表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
社畜監査官だった俺、貧乏第八王子に転生したので王宮の無駄手順を全部“昼寝できる仕組み”に変えます  作者: 花守りつ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
20/55

保護教材移管原票は、帰っていない子の名前を授業材料にできません

北塔生活到着仮窓口に、朝粥の匂いが残っているうちに、教育区画から木箱が届いた。


 木箱の横には、きれいな札が結ばれている。


『保護教材用 未帰着名札見本 一式』


 ノエルは椀を持ったまま、その札を見上げた。


「朝粥が冷める前に、人の名前を見本にするのは忙しいな」


 七歳の皮肉は軽かったが、エリネの手はすでに箱を押さえていた。ミナは小鍋を机の端へ寄せ、ルイは入口灯の控えを胸に抱く。ロイは昼寝毛布の上から赤札が落ちないよう、青い紐をもう一本通した。


 箱を運んできた教育区画の下役は、困った顔で言った。


「授業で、迷子になった児童の記録方法を教えるそうです。サラ様とピム様の名札は、保護教材移管原票に――」


「帰っていない子を、帰っていないまま教えるな」


 テオの声だった。


 入口灯の下に立つ少年は、両手でサラの名札を握っていた。昨日までなら、彼はそれを大人の机へ差し出したかもしれない。けれど今日は、青い仕切りの前から一歩も動かなかった。


「呼ぶなら、帰ってきた時に呼んでください。見本にするためじゃなくて」


 ノエルは椀を置いた。


「その通り。未帰着名札は発音練習の札じゃない。帰る席を空けておくための札だ」


 王宮配属課の棚番係ルカが、灰色の帳簿を抱えて駆け込んできた。昨夜、自分の字で『生活影響明細なし』と書いた若い書記だ。息が切れている。


「殿下。原票を確認しました。承認者欄は、やはり空白です。ただ、教材準備欄だけに『済』が押されています」


「承認者が空白なのに、授業だけ済むのか」


「……棚では、済んだ扱いにできます」


 ルカはそこで顔を上げた。


「けれど、生活では済んでいません」


 その一言で、エリネの目が少し柔らかくなった。責められた書記ではなく、棚の奥を見に戻ってきた者の声だった。


 ノエルは北塔仮窓口の机に、三つの小さな席を作った。


 一つ、朝粥の椀札。

 一つ、入口灯の呼名札。

 一つ、帰ってきた時に座る木椅子の札。


 椅子は二脚しかなかったので、ロイが薪箱をひっくり返して三つ目の席にした。粗末な席だ。だが、教材箱の中で平たくされるより、ずっと人が戻れる形をしている。


「サラ、ピム、それからまだ名が読めない空白。三席、未帰着として残す」


 ノエルは原票の写しへ線を引いた。


『保護教材移管原票 承認者欄未記入』

『教材準備済』


 同じ紙に並ぶ二つの言葉は、まるで別々の朝を見ているようだった。片方は、誰も承認していない。もう片方は、もう授業で使える顔をしている。


「ルカ。棚番係として聞く。承認者欄が空白のまま、誰の生活が動く」


 ルカは机の三席を見た。朝粥、入口灯、木椅子。紙の上では小さすぎるものばかりだ。


「サラ様とピム様の名札が、未帰着側から教材箱へ移ります。呼名控えが、帰着確認ではなく読み上げ練習へ移ります。入口灯の順番が、本人を待つ順番でなく、授業で並べる順番になります」


「なら、それを書け」


 ノエルは青い細帯を渡した。


 ルカは迷わなかった。


『承認者欄未記入。未帰着名札を教材へ移すと、朝粥・入口灯・呼名確認の生活到着条件が失われる。棚番係ルカ確認』


 下役が青ざめた。


「それでは授業準備が止まります」


「止まるのは授業ではない」


 ノエルは眠そうに、しかしはっきりと言った。


「人が帰る前に、人の名前を材料にする手順だ」


 テオがサラの名札を、青い仕切りから新しい木椅子の札へ移した。ピムの名札は、ミナが朝粥の椀札の横へ置く。三つ目の空席には、ルイが入口灯の控えを立てかけた。


 ロイは薪箱の角に、焦げた木炭で小さく「帰ってきたら座る」と書いた。字は曲がったが、教材箱の整った札よりずっと読みやすかった。


「この席、夕方まで残していい?」


 テオが尋ねる。


「夕方で足りなければ、明日の朝粥まで残す」


 ノエルは答えた。


「帰っていない人の席は、授業時間で片づけない」


 誰も帰ってきていない。


 けれど、帰る席は増えた。朝粥の匂いと入口灯と、名前で呼ばれるための空席が、教材箱から北塔へ戻った。


 それが今日の小さな勝ちだった。


 エリネは教材箱の蓋へ、青い保留札を貼った。


『未帰着名は教材ではない。本人が朝粥・入口灯・呼名確認へ到着するまで、北塔生活到着仮窓口で保留』


 下役は箱を抱え直せず、両手を空にしたまま立ち尽くした。


 その時、ルカが原票を裏返した。


「殿下。承認者欄の裏に、貸出番号があります」


「教育区画の番号か」


「いいえ」


 ルカの指が、古い灰色の番号を押さえる。


「配属課保管棚です。七年前の、第八王子配属決裁原簿と同じ棚列です」


 朝粥の湯気が、そこで細く切れた。


 ノエルは木椅子の三席を見てから、ようやく椀を引き寄せた。


「じゃあ、昼寝前にもう一つだけ。人の名前を教材箱へ貸し出した棚を、返却させよう」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ