未来からのバックハンドブロウ 第二話 第二機動部隊
深い眠りから浮かび上がる。
日常となっていた湿度の高い生ぬるい空気、湿った土の臭いと生乾きの衣類が発する饐えた臭いを感じない。
糊のきいた乾いたシーツの感触、遠くから聞こえてくる規則的な機械音、、懐かしい鉄とペンキの臭い、遠ざかっていた潮の香り、五感が唐突な環境の変化を知覚し思考が混乱した。
瞼を開くと、長い間見慣れていた明緑色に塗装された低い天井が見える。
俺は内南洋テニアンに居たのではなかったのか。
そう、司令部の要員たちと水杯を交わし、敵陣に向け吶喊したところまでは記憶にある。
それが目覚めたら、見慣れた天井、見慣れた部屋、断続する縦揺れは自分が艦に乗り海の上に居ることを教えてくれる。
ドアがノックされ従兵に声をかけられる。
久しぶりの聞きなれた声、どうやら今自分は空母龍驤にいるようだ。
龍驤ならば四航戦か、今は何時なのか従兵に尋ねると、俺の様子に違和感を感じたのか戸惑いながらの返答を受けた。
昭和17年4月22日、第四航空戦隊司令官角田覚次少将は空母龍驤に座乗してその母港呉に帰投した。
呉に着いた角田少将は連戦で疲労した体を休めることなく、連日に亘り連合艦隊司令部や第一航空艦隊の将官と会合を開いた。
角田と連合艦隊司令長官山本五十六大将との間で行われた会合では、第二段階作戦の進め方で意見交換がなされたが、ハワイ攻略を進める山本と米豪分断による豪州脱落を狙う角田との間で大きく意見が分かれ激論が交わされている。
5月4日、連合艦隊旗艦大和艦上で行われたミッドウエイ攻略図上演習において、図演観戦者として参加した角田の提案により米機動部隊の早期出撃のケースでの図演が追加されている。
5月23日、呉から移動し大湊で待機していた四航戦は、アリューシャン攻略作戦のため同港を出撃し、北太平洋アリューシャン列島のフォックス諸島のダッチハーバー一帯の空襲に向け作戦航海に入った。
なぜテニアンで死んだはずの俺が時間を巻き戻しもう一度四航戦の指揮を執っているのか、その答えを得ることなど最早どうでもよかった。
今俺が望んでいるのは、第一航空艦隊司令として預かった貴重な航空戦力を、二正面作戦を取る米軍に翻弄され徒に消耗させ、マリアナでの艦隊決戦に何の寄与もできぬまま、敗軍の将としてテニアン島で敵弾に倒れた後悔塗れの前世を繰り返さないことだ。
太平洋の戦局の一大転換点となってしまったミッドウエイ海戦の直前に戻ってこれたのは幸運だった。
ミッドウエイでの大敗を避けるため策を弄し関係者の間をいろいろ走り回ったが、願い叶わずミッドウエイ攻略を留めることはできなかった。
次善の策として練った案が採用された以上は、ミッドウエイでの勝利を得るため全力を尽くすしかない。
《太平洋戦争海戦史第2巻 第2章ミッドウエイ海戦より》
ミッドウエイ海戦での日米両軍の勝敗の鍵を握ったのは、猛将、闘将と呼ばれ太平洋戦争を通してその名を馳せた海軍少将角田覚次が率いた空母隼鷹と龍驤からなる第四航空戦隊を主力に編制された第二機動部隊の存在だった。
現地時間6月1日5時40分、ウラナスカ島南西350キロからダッチハーバー空襲隊を発艦させた四航戦は、攻撃成功後艦隊進路を南南西に向け航行し、6月3日には航空参謀を乗せた九七式艦攻によりミッドウエイ攻略の第一機動部隊と連絡を取ることに成功する。
翌4日、第一機動部隊によるミッドウエイ空襲隊の攻撃終了から約30分後、四航戦から出撃した空襲隊第二波がミッドウエイを襲う。
戦闘機6機と爆装艦攻30機からなる空襲隊は、第一波の攻撃が終わったことで無警戒に航空隊の収容や滑走路の修理を行っていたミッドウエイ飛行場を痛撃する。
この攻撃によりミッドウエイ飛行場は滑走路各所の損傷により一時的に使用不能となる。
第二波の攻撃を受けたときミッドウエイの戦闘機部隊は補給のため全機が地上にあったため、爆撃と機銃掃射によって大半が破壊されている。
滑走路修理の最中に攻撃を受けたミッドウエイの飛行場修理部隊は、この攻撃により人員機材に大きな被害を受け、日本艦隊を攻撃後同島に戻ってきた飛行部隊は、修復の終わっていない滑走路に不時着陸することになり、機体の多くが修理不能となり放棄される。
ミッドウエイ航空隊の攻撃の間隙を縫いながら第一機動部隊の4空母から発艦した総数100機を超える戦雷爆連合が米海軍第16任務部隊に殺到する30分ほど前、第二機動部隊の2空母から米機動部隊に向け攻撃隊が出撃する。
戦闘機12機と艦爆18機、艦攻8機からなる攻撃隊は、現地時間10時35分第17任務部隊と会敵しこれを攻撃した。
この攻撃により空母ヨークタウンに2発の250キロ爆弾が命中、さらに至近弾による浸水で一時的に速力が20ノット近くまで低下した。
そのほか駆逐艦1隻が被雷により大破航行不能の損害が出ている。
第二機動部隊の攻撃から30分後、ヨークタウンは第一機動部隊の第三次攻撃隊により命中弾多数を受け撃沈された。
米軍の二つの任務部隊は同日中さらに数波にわたる日本軍の追撃を受け、最終的に空母3隻が全滅、さらに巡洋艦4隻と駆逐艦5隻を喪失した。
日本海軍の損害は、空母加賀と蒼龍がそれぞれ2発の直撃弾を受け大破、赤城は命中弾1と至近弾1を受け中破、そのほか3隻の艦が小破、航空機66機を喪失している。
海戦から2日後の6月6日に日本軍はミッドウエイ島に上陸、同日中に米軍ミッドウエイ島守備隊は降伏した。
連合艦隊司令部はミッドウエイ攻略図上演習により作戦を見直し、第一機動部隊と第二機動部隊を合流させることで戦力を増強し、ミッドウエイ航空隊と米機動部隊との同時戦闘に充るよう変更した。
この作戦変更に大いに寄与したと言われているのが角田少将で、角田が提案した米機動部隊の早期出撃状況における図演の結果がこの作戦変更の主要因だったことは、図演に参加した多くの海軍将官の証言からも明らかであった。




