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 駅から北にまっすぐ伸びたメインストリートは、平日の夜でもサラリーマンで賑わっている。以前から続く時代遅れの飲み屋が、最近になって芸能人の隠れスポットだと噂されるようになり、以来、何度もテレビや雑誌が取り上げるようになって、今では老若男女、年代問わず辺りは人で溢れ返っている。コロナの明けた、つい一二年前からだ。


 その通りから交差点を跨いだ反対側の区画に、スナックやバーの入った商業ビルが立ち並ぶ小さなコリアンタウンがあって、一階に純喫茶を構えた四階建てビルの地下に、地元の中国人しか知らないむさ苦しい中華料理屋があった。翔の知り合いが店主だった。


「今日の餃子はバカに小っちゃいなぁ」


 二十一歳の志田翔は、割り箸で羽根つき餃子を切り離そうとして、具を皿の上にぶちまけていた。何の肉かわからないピンク色の餡に、野菜の緑が蛍光灯に鮮やかだ。


「中国ではね、あんまり食べながら飲むってこと、しない。大抵家族でご飯を済ませて、子どもたちを寝かせて、から、飲むの。日本みたいに、ご飯を食べ、ながら、飲むなんて、しない」


「へ~」


 自分の碗に餡掛けチャーハンを盛り、匙でかき込んでいる正面の男、B。彼は普段から人の話を聞かない。いつも曖昧に相槌を打って流すか、「そうなんだあ」と区切りをつけて自分の話を持ち出すかして、その場をやり過ごす。周りの人間はそれに慣れ切っていて、真面目な話はBに振らないよう決めていた。


「酒を飲んでからご飯を食べる地域もあるんだろう?特に北側の、寒い地域なんかは」


「そう。黒竜江省」


「いろいろあるんだね」


 僕らは真剣に飯をかき込み、酒を飲んでいた。週一のバレーボールの練習を終えると、そのまま家には帰らず、足先は居酒屋の連なる繁華街に向いている。大手チェーン、安居酒屋、二十四時間営業、飲み放題、インスタフォローで一杯無料。昨年新しくできた四年制大学の新キャンパスが、駅前に群がる若者と飲食店を増やした原因だった。


「日産の隣にも新しくできるんだってな。美容の」

「なに、大学?」


 僕は何気なくBに話しかけたつもりだったが、言葉を拾ったのは翔だった。タネが小さいと言うわりに、もう羽根つき餃子を一皿平らげて、眼鏡が白く曇っていた。


「専門学校、美容の」

「日本語学校も、できたよ。Bの家の近く」

「なんでもかんでも造ればいいってもんじゃないけどな」


 地元の高校を卒業した翔は、親戚の経営する施工会社で働いていた。五年前にできたばかりの、内装を専門とする小さな会社で、翔は今年の四月にマネージャーに昇進すると、ようやく暇ができたといって嬉しそうに僕らを飲みに誘ってくれた。


「八月に買った部屋、内装が今月中に終わるから、来月からもう人、入れられるんだ。一室だけど。来年にもうひとつ、再来年にもうひとつ買って、中古のアパートをまるまる一棟買うの」


 翔は駅から十五分ほど離れたマンションの一部屋を買い、そこに中国人留学生を住ませるのだと言って、赤ら顔に笑みを浮かばせた。周辺の日本語学校と提携を組み、二三年後に留学生専用の寮を開くことを検討しているとも言う。「ここら辺は、まだ、安いよ。昔の家が多いからね。でも、コンビニも、スーパーも、商店街も、何でも揃ってる。横浜も、中華街も近いし、穴場だよ」


「そんなに部屋買って、家賃収入だけで生きていくつもりか?」


「うん。そう」


 翔は将来、中国に家族の住む別荘を建てたいのだと続けて語った。彼の母親は福建省生まれで、大学生の時に横浜へ留学し、その時に出会った日中ハーフの父親と結婚した。翔が中学校に上がる頃、母親は兄を連れて中国へ帰り、以来一度も戻ってこない。父親は自動車関連の仕事をしているそうだが、これもあまり家に帰ってこないらしく、電気ガス、月の家賃は全て翔が払わなければならなかった。高校生の時からそうだった。それでも彼は、金に不自由になるのは今だけだと言って、週の唯一の休みである日曜も仕事を入れ、熱心に働いていた。


「ちょっと、みんなに見せたいものが、ある」


 ガツ刺しと巨峰サワーを注文し、タバコに火を点けた翔は、カゴのバッグを手繰った。ますます赤らんだ顔に、陽気と倦怠が交互に姿を見せていた。


 ファイルの中から一枚の紙を出した。履歴書だった。証明写真の欄に、知らない男の顔が貼ってある。


「そいつ、今、仕事、探してる」


 履歴書を受け取ったBが面白そうに学歴欄を見ている。童鉾櫌(トンフォンユ)。黄州区実験学校卒業。神奈川大学入学。


「親戚?」


「ううん、違う、知り合い」


「どこで出会うんだよ」


 友人とカラオケに行った時、誰か誘おうというノリになって、友人が電話で呼び出したのが童だった。高校を卒業して直ぐに日本へ渡り、四月に神大に入学した、湖北省出身の子だと言って、履歴書を僕に渡す。


「仕事したいって言うから、前に現場、連れて行ったんだけど、もう、全然ダメね。話にならない。で、そこのファミマで働かせてくださいって言ったら、店長が出てきて、ウチは外国人は働けませんって」


「ひどいな、それ」


 翔はサワーをひと息で飲み干すと、紹介できる仕事はないかとBに頼んでいた。翔と同じく高卒で就職したBは、鶴見にある断熱材工場で働いていた。以前同じ部署にベトナム人実習生がいると話していたから、翔はそれを覚えていたのだろう。Bはハチノスをひとくち頬張ると、腕を組んで思案するように長く咀嚼していた。


「無理だよ。オレんところは正社員しか募集してないの。学生じゃフルタイムで働けないし、清掃スタッフならワンちゃんあるかもだけど、それだって日本語がわからないんじゃ厳しいかな」


 Bの勤める工場は東京に本社をかまえる上場企業で、待遇もかなり良い。その分仕事内容も複雑で、普通の工場のような、バイトでもこなせる単純作業ではないと言った。


 Bからそう告げられると、翔はあからさまに落胆していた。サワーを飲む干す息継ぎのタイミングでため息をこぼしていた。まあ無理もないよ、今は日本人でも仕事が見つかんないんだからさ。そう言おうとして、ふと日本語の喋れない留学生は、どうやってお金を稼いでいるのだろうかと思った。コンビニやファミレスで働いている外国人は、皆マニュアル通りの定型文を反芻して接客しているが、それでもきちんと会話ができているし、意思疎通も図れた。それで困ったことなど一度もない。けれど翔の紹介したこの学生のように、日本語がまったくわからず来日した人間も一定数いるのは確かだ。そういう異国の地で会話のできない人間は、いったいどんな仕事をして金を稼いでいるのだろうか。


 考えてみると、今まで自分が会ってきた外国人の中に、まったく日本語の通じない人はいなかったように感じて驚く。今はまだ少ないが、この先多くの日本語をしゃべれない外国人が押し寄せてパニックになるのではないだろうか。日本に来る外国人の数が増えたのは、駅前に新しくできた異国料理店や、コリアンタウンに出入りする客層を見ても明らかだった。


「ミズキ」

 翔に突然呼ばれて視線を戻す。ジョッキに入った烏龍ハイは氷が溶けて薄くなっている。取手の部分が汗でも湧き出たかのようにぬるぬるして、慌てておしぼりで水滴を拭いた。


「ミズキは、なんの仕事、してるんだっけ」

 その質問が一番困る。出かかった言葉を水だけの烏龍ハイで流し込む。嫌な苦みだけが喉に残った。


「俺?俺はね、弁当屋で働いてるよ」

「何日?」

「週四日」


 Bに視線を移すと、彼は手つかずのお通しのきんぴらごぼうを噛みながらスマホを見ている。翔の話に飽きたのか、それとも自分には関係ないと感じてわざと黙っているのか、ライトに反射した眠たげな瞼は、酒の酔いで垂れ下がっているように見えた。


「そこで働けない?」

「うーん、無理かな」

「なんで?」


 言葉が詰まる。取手に指をかけたが、もうジョッキには氷しか残っていない。「朝が早いんだよ、五時とか。それに作業も細かいから、覚えるのに時間がかかる」


「だいじょうぶ、オレ、アイツに教えるから」


「大学生だろう?だったら朝はキツいんじゃないか」


「それも平気、九時までだったらいけるって」


 自信満々な口調は、酔いからくる気の大きさであって欲しいと願う。童鉾櫌。十九歳。まだ来日して半年も経たない中国人と、同じ職場で働いている絵はそう簡単には浮かんでこない。けれどなぜだが僕の脳裏には、つい三か月前にパートで入った蔡さんの、唐揚げをトレイに上げる豪快な手つきが大きく映し出されていた。


 結局、翔に無理やり履歴書を押しつけられ、「店長に話してみるよ」と容易く引き受けたものの、本気にはしていなかった。来週会った時は、もう忘れているだろうと思っていた。彼にはそういう気まぐれなところがままある。翔は僕ら三人分の会計を済ませると、「ビリヤードの約束があるから」と電動チャリにまたがって、元気よく片手を振って去って行った。よく行く飲み屋のおっさんとビリヤードの練習があるらしい。残された僕とBは、コリアンタウンを逸れて家路へ向かう。家の方向は同じで、ここから二十分もしない。中学時代はよくこうしてふたりで帰った。Bと並んで歩きながら、先ほどの翔との会話を、彼はどのように思っていたのだろうかと、聞いてみたくなって、何気なく声をかけようとした時、Bは急に立ち止まると


「もう一軒寄らない?」

「俺はいいけど、明日も仕事だろ」

 明日はまだ金曜日だった。


「まあ、まだこの時間だしね」


 スマートウォッチで時間を確認したBは、「ちょっと歩くか」と僕の前を行く。普段は作業着だが、飲みに行く時は必ず無地のTシャツにハーフパンツ。中学時代よりも伸びた前髪は、キッチリ真ん中で分けられている。さっきの店で話せなかったことがまだあるのだろうか、それともまだ気分が上がらず、飲み足りていないのか。そう訝りながら、僕は黙って彼の後に付いていった。


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