第一孤児院の閉鎖台帳は、帰る子の名前を消す印ではありません
第三孤児院への返送札を書き終えたところで、ルイが封筒の底から薄い紙片を一枚拾い上げた。
「殿下、まだ入ってます」
紙片は、照会文よりも古かった。
端が湿って、インクが少しにじんでいる。
表にはこうあった。
『王都外第一孤児院。閉鎖済み。児童残余二名、北塔旧倉庫番号へ移管済み』
俺は朝粥の椀を見た。
まだ少し湯気がある。
それだけで、腹の奥が冷えた。
「閉鎖済み、か」
「孤児院が閉まった、ということですか?」
ミナが小さく聞いた。
彼女はもう、紙に書かれたきれいな言葉をそのまま信じない顔をしている。
「閉まったなら、誰が最後に戸を閉めたのか。誰が寝台を数えたのか。誰が子供の名前を呼んで、どこへ帰したのか。そこまで書いて初めて閉鎖だ」
前世の監査でも、似た言葉を何度も見た。
案件完了。
処理済み。
関係者移管。
その下で、実際には誰かの昼飯代が消え、帰りの電車賃が消え、最後に残った人だけが「終わったこと」にされた。
終わった書類は、人間を終わらせるための道具ではない。
俺は紙片を机に広げ、第三孤児院の照会文、北塔の青い保留札、旧鍵箱の控えを並べた。
第一孤児院の台帳には、三つの欄しかない。
閉鎖日。
残余児童数。
移管先。
そこに、子供の名前はない。
今夜の寝床もない。
明朝の食事もない。
誰が迎え、誰が「帰った」と確認したのかもない。
「残余、という言葉が悪い」
俺は筆を取り、青い保留札の横に新しい欄を作った。
『未帰着名』
『朝食到着』
『寝床到着』
『呼称担当』
ロイが眉を寄せた。
「未帰着名、ですか?」
「帰ったと書かれていない名前だ。閉鎖済みの下に埋めてはいけない」
俺は残余児童二名の欄に、紙片の裏に薄く残っていた文字を透かして読んだ。
ひとつは、リト。
もうひとつは、ナナ。
名前の横には、王都外第一孤児院の古い寝台番号が残っている。
だが、移管先の欄には北塔旧倉庫番号だけが書かれ、到着確認の欄は空白だった。
「倉庫番号には帰れない。寝台には帰れる」
俺はミナに言った。
「北塔の毛布を二枚、青い保留札つきで分ける。今夜、第一孤児院から誰かが本当に来ているなら、番号ではなく名前で受ける」
「毛布、足ります」
ミナは即答した。
昨日までなら、彼女は足りると言わなかっただろう。
夜間就寝札と薪雨除け布が、毛布を『余り』ではなく『今夜の寝床予約分』に戻したからだ。
ルイが水桶縄を持ち上げた。
「水も二人分、朝まで残せます」
ロイは薪札を確認し、真剣な顔でうなずく。
「温かい粥も、明日の三十杯から二杯を名前付きで残せます」
「よし」
俺は紙片に返答を書いた。
『第一孤児院閉鎖済み、未確認。リト、ナナの二名について、北塔は倉庫番号での移管を受け付けない。本人名、朝食、寝床、呼称担当の到着確認まで、閉鎖札を青い保留へ移す』
書き終えた瞬間、扉の外で小さな物音がした。
ミナが開けると、廊下の影に幼い兄妹が立っていた。
兄らしい少年は、片手で妹の肩を抱き、もう片方の手に割れた木札を握っている。
木札には、かすれた字で『第一』とだけ残っていた。
「……ここは、北塔ですか」
少年の声はかすれていた。
「僕たちは、倉庫番号の子ですか」
俺は椅子から降り、二人の前にしゃがんだ。
「違う」
七歳の体で言うと、少し格好がつかない。
だが、言葉ははっきり届けばいい。
「君はリト。そっちはナナ。ここでは番号では呼ばない。まず温かい水、次に粥、最後に寝床だ」
ナナが、兄の袖を握ったまま俺を見た。
「帰って、いいの?」
「今夜は、帰る場所がどこかを一緒に確認する。確認できるまで、閉じない。閉じない札は、君たちを消す札じゃない。誰も勝手に終わったことにできない札だ」
ミナが毛布を二枚持ってきた。
ルイが水を温め、ロイが粥の鍋に薪を足した。
第一孤児院の閉鎖台帳の上で、青い保留札が静かに乾いていく。
小さな報酬は、たった二杯の粥だった。
だが二杯には、リトとナナという名前があった。
俺は眠い目をこすりながら、旧紙片の端にもう一つの印を見つけた。
セヴランの保管印の下に、細い別印が重なっている。
『王都外救済費回収簿』
孤児院の閉鎖は、終わった話ではなかった。
誰かが、帰れなかった子供を未完了のまま、救済費だけ回収済みにしている。
「……昼寝前に、敵が増えたな」
ミナが毛布を整えながら笑った。
「殿下。昼寝のためなら、調べますよね」
「当然だ」
俺は青い保留札をもう一枚切った。
リトとナナの名前が乾くまで、この台帳は閉じさせない。




