配属課保管棚の貸出番号は、七年前の子どもを教材へ貸せません
北塔生活到着仮窓口の机には、三つの椀が残っていた。
サラ。ピム。まだ名前を読めない空白。
ミナは粥を温め直しながら、椀の底へ小さな布を敷いた。冷めても捨てない。帰ってきた時に、誰の分だったか分かるようにするためだ。
テオはサラの名札を握り、空白の席の前に立っている。下役が箱を片づけようと手を伸ばすたび、彼は一歩だけ前へ出た。
「まだ、見本にしないでください」
その声は震えていたが、逃げなかった。
王宮配属課の棚番係ルカが、灰色の帳簿を抱えて戻ってきた。前より顔色が悪い。けれど、帳簿を隠す手つきではなかった。
「殿下。承認者欄裏の貸出番号、配属課保管棚のものです。棚列は……七年前の第八王子配属決裁原簿と同じでした」
「同じ棚か」
ノエルは眠い目をこすった。
前世の監査室でも、嫌な帳簿ほど同じ棚に集まった。休憩室の椅子、未払い残業の申請書、誰も使っていないことにされた仮眠毛布。まとめて置けば、誰も生活として読まなくなる。
「棚を見よう。朝粥が冷める前に」
配属課保管棚は、北塔の廊下より明るかった。磨かれた床に、番号札だけがきれいに並んでいる。
ルカは一番下の段を開けた。
『貸出物 未帰着名札見本一式』
『借受先 教育区画』
『返却先 教育区画仮保管』
『返却期限 授業終了後』
その隣に、古い札が挟まっていた。
『貸出物 第八王子配属決裁原簿 完了写し』
『借受先 教育区画』
『返却先 教育区画仮保管』
『返却期限 保護完了後』
ノエルは小さく息を吐いた。
「返却先が、本人じゃない」
ルカが唇をかむ。
「棚では、返却先が書いてあれば閉められます。教育区画仮保管なら、手続き上は戻った扱いです」
「でも、生活では戻っていない」
エリネが棚扉の前に立った。奪うためではない。閉じさせないために、両手で扉を押さえた。
「返却先が本人の席、本人の朝、本人の眠る場所として読めるまで、この棚は閉めません」
棚番係の年上書記が眉をつり上げた。
「侍女が配属課の棚を止めるのか」
「北塔生活到着仮窓口の番です」
エリネの声は静かだった。
ノエルは机代わりの踏み台に、四つの欄を書いた。
一つ。貸出物。
二つ。借受先。
三つ。返却先。
四つ。返却期限。
「名前を貸したなら、返却先は教材箱じゃない。本人が帰る席だ。毛布を貸したなら、返却先は仮保管棚じゃない。今夜眠る場所だ。俺の配属決裁を貸したなら、返却先は教育区画じゃない。七歳児が昼寝できる場所だ」
テオが、サラの名札を胸に当てた。
「じゃあ、サラの返すところは、この席です」
「そう」
「ピムのも、空白の子のも」
「うん。まだ帰っていないから、返却待ちだ」
ルカは棚の赤い貸出中紐を見た。指が少し震えている。
「……棚番係として、できます。貸出済みを消すのではなく、返却先未確認に掛け替えます。返却先を北塔生活到着仮窓口へ照会中、と書けば」
「書いた人の名前も」
ノエルが言うと、ルカはうなずいた。
「私の名前で書きます」
赤い紐が外れ、青い紐に替わった。
サラ。ピム。読めない空白。
三つの名札は、教材見本ではなく、北塔仮窓口への返却待ち札として写された。テオがそれを両手で受け取り、ミナの椀の横へ戻す。
それからルカは、古い第八王子配属決裁原簿の札にも手を伸ばした。
「こちらも、返却先未確認へ掛け替えます」
年上書記が声を荒げた。
「それは七年前に完了した処理だぞ」
「完了していません」
ノエルは、自分の眠い声が少しだけまっすぐになったのを感じた。
「俺の昼寝毛布が、教育区画仮保管に返ったことは一度もない。北塔の窓際に返って、俺が眠れるまで、生活では未完了だ」
ルカは古い札の返却先欄へ、細い字で追記した。
『返却先未確認。北塔昼寝場所・本人所在・朝粥到着、再照会』
小さな勝ちだった。
王宮の大きな棚が崩れたわけではない。セヴランの代理印を押した手も、まだ見えていない。
けれど、サラとピムの席は教材箱へ行かなかった。読めない空白も、見本として発音されなかった。そして、七年前に紙の上で貸し出されたノエルの昼寝場所が、初めて返却待ちとして数え直された。
ミナが北塔へ走って戻り、毛布を一枚持ってきた。
「殿下。返却先の確認用です」
「大事だ。監査には現物がいる」
ノエルは毛布の端をつまんだ。少し日なたの匂いがした。
その時、ルカが貸出返却簿のさらに奥の頁を開き、顔を強ばらせた。
「殿下。返却先が全部、教育区画仮保管になっている棚があります。未帰着名札だけではありません。夜間灯、朝粥椀、毛布、入口札……それと、保護者確認印箱」
ノエルは毛布を肩にかけた。
「じゃあ次は、仮保管という名前のまま帰れなくなったものを、ひとつずつ帰らせる」
眠かった。
でも、眠る場所が帳簿に戻ってきた眠さは、少しだけ悪くなかった。




