未帰着札は、帰る人が来るまで北塔の灯りで待ちます
昼になった北塔の入口で、油皿の火だけがまだ小さく残っていた。
朝粥の鍋は洗われ、窓口の板も乾き始めている。けれど、低い釘に掛けた三枚の札だけは、風に揺れても外していない。
サラ。
ピム。
読めるまで待つ子。
祝灯式準備課の下役が、油皿の縁に指をかけた。
「昼の入口灯は不要です。未帰着札も写しを取りましたので、原本は教育区画の棚へ戻します」
テオが両手で油皿を抱えこんだ。
「消しちゃだめです」
「子どもが触るものではありません」
「帰ってくる人が、ここを見つけるための火です」
下役の眉が動いた。俺は窓口の踏み台に立って、油皿と札と、ミナの抱えている小さな椀を順に見た。
椀には、半分だけ薄い粥が残してある。湯気はもう高くない。それでも、冷たい証拠品ではなかった。
「不要灯ではなく、帰着待ち灯」
俺はルカに言った。
「写し済みではなく、本人が帰って読むまで未完了。生活到着条件は、灯り、名前を呼ぶ声、食べられる椀、読める高さの札だ」
ルカは膝をつき、低い釘の横に新しい欄を一本引いた。
『帰ってきた本人が読める高さで保持』
エリネが下役の前に立つ。
「原本回収は未発令です。本人帰着前の棚戻しは、帰る人の入口を消します」
下役は書類を開きかけたが、ミナが先に椀を低い台へ置いた。
「これは、書類の添付物ではありません。帰ってきた子が、最初に口へ入れる分です」
テオは油皿を抱えたまま、札の文字を見上げた。
「サラ。ピム。……まだ読めない子」
小さな声だった。けれど、式典の読み上げではなかった。帰ってきた時に間違えないための練習だった。
俺は胸の奥が少しだけ苦しくなるのを、昼寝前のあくびのせいにした。
「未帰着は、失敗欄じゃない」
俺は油皿の横に、昼寝札の余った青紐を結ぶ。
「帰る人が立つ場所だ。立つ場所を片づけたら、帰ってきても帰れない」
エリネが下役の書類に青い保留印を押した。
『入口灯・半椀粥・低い札釘・呼名待ち。本人帰着まで保持』
下役はようやく手を引いた。油皿の火が、テオの指の間から細く入口を照らす。
その時、外の石段で、砂を踏む音が止まった。
テオが息を吸う。
練習ではない声で、低い釘の前へ向けて言った。
「サラ?」
返事は、まだない。
けれど誰も、札を外さなかった。
北塔の灯りは、帰る人が来るまで待つことになった。




