朝粥鍋の火止め札は、食べる子の椀が温まる前に消せません
厨房裏の粥鍋の下で、細い残り火が一本だけ赤く息をしていた。
その火の前に、ミトの小椀が置かれている。粥はまだ底だけぬるく、表面の湯気は途中で折れていた。
「火止め、可。朝番交代済み」
鍋の横に掛かった札を、俺は読んだ。前世なら、燃料節約の判定欄に丸が付くやつだ。だけど今ここにあるのは、節約表じゃない。まだ温まっていない半椀と、空腹をごまかすために蜂蜜湯を両手で持っているミトだ。
「ノエル様、火を残すと儀礼灯油の帳尻に回されます」
ルカが小声で言う。帳尻、という言葉を聞いた瞬間、俺の眠気が少しだけ飛んだ。
「じゃあ帳尻の前に、椀の到着条件を書く」
俺は鍋札を外さなかった。ただ、テオに低い釘を一本打ってもらい、その下へ青い小札を掛けた。
『本人の椀が温まる前は、火止め未了』
ミナが灰を寄せ、残り火を鍋底の真ん中へ戻す。大きな火ではない。けれど、半椀をもう一度温めるには足りる火だった。
「ミト、全部じゃなくていい。温かいうちに、先に半分だけ」
ミナが小椀を両手で持たせると、ミトは恐る恐る息を吹いた。
「……あったかい。薬の時みたいに、飲んだことにされてない」
その一口で、俺は火止め札の下にもう一行足した。
『本人が食べた後、運んだ者が帰り灯を確認すること』
ニルがびくっと肩を上げた。昨日までなら、鍋から出た時点で配送完了だった。今日は違う。
「俺、ミトの椀を置いたら、帰り灯も書きます。置いただけで終わりにしません」
ニルは自分の名を、青札の隅にゆっくり書いた。字は少し曲がっていたが、燃料表の丸印よりずっと信用できた。
マラが洗濯場から顔を出す。
「火守りの子、交代したって札だけで寝に行けないなら、休憩札もここへ残す?」
「残す。火を守った人間が、朝を食べた人間より先に処理済みにされるのも禁止だ」
俺がそう言うと、ミナは鍋の蓋を半分だけずらした。湯気が細く上がる。ミトが二口目を食べ、ニルが帰り灯の位置を確かめ、マラが火守りの休憩札を低い釘へ移す。
それだけで、厨房裏の朝は少し遅く、けれど確かに始まった。
その時、ルカが燃料節約表の裏をめくった。
「ノエル様。残り火を止めた扱いにして、儀礼灯油の過使用分へ補填する行があります」
俺は温かくなった空椀を見てから、その黒い行へ青線を引いた。
「残り火は、帳尻の材料じゃない。食べる前の朝を待つ分だ」
青線の先には、火守り名簿の睡眠時刻欄が空いたまま残っていた。




