33.視察の準備
視察の参加者たちは、
出発の数日前から湖畔の別荘に集まり始めた。
初めてこの別荘を訪れたカイルは、
持ち前の社交性で、
あっという間に皆の輪の中心にいた。
護衛にも、使用人にも、気さくに声をかけ、
気づけば誰もが彼の名を呼んでいる。
「いつの間に、こんなに仲良くなったの?」
半ば呆れて言うと、カイルは子どもの頃のような顔で笑った。
「俺は子豚よりお利口だし、早起きだからね」
そう言って、軽くわたしの鼻を摘む。
まるでここが、
最初から自分の居場所だったかのように振る舞っている。
自由気ままに現れては去っていくミゲルとは、
また違う種類の存在感だ。
――本当の『別荘の主人はわたし』なのにだ!
王宮の通路で、
カイルを乱暴に抑え込んだ騎士、
グレン・ハート。
その件についても、
カイルはきちんと謝罪を受け入れ、
二人は不思議なほどすぐに打ち解けた。
並んで話す姿を見て、
胸のつかえがようやく消える。
幼い頃、
我儘でヤンチャだったカイル兄様は、
わたしが思っていたよりずっと大人になっていた。
今回の視察は、六人だけだ。
わたしとカイル、それにグレン、
そして彼が選んだ屈強な腹心三人。
早馬による高速移動になる。
打ち合わせには、
サシャも加わり地図を見ながら念入りに確認をする。
旅程は神殿側の情報網によって、
大枠はほぼ決められている。
皆への説明は、神官であるサシャの役目だ。
地図をなぞるサシャの指先は、
相変わらず人形のように整って綺麗だ。
その指も、淡い色の唇も、
確かに熱を持つことを――わたしはもう知っている。
伴侶になったからといって、
サシャが劇的に変わったわけではなくて――
二人きりの時は甘やかな空気になっても、
一緒に過ごす時間は決して多くない。
わたしは聖女のくせに、神殿を嫌っていた。
やっぱり憎んでしまっているのかもしれない。
自分でもよくわからない――
大神官である実の父にも、
できれば会いたくなかった。
最低限の祭事と謁見しか神殿に足を運んでいない。
そんなわたしの我儘のせいで、
神官であるサシャが忙しく、
無理をしているんじゃないか?
――そんな考えがよぎる。
「まだ調査中ですが……」
打ち合わせの終盤、
サシャが静かに言葉を足した。
「竜脈を、意図的に封じている者がいます」
六人の視線が、一斉にサシャに集まる。
「暗黒竜を目覚めさせるエネルギーが、
竜脈を伝って北へ流れてるんだろ?」
カイルが地図を覗き込みながら言う。
「それを削いでるなら、敵じゃないってことか?」
「正体は不明です。
多数ある竜脈の一つを塞いだところで、
影響は微々たるものですが……」
サシャの澄んだアルトの声が、
静かな部屋に響いた。
「それでも、すごい力ね……」
思わず、感嘆がこぼれる。
竜脈を止めるなんて――
どんな力を使っているのだろう?
「人ならざる力を持つ存在であることは、確かです」
「じゃあ、わざわざ活動が活発な場所に行くってことは……」
カイルが視線を上げる。
「そいつと鉢合わせる可能性もあるな」
「味方とは限りません」
サシャは淡々と続けた。
「暗黒竜復活の兆し、聖女の降臨。
世界が動く時、多くの思惑が絡みます。
――聖女様、どうかお気をつけを」
その言葉に、場の空気が引き締まるのを感じた。
⸻
打ち合わせの後、カイルの部屋で話をした。
別荘の二階の窓は、
わたしの部屋より少しだけ遠くが見える。
バルコニーの窓を閉めながら、カイルが振り返る。
「聖女の一番の弱点は、攫われることだ」
珍しく、カイルが真剣な顔をしている。
「カイル兄様に攫われたみたいに?」
冗談めかして返す。
聖女は死なない。
聖女の癒しの力は、魔力が無くても
自分自身を自動的に治療する。
それに、わたしのそばにはいつも影の護衛――
呼べば現れるギグがいる。
「騎士のグレンはガタイもいいし、近寄りがたい」
カイルは続ける。
「無闇に人を近づけない、いい抑止力になる」
カイルは、わたしに近づいてくる。
「カイル兄様だと、女の子が寄ってきちゃうものね」
わざと軽く言うと、
「まぁね」
そう言って、わたしの額を指ではじいた。
「お前もな」
「痛っ」
痛いふりをするのは、いつものお約束だ。
「兄貴も、グレンがいた方が安心するってさ」
アスランの話題に、思わず顔を上げると、
「忘れてた?
兄貴とは、俺も仲のいい兄弟なんだよ」
カイルは少しだけ視線を落とした。
わたしは、うまく笑えなかった。
「フェリはさ……」
カイルが静かに続ける。
「兄貴と、どうなりたいの?」
視線が揺れる。
アスラン兄様との未来。
それは、一番考えたくて、
一番考えられない。
限りなく絶望に近い……持ってはいけない希望だ。
「正直、聞くのは怖い」
カイルは苦笑した。
「フェリが兄貴を特別に思ってるのは、昔から知ってるから」
「どうって……」
言葉を探す。
「聖女のわたしに、選択肢なんて、ある?」
「でも、もしさ――」
その先を聞きたくなくて、
わたしはカイルの言葉を遮るように唇を重ねた。
自然とキスが深くなる。
望みのない仮定の話なんて、
今は聞けなかった。
『光の聖女は
氷壁から現れる暗黒竜を
勇者たちと共に討ち
氷壁の守護として
その身を捧げる――』
わたしの命は、
そこまでなのかもしれない。
伴侶たちがその先どうなるかも、
わからない。
全ては、
五百年前の曖昧な記録の中に埋もれてしまっている。
聖女伝説に巻き込まれたわたしにも、
伴侶たちにも――
もう、自分で選べる未来なんて、
残されていないのだから。




