欠番分半日賃金は、夕食前の手を戻入済みにしません
夕方の北塔は、朝より静かだった。
台所口では、ミナが薄い粥の鍋を焦がさないよう、木べらをゆっくり動かしている。テオは入口灯の油を小瓶に移し、底に残った量を明かりへ透かした。ルカは未完了在庫棚の下で、昨日の白い布がずれていないか確かめている。
そこへ、月末戻入係が来た。
今度は処分袋ではない。小さな革袋と、細い赤線の入った控えを持っていた。
「欠番分半日賃金。支払先未記入につき、夕食前に月末戻入金庫へ戻します」
革袋の中で、銅貨が薄く鳴った。
ミナの木べらが止まりかける。テオは油小瓶を胸に寄せた。灯り一つ分の油は、銅貨二枚で買える。薄い粥に豆を足すにも、誰かの半日賃金は使える。
だからこそ、勝手に使ってはいけない。
「殿下」
エリネが、金庫行きの受領板を受け取らずに俺を見る。
俺は革袋の口を見る。前世の監査室なら、支払先未記入は戻入で片づく。金が残る。帳簿は合う。責任者は助かる。
だが、戻った金で、働いた手は夕食を食べられない。
「支払先未記入は、支払不要ではない」
戻入係が眉を寄せた。
「では、何ですか」
「まだ誰の手に届いたか読めない賃金だ。半日働いた人が、夕食前に銅貨を受け取ったか。帰る灯りを持てたか。次の朝にまた働くかを、自分で読めたか。そこまで書いていない」
七歳の声で言うには長かった。けれど、台所口の鍋の匂いが、言葉を途中で逃がさなかった。
ミナが、鍋の横に空の皿ではなく、小さな木札を置いた。
『未支払の手。夕食済みにしない』
「食べたことにしません。まだ誰の皿か分からないなら、空皿も置きません」
テオは油小瓶から一滴も注がず、入口灯札の隣へ置いた。
「この油は、帰る人が名を読めるまで待つ灯りです。戻入の計算に混ぜません」
ルカは控えの棚番号を読む。
「黒札三番と同じ列です。でも、犯人名じゃなくて……働いた人の帰着未読、って書きます」
エリネが革袋を金庫板から離し、未完了在庫棚の前、台所口から見える場所へ置かせた。銅貨の音が、鍋の泡より小さく止まる。
「月末戻入ではなく、本人読了まで未支払保留。王子殿下の生活窓口で預かります」
戻入係は受領板を引き下げた。かわりに、赤線の控えを一枚だけ残していく。
ルカが拾い、声を落とした。
「夕食済みにつき支給省略……この赤線、先に引かれています」
鍋の湯気の向こうで、まだ誰のものでもない木札が、少しだけ湿った。




