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29.サシャの気持ち

サシャの提案に答えが出せないまま、数日が過ぎた。


陛下に呼ばれて、王宮に泊まってしまうせいで、

ミゲルからもなかなか魔力がもらえていない。



今日は朝から王宮へ出ていたミゲルが、

珍しく客を連れて別荘へ戻ってきた。


「アカデミーの友達で、アーロンだ。

シュミット侯爵家の次期当主だよ」


紹介された青年は、短く明るい茶色の髪に水色の瞳。

ふっくらと優しい輪郭に、やわらかな笑みを浮かべている。


どこか育ちの良さが滲む立ち居振る舞いは、

いかにもミゲル王子のご学友らしかった。


彼は迷いなくひざまずき、聖職者への礼をとる。

その所作があまりに自然で、わたしは一瞬、言葉を失った。



挨拶を終え、部屋へ戻ろうとすると、

ミゲルが後をついてくる。


「あれ? お友達はいいの?」


「アーロンはサシャに会いに来たからね」


「侯爵家の後継が……神官に?」


ミゲルは、わたしの表情を面白そうに眺めてから、

さらりと言った。


「兄弟だからね。サシャはシュミット侯爵家の長男だよ。

神職に就いたから、今は次男のアーロンが後継者になってる」


「……え?」


思考が一拍遅れる。ざわりと鳥肌がたつ。


貴族の子弟が神官になるのは良くある。


だけど、長男が神官になるなんて……


「あっ!」


(まただ! わたしのせい?)


サシャとわたしは従兄妹だと言った。


思い当たって血の気がひいた。


「どぉ? 僕の情報も役に立った?」


太陽に照らされた金の髪を揺らし、

王子だった頃と変わらない軽やかな笑み。


動揺するわたしに、ミゲルはご褒美のキスをねだった。


――


話がしたい、と伝えていたのに。

その日の夕食に、サシャは姿を見せなかった。


「ギグ、サシャはどこ?」


暗闇に向かって、囁くように呼びかける。


「あなたも……

サシャの素性を知っていたのよね?」


アッシュグレイの短い髪、

黒く身体に沿う衣服、細く長い四肢。


影から浮き上がるように現れたギグは、無表情だった。


「サシャ様とは、聖女様に仕えるために、

神殿で育ったという意味では仲間です」


淡々とした声。


「俺は用途が違うので、

一緒に過ごしたことはありませんが――」


用途――

わたしは唇を噛んだ。


ギグが当たり前みたいに、自分を物のように言うのが、

どうしようもなく悲しかった。


――


月明かりの下、サシャを探しにバルコニーから外に出た。


隣の部屋の窓にはミゲルがいて、

わたしを見つけて微かに笑い、軽く手を振る。


(ずっと外を見ていたのかしら?)



不自然に足元にできた、

ひときわ黒い影のギグがわたしを先導する。


湿った草を踏みしめる。

耳に届くのは初夏の虫の声。


生温かい風に混じる若草と名も知らぬ花の香りの中を進む。



サシャは――

湖畔の周囲に広がる森の奥にいた。


そこは、真っ白な花が一面に咲き、

白い夜の小さな蝶が舞っていた。


黒く静かな湖の向こうに、銀の満月が浮かんでいる。


その光を浴びたサシャは、

まるで、

白い幽霊のようにも、

神殿に立つ女神像のようにも見えた。



「サシャ……」


名前を呼ぶと、彼はゆっくりと振り返った。


「わたしのために、

犠牲になっている人がいるなら教えてって……言ったわよね」



「ええ。

だから、犠牲など無いと申し上げました」


「……ですが」


月明かりの下で、サシャの瞳が揺れた。


「なぜ、私を夫にしてくださらないのですか?」



「あなたは……アンナと同じよ」


言葉を選びながら、続ける。


「神殿に命じられて、犠牲になる。

神官が聖女の伴侶になるなんて……

純潔を失えば、もう聖職には戻れない」



「私は」


サシャは、夜気を吸い込むように息をついた。


「侯爵家の長男として生まれました。

他の人より、少しだけ強い魔力を持っていた……それだけです」


月が、彼の白銀の髪と白い衣を、銀色に照らす。


「四歳の春の日――

神殿で、生まれたばかりの貴方にお会いしました」


「小さな、象牙細工のような手で……

貴方は、私の手を握られた。

その日、

この方に仕えるのだと言われ、

家族から離されました」


風が吹き、白い花びらと長い髪が静かに舞う。


「魔力量が多く、

貴方の従兄弟である私に、

白羽の矢が立った。

私は、神官になるためではなく――」


サシャが、静かに目を伏せる。



「聖女の伴侶となるために、

育てられたのです」


夜の空気が、ひんやりと沈む。


「そんな……幼い頃から……」


いたたまれない気持ちになって、思わず一歩後ずさる。

踏みしめた白い花が、かすかに揺れる。



「だから……最初から、

神殿に私の居場所はありませんでした」


「サシャ……」



「ひとり、過ごした夜も、

すべて『いつか貴方と歩むため』だと、

自分に言い聞かせてきました」



わたしは首を振った。


「そんなふうに……全然、

見えなかった……だから……」


わたしは、

胸元をぎゅっと押さえた。


冷たい夜気のはずなのに、

呼吸だけが、うまくできない。



「そう育てられたのです」


微かな笑み。


「聖女に仕える人形のように。

自分の心を、隠してきました」



「貴方に逢うまでは……」



そうだ、『聖女に一生を捧げる』と、

最初からサシャは言っていたのに……


わたしは見ないふりをしていた。


神殿の手先だと、

心で言い訳して。



「アンナにかけた情けを――

私には、施してくださらないのですか?」



その瞬間、

サシャの身体から、仄白い魔力が静かに溢れはじめた。



わたしは息を呑む。


白い光が、花々の上を波のように滑っていく。



「貴方を慕った年月も、想いも――

誰にも、負けません」



抑えた声が、

わたしの心をたたいた。


――人形なんかじゃない。


目の前のサシャは、

生身の心で、わたしを見つめていた。



わたしの指先が、震える。


触れたいのに、

触れてしまえば、何かが変わってしまう気がした。



月の光が……

女神が住まうという月が、

銀色にわたしたちを照らす。



「本当に、わたしなんかが、

救いになるの?」


声がかすれて、

最後の言葉は、吐息みたいに零れた。



わたしは、ずっと自分のことばかりで――


サシャの気持ちを、

知ろうともしなかった。



「こんな、欠片みたいな心で、

本当にいいの?」



足元の白い花をかきわけ、

そっとサシャに手を伸ばす。


そう、わたしを支える彼の手はいつも男性のものだった。



「ほんの僅かでも、

私だけのものになれば……それだけで」


サシャの声がふるえる。



最初に、

わたしの手を取った人。


拒んだりなんかできない――



白い蝶が舞う。


胸の中の鎖がほどけていく。


わたしはサシャに向かって踏み出す。


彼の手がわたしを強く引き寄せた。



「サシャ……」


サシャの女神のペンダントが、

シャラリと音をたてる。


胸が、早鐘のように鳴っている。



「聖女の伴侶として――わたしのそばにいて」



「私の運命は、常に貴方と共に」



サシャの青白い笑顔、頬を伝う涙――


うねる、

大きな波のような魔力が、

わたしの中に流れ込んできた。



それは激しく――


わたしの身体に馴染んでいった。










重めの回、読んでくださってありがとうございます。


やっと、サシャが……!

書いてて息切れしました。

ふー

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