30.遠乗り
サシャが伴侶になって、最初の晴れた朝、
カイルと遠乗りに行くことにした。
公爵家の広大な敷地内を、二人で馬を走らせる。
視界いっぱいに広がる緑と、遠くに連なる丘は、
街中とはまるで別の世界だった。
風も穏やかで、遠乗りにはちょうどいい。
わたしが少し前にでると、急にカイルが速度を上げた。
少し先を行くカイルが、馬上で振り返った。
赤の混じる緑の瞳を細める。
「のろまだなぁ。子豚は」
「なんですって!」
そこからは競争だ。
笑いながら抜きつ抜かれつを繰り返す。
巻き上がる土と草の匂いが、肺を満たす。
途中休憩して、リンゴを齧りながら、
サシャが伴侶になったことを告げると、
カイルは木にもたれたまま、ちらりとこちらを見た。
サシャが伴侶になった翌日から、
王宮に詰めっきりになったミゲルにもまだ言っていない。
だから、カイルの反応が少し怖かった。
「まぁ、そうなるよな」
と、あっさり言う。
拍子抜けするほど、軽い反応だった。
聖女を攫おうとした自分に激怒する父をなだめ、
間に入って事を収めたサシャのことを、カイルは評価していた。
「聖女のフェリには、サシャは必要な人だから」
まるで当然のことのように言われて、
心がすっと軽くなった。
「酸っぱいな……」
カイルは食べかけのリンゴを遠くに投げる。
「行儀悪いよ」
「はははっ」また馬を駆る。
少し走ったところで馬を降り、
小高い丘にそびえている大樹の木陰に腰を下ろす。
カイルの隣から、公爵家の領地が一望できる。
遠くまで続く畑と森の境界線が、初夏の太陽に滲んでいた。
用意してきた軽食を広げながら、わたしは切りだした。
「ねぇ、サシャの話のほかに、カイル兄様にお願いがあるの」
「ん? あらたまって、どうした?」
サンドイッチを手に取るカイルは、いつも通りの調子だ。
「暗黒竜のエネルギーが通る竜脈の土地を、直に見に行きたいの」
そう口にした瞬間、
お披露目会直前の光景が、脳裏をよぎった。
――『王都さえ無事なら、辺境はどうなってもいいんでしょう!』
取り押さえられた侍女の、あの叫び。
わたしの世界は、思っていた以上に狭い……
「竜脈って、大地の揺れに関連したところだろ? いいんじゃないか」
カイルは肩をすくめる。
「聖女様の視察ってなると、大袈裟になるとは思うけどな」
「それにね、カイル兄様について来て欲しいの」
「いいよ。ついていく」
サンドイッチをかじりながら、なんともないことのように言う。
「どこにでも」
わたしは、思わず、カイルの腕に肩を寄せた。
「先月、大きな被害が出た辺境までは行けないけれど……
南西の国境近くで、大地に異変があるらしいの」
サシャと一緒に過ごす間に、計画を立てた。
候補地はいくつかあって、これから詰める予定だ。
「ふーん、面白そうだな」
言いながら、わたしの手元にあったブドウを一粒、
当然のように奪って口に放り込む。
「馬を替えながら走らせて、途中、神殿に宿泊するわ。
聖女の大行列じゃなくて、お忍びで行きたいのよ」
その言葉を聞くと、カイルはブドウを全部さらって、
わたしの膝に仰向けで頭を乗せた。
見下ろすと、緑色の瞳の奥にほとばしる赤が木漏れ日に輝いて見えた。
「反聖女派って、過激な奴らに狙われる可能性があるって、知ってる?」
寝転がったままブドウを噛み潰す。
「大地の揺れは自然現象で、
暗黒竜の復活は神殿の陰謀だ、って言う人たちね」
わたしは苦笑する。
「わたしも、それ、信じたいわよ――」
カイルが急に起き上がる。
「聖女なんて、嘘だって」
「聖女なんか、嘘だって!」
ほとんど同時に、同じ言葉が口をついた。
一瞬きょとんとしてから、
顔を見合わせて、二人で笑った。
自然に、カイルの腕がわたしを引き寄せる。
わたしが寄りかかると、
すぐに、口づけが降ってきた。
カイルの背後の空はどこまでも高く、
風が、草原をやさしく揺らしていた。




