20.取り引き
「聖女様を連れ去ろうとするとは、不届きだね」
ミゲル王子の唇から、吐息のように言葉が零れる。
視線を落とすと、カイルは床にねじ伏せられていた。
「は……なせ……!」
首元には、剣が突きつけられている。
押さえつけているのは、
近衛騎士のグレン・ハート。
カイルと屈強な王国騎士とでは、体格が違い過ぎる。
グレンは無言のまま、背を踏みつけ、カイルの声が掠れる。
「やめて! グレン、お願い!」
長い亜麻色の髪、鍛え抜かれた体躯に不釣り合いな童顔。
かつてマーカス王子の護衛だった男がなぜ、ミゲル王子の側に……?
完全な、待ち伏せだった。
「降臨祭の夜」
ミゲル王子の声が、静かに続く。
「僕が手を離したせいで、君は聖女になってしまった」
――そうじゃないのに!
背後から巻きついた腕が、
わたしの口を塞ぐ。
「あの晩から、ずっと逢いたかった」
耳に触れる息。
背筋が、ぞくりとした。
「同じ王宮にいるのに、聖女の君には近づけない。
――皮肉だよね」
視線が床へ落ち、ちらりと、床のカイルを見る。
「逢いたいと隠し通路を使うのは、僕だけだと思っていたよ。
君には逢えなかったけど、君の兄君をみつけた。
王族専用の通路で……」
淡々とした声。
「調べさせたら、
宿、馬車、逃走経路……短期間によく準備してたよ。
全て、君のためだよね」
終始無言のグレンの剣が、わずかに沈む。
「でもね。聖女の拉致は、重罪だ」
ミゲル王子は淡々と告げる。
「やめて……カイル兄様を傷つけないで!」
「フェリシア」
ミゲル王子の唇から笑みが消える。
「ねえ、取引しよう」
「……取引?」
「僕を、聖女様の夫にしてほしい」
驚いて、ミゲル王子の顔を見上げる。
顔が近い。
わたしをじっと見つめる瞳は、冗談を言っているようには見えない。
「あなた王族よ?
聖女の夫なんて、ただ人生を棒に振るだけ」
「君の夫になるのは、至上の名誉だよ」
ミゲル王子は、微笑みをみせる。
まるで、降臨祭の続きのようだ。
「暗黒竜との戦いで、死ぬかもしれないのよ?」
「僕は、第四王子だからね」
軽やかな声。
「そんなに重要じゃないんだ」
――どうしたら……どうしたら、良いんだろう。
胸が苦しい。
「フェリシア、どうするの? 取引する?」
耳元の王子の声が、冷たくなる。
囁くような声。
「それとも、
この重罪人の首を落とす?」
鳥肌が立った。
とっさに、わたしは叫んだ。
「グレン・ハート、聖女の命令よ! カイル兄様を、放して!」
「グレン、聖女様の安全を優先しろ」
ミゲル王子の声が、即座に重なる。
「フェリシア、王宮では王族の命令が何より優先されるんだよ。忘れた?」
……そうだ。
これは取引じゃなくて、脅迫だ。
王宮内では、公爵の息子でも、
王族に、聖女に、危害を加えようとしたとされれば、
この場で処刑することもできる。
ミゲル王子にはそう命令する権力がある。
カイルを自由にするには――
これしか無いんだ……
その瞬間、
エメラルドグリーンが心をかすめて、目を強く閉じる。
「ミゲル殿下……わかったわ。
取引に応じます」
声を吐き出す。
彼は息をのむと、ぱっと顔を輝かせた。
「お披露目で――民衆の前で、僕を伴侶として紹介してほしい」
わたしを拘束するようにまわしていた、ミゲルの腕の力が緩む。
「……善処するわ」
「では、この罪人は?」
グレンがはじめて口を開く。
後ろ手に拘束されたカイルが、立たされている。
王宮への無断侵入、それだけで死罪もあり得る。
「俺を殺せ!」
グレンに抑えられていた口元の拘束が緩み、カイルが叫びだす。
「聖なる式典を俺の血で汚せ!
フェリを聖女になんかさせない――」
もがきながら、叫ぶ。
「フェリ、絶対に助けるから!」
わたしはたまらなくなって、
ミゲル王子の腕を振りほどき、
カイルに向かって駆け寄った。
カイルはきっと諦めない。
放っておいたら、必ず捕まる。
そして――殺される。
「グレン・ハート」
決意しなくては――わたしは、声を張る。
「カイルは罪人じゃない。
聖女の夫よ。拘束を解いて」
一瞬の間をおいて、
グレンは軽く頭を下げ、剣を引いた。
「……カイル兄様」
手を伸ばす。
「無駄に死ぬくらいなら、聖女のわたしのそばにいて」
「フェリは受け入れるのか?」
震える声。
「こんなに傷ついてるのに……」
「すぐ泣いちゃうのね。
いつもの、軽口ばかりの兄様の方が好きよ」
わたしは無理に微笑みながら、
純白のハンカチで、カイルの血と涙を拭い、乱れた髪を整える。
そして、振り返らずに言い放った。
「お披露目で紹介する夫は三人。
あなたの席は、そのうちの一つ。特別じゃないわ」
わたしは振り返る。
「それでも?」
「……もちろん」
ミゲル王子の弾む声が響く。
「それで十分だよ。ありがとう、フェリシア」




