21.誓い
通路から控え室へ戻ると、待っていたのはサシャひとりだった。
室内は整然としていて、『聖女が王宮から消えた』なんて、騒ぎにはなっていなかった。
それだけで肩の荷が少し軽くなる。
微かに、
闇に溶けるような気配が背後を撫でた。
――ギグ……
ギグは、いつだってわたしのすべてを見ている。
彼は神殿から遣わされたはずだから、サシャと通じていても不思議ではない。
「聖女様。お怪我はありませんね」
サシャの声は落ち着いていた。
すでにギグから何かしらの報告を受けているのかもしれない。
そうだ、わたしが逃げられるわけないのだ。
「ええ、大丈夫よ」
そう答えてから、一度、呼吸を整える。
「カイル兄様と……ミゲル殿下を、聖女の夫に加えるわ」
サシャの眉が、わずかに動いた。
けれど、すぐにいつもの人形の顔に戻っていく。
「二人を儀式に加える準備をして。
時間がないのは承知しているけれど、念入りに、お願い」
「承知いたしました」
深く一礼しながら、サシャが続ける。
「光の聖女様。
新たな伴侶をお迎えすること、それはとても、善きことでございます」
「……そういう儀礼はいらないわ、サシャ」
わたしは首を横に振った。
「以前言っていた、魔法の使い方を教えて。
兄たちの魅了魔法を幻影魔法に乗せて、
場を掌握したいの」
サシャは少し思案するように目を伏せ、それから頷いた。
「良いお考えです。
ご兄弟お二人の力なら、魅了の効果も強く、
安定して広がるでしょう。
カイル様を伴侶に迎えられたのは、
非常に良いタイミングでしたね」
「ええ」
視線を逸らして答える。
「お披露目では、
王族のミゲル殿下が後回しになるけど……
その点は、了承済みよ」
その頃にはもう、
カイルとミゲル王子の姿はなかった。
侍女たちに囲まれ、
儀式に間に合うよう完璧に整えられているはずだ。
先ほどの騒動を起こした侍女に代わり、
別の侍女が静かに髪を整えてくれている。
手つきは慎重で、どこか張りつめていた。
――その時。
部屋の隅に立ち、
護衛として待機している男に自然に目が留まった。
まだいたのね……
「騎士グレン・ハート」
名を呼ぶと、即座に背筋が伸びる。
「こちらへ」
髪を結われながらわたしは鏡の自分を見つめたまま、
ぞんざいに片手を騎士に差し出した。
「あなたを、聖女の騎士にするわ。
聖女への……わたしだけへの忠誠を誓いなさい」
逃げ場のない命令だ。
聖女の名で口にしている以上、拒否は出来ない。
この大柄な騎士が傍にいれば、周囲への威嚇になる。
今のわたしには、それが必要だった。
それに、ミゲル王子の命令とはいえ、
通路で、カイルを痛めつけ、
わたしを怖がらせた彼への、腹いせにもなった。
グレンは一瞬も躊躇わず、床に剣を置いた。
膝をつき、わたしの差し出した手を慎重に取る。
「聖女様。光栄にございます」
低く、確かな声。
「蒼天落ちる時も、荒れる大地に飲み込まれる時も、
騎士として、
貴女様への忠誠、揺るがぬことを誓います」
雑に差し出した手に、
あまりにも真っ当な誓約に、少し、心が揺れた。
「頼りにしているわ、グレン」
「この命、聖女様に捧げます」
大きな身体に不釣り合いな、
あどけなさの残る顔は、
子供のように頬を上気させていた。
毛並みの良い大型犬のよう。
強くて、不器用で、命じられた場所に留まる忠犬。
鏡越しにサシャが見えた。
サシャは、その一連の出来事を黙って見ていた。
何も遮らず、
相変わらず人形のように美しい表情は変わらない。
まるで、聖女の観察者のよう。
――儀式が、はじまる




