんな……
わたしだけ、逃げるなんて。
その思いが胸を締めつける。
他方から二人の賊が追いついてきた。
グレンはわたしを抱えたまま、
剣を振るう。
一閃。
賊の身体が弾き飛ばされ、
血が霧の中へ散る。
同時に、
別の賊がわたしの髪を掴んだ。
「――っ!」
反射的に剣が突き出され、
敵は倒れたが――
グレンの体勢が崩れる。
(落ちる――)
抱えられたまま、
転げ落ちる覚悟をした
――瞬間
冷たい霧のようなものが全身を包んだ。
少し、グレンの体が浮いた。
わたしたちは、
転げ落ちずにとどまった。
闇魔法だ!
咄嗟に感じた。
ギグが使うものと同じ。
「なっ……」
グレンの腕に、力がこもるのがわかった。
警戒が、肌越しに伝わってきた。
気づけば、
灰色の服を着た人たちが、
音もなく、すぐ近くにいた。
数人は交戦中のカイル達の方に走ってゆく。
「グレン、大丈夫よ。この人たちは味方」
グレンの胸に手をおく。
この人たちは、灰色の髪、灰色の瞳。
闇魔法の使い手――ギグと同じだ。
「あなたたち、
神殿が手配した助け手なのね」
ひとりが静かにひざまずいた。
「はい。
サシャ様より指示を受けています。
聖女様、お怪我はありませんか?」
霧の向こうで、戦いの音が遠ざかっていった。
峠の風が、再び冷たく吹き抜ける。
それでも、
わたしを抱きしめるグレンの腕は、
少しも緩まなかった。




