18.聖女の現実
アスランから魔力を受け取り、
受け取っては、
ギグが闇の魔法で安定させる。
それを繰り返して数日が過ぎた。
聖痕の痛みが出なくても、
サシャは時折わたしの手を取ってくれる。
確認するように、祈るように、
サシャの白い魔力が流れ込む。
アスランは相変わらず穏やかで、どこか冷たい。
触れ合う時はいつも熱いのに
――本当の心は、掴めない。
一緒に食事をして、会話をして、夜を共にする。
それなのに、まるで薄氷の上を歩いているように現実感がない。
やはり、わたしは無意識に『聖女の魅了』を使っているのだろう。
「……普通に、アスラン兄様の花嫁になって、
家庭を築きたかったな」
ぽつりと漏れた声が震える。
まるで、カイルが言ってたみたいな普通の夢。
アスランは否定も肯定もせず、いつものように、
わたしの白銀の髪を手に取った。
指先が、耳から頬へとなぞる。
「兄様と見たあの海、またふたりで見たいわ」
婚約解消した後、わずかな自由な時間、
アスランとふたりきりで遠出した。
アスランの瞳はその時に見たエメラルドグリーンの静かな海の色だ。
「そうだね。フェリとふたりだけで見たいよ」
嬉しくて、同時に切なくなる。
「聖女様を独占したいなんて、欲張りね。
サシャに叱られるわ」
不器用な笑いでごまかす。
「フェリは愚かだね。
僕はこの口から、そんな言葉を聞きたいんじゃないよ」
わたしのお喋りな口は、ゆっくり落ちてくる愛する人の唇で塞がれる。
緑の瞳は、今日も迷宮だった。
――好き。
アスラン兄様が、誰よりも。
わたしは、『聖女も、悪くないかもしれない』と思い始めていた。
マーカスと結婚して王族として生きる運命より――
籠の鳥でも、
同じ籠の中にアスラン兄様さえいてくれたら、
それだけで満たされるのだから。
そんなわたしに、サシャが静かに釘を刺す。
「聖女様。アスラン様お一人の魔力では足りません」
サシャの光を宿す水色の瞳が、わたしの甘い考えを見透かす。
「暗黒竜を討つには、さらなる魔力が必要です。
他に夫を迎えるおつもりはありませんか?」
答えられなかった。
「フェリシア様、聖女の力に、溺れていませんか?」
サシャは、わたしの見たくない現実を突きつける。
聖女の愛は、拒まれない。
アスランの心も、わたしの心を映してるだけなのだろう。
アスランは『大丈夫だ』と言う。
でも、日を追うごとに彼は疲れ、少しずつ衰えているように見えた。
わたしは魔力を受けるのを控えるようにしたけれど、胸騒ぎは消えない。
そして、わたしのもう一つの心配ごとはカイルだ。
あの日以来、公爵家から姿を消したままだった。
わたしが『作られた聖女』だと知って、
きっとカイルの気持ちも変わったのだろう。
会いたいのに、拒まれる気がして怖かった。
深く悩んでいる暇もなく――
光の聖女として、大神殿で繰り返される神事、
各地の神殿からの使者との謁見に時間を割かれる。
更に、王宮に通い、お披露目の準備に追われた。
元々、わたしは飛び抜けて賢いわけじゃない。
聖女として、覚えることは山ほどあり、
どんどん考える余裕なんてなくなっていく。
そして、毎日囁かれるアスランの甘やかな言葉は、
わたしの不安を麻痺させていった。
――
王宮では、わたしの意向で、
国王陛下以外の王族とは顔を合わせずにすむよう、細心の配慮がされた。
今でも思い出すだけで腹立たしく、
元婚約者のマーカスと王妃の顔など、ちらりとも見たくなかったからだ。
式典当日。
聖女に用意された部屋は、
調度品一つ一つはとても高価なのに、特徴のないただの白い部屋だった。
ふとテーブルに目をやると、場違いに、
『熟れた果実が二つ、青い果実が一つ』
別々の葉に乗せて置かれていた。
子供の頃、兄たちと遊ぶ時に使った暗号。
「……カイル兄様」
近くに来ている。
それだけで、胸が騒いだ。
人払いをしたかったけれど、侍女たちにとり囲まれ、支度が始まる。
おとなしくするしかなかった。
フォーマルな髪型にするため、わたしの髪を整えているのは、
王室から来ている髪専用の見知らぬ侍女だった。
痩せた背の高い侍女は、落ち着かず、酷く顔色が悪い。
櫛を何度も落とすほど、手が震えている。
(具合でも悪いのかしら?)
周りの侍女達もざわつきはじめる。
声をかけようとした瞬間――
顔色の悪い侍女は、
ぐいっと、掴んでいたわたしの髪を引っ張った。
「あっ――」
強く引かれた勢いで、
わたしは椅子から落ち、床に叩きつけられた。
次回 逃亡




