19.逃亡
息が詰まる――
「聖女様!」
誰かの叫び声。
即座に、神殿侍女や護衛たちが周りを囲んだ。
「どうして、竜を討たないんですか!」
身体中から、絞り出すような叫び声が白い部屋に響く。
「あなたが何もしないから、わたしの故郷は消えました!」
侍女は護衛に押さえつけられ、それでも悲鳴のような叫びは続いた。
「偉い方達は、王都さえ無事なら、辺境はどうなってもいいんでしょう!」
扉が閉まり、叫び声は遠ざかる。
「……なにが、起きているの?」
わたしの問いかけに、侍女たちは視線を交わす。
やがて、年長の神殿侍女が渋々口を開いた。
「東の山脈近くで、大雨と大地の揺れが重なり、大規模な地滑りが起きました。
複数の集落が飲み込まれたと聞いております」
「大地の揺れって……」
夜会での、突然の揺れを思い出す。
「暗黒竜はまだ復活していません。聖女様のせいではありません」
でも、あの侍女はわたしのせいだと思っている。
――聖女がなにもしていないせいだと。
「少しでいいから、落ち着くまでひとりにして」
皆が部屋から出ると、
顔を覆い、床にしゃがみこんだ。
サシャから、大地の揺れは暗黒竜の復活の兆しと聞いていた。
わたしの世界は狭く、ほとんどサシャから教えてもらったことしか知らない。
外の人たちがわたしをどう思っているかも……
わたしが遅いから?
準備に時間をかけ過ぎているから?
アスランとのことで、浮かれていたから――
そのせいで、誰か死んでいるの?
身体中が、がくがくと震えた。
――無理だ。
こんな重い責任、わたしには背負いきれない。
その時。
カチリ、と壁が音を立ててびくりとする。
壁がきしむ音とともに、ひっそりと口を開く隠し扉。
「フェリ……」
聞き慣れた声。
そこから姿を現したのは――
「カイル兄様!」
やつれて、衣服もどこかくたびれている。
それなのに、向けられた笑みだけは、いつもと変わらない。
「こんな通路、王族の婚約者だったわたしでも知らないわ」
「王宮の秘密通路だよ。
フェリが言ってたじゃん、俺はヤリチンだって。
王族に元カノの一人や二人いても、不思議じゃない」
あまりにもいつもの調子で、
気づけば、わたしも小さく笑っていた。
「……痩せたわね。今まで、どうしてたの?」
唇が自然と震える。
カイルは何も言わず、わたしの手を取って甲に口づけた。
カイルの頬がこけている……きっと、わたしのせい。
涙が零れた。
顎先から、ぽたり、と床に落ちる。
「あれ。泣いちゃったの?」
声は、意地悪で優しい。
昔、泣き虫だったわたしをからかう時と同じ声音。
「わたし……聖女になったら、
たくさんの責任を負うって……
わかってるつもりだったのに……」
言葉にならない。
あの侍女の叫びが、頭の奥で何度も反響する。
「聞いてたよ、壁の向こうで全部……辛かったな」
わたしの額に、カイルの額が触れるほど近づく。
「フェリはさ、聖女になんかならなくていい」
その言葉に、顔をあげてカイルを見つめる。
――この国でただ一人。
わたしを『聖女様』じゃなく『フェリ』と思ってくれる人。
でも。
「……もう、無理だよ」
吐き出すように言って、わたしはカイルの腕から離れた。
「フェリ、聞いて」
カイルは、揺るぎない力でわたしの手をつかむ。
「俺と逃げよう。逃走経路も潜伏先もそのために準備した」
仄暗く揺れる赤の混じった緑の瞳。
本気だと、すぐに分かった。
「逃げるなんて、だめだよ……
だってわたし、聖女になるために生まれたんだよ」
神託を信じ、長い年月をかけて……
神殿も、公爵家も、女神を信仰する全てが、わたしを逃がすはずがない。
「俺は、マーカスとフェリが結婚するのを黙って見てた」
カイルは歯を食いしばった。
「でもさ、婚約がなくなって、思ったんだ。
……もう、諦めないって」
次の瞬間、強く手を引かれる。
壁の向こう――王宮の秘密の通路へと。
暗く狭い通路を魔法灯が小さく照らす。
ところどころ石の欠けた床。
こもった湿ったにおいが頬をなでる。
逃げ切れるわけがないと、頭では分かっている。
それでも、
子供の頃から慣れ親しんだ、
温かい手に引かれて走った。
「ふたりなら、大丈夫だ。俺といっしょにいれば……」
角を何度も曲がり、迷路のような通路を急ぐ。
このまま、どこかへ――
連れて行ってほしい、と。
そう願った、次の瞬間。
衝撃。
カイルの身体が、圧倒的な力で壁に叩きつけられた。
わたしは別の人の腕に、背後から強く抱きすくめられる。
「会いたかったよ、フェリシア」
浅黒い肌、高貴な甘い香り。
耳元で囁かれる少しハスキーな声。
「ミゲル殿下!」
「正解」
猫を思わせる悪戯な青い瞳が、わたしを覗き込んだ。
ミゲル王子 この王国の第四王子 才気煥発と公爵が評価。6話の降臨祭以来の登場です。
近衛騎士グレン・ハート 1話でフェリに愛馬を貸してます。優しい気持ちが態度に出てフェリを怒らせています。




