IRE
「はぁ……」
全ての授業が終り、未だに教室に残っているクラスメイト達が数人ずつ寄り集まって複数のグループを作る。明日からの予定を楽しげに語り合う者や、部活動が始まる前の暇潰しをしているだけの者達などで話す話題は様々だ。
そんな教室の様子を見て誠は小さく溜息をつきながら鞄に教科書を片付けていた。授業用のタブレットもコンセントを引き抜き鞄へ入れる。今日は帰ってから予備校へ行かなければならない。タブレットは予備校での講義に必須アイテムだ。(ぶはっ、アイテムやてw 俺もかなりゲームに毒されてきてんなw)
「連取くん、ちょっと良い、かな?」
不意に誠の近くの席に集まっていたクラスの女子達の一人におずおずと声を掛けられた。確か名前は平河さんだったか?クラス替えからまだ一ヶ月だ。まだまだ新しいクラスメイトの名前と顔が一致していない誠が遠慮がちに笑顔を作る。
「あ〜…確かヒラカワさん、だったよね?何かな」
「きゃっ♪私の名前覚えててくれたんだぁ、嬉しい! あ、良かったら、なんだけどね?私達これからクラスの親睦会みたいな?そんな感じでカラオケ行こうかと思ってるんだけど… 連取くんも一緒にどうかな?時間ない?」
「あ、そうなんだね。…ごめん。今日は予備校行かなきゃなんだよね…俺は進学希望なんでさ、学校の指定校推奨狙ってて… せっかく誘ってくれたのに、ごめんね。また機会があれば次は時間作るからさ、また誘ってやって?ほんとごめんね」
両手を合わせて申し訳なさそうに苦笑い。ついでに片目を閉じてやれば、平河さんの頬が赤く染まるのが分かった。(チョロ〜…これだから容姿にしか興味無い輩は扱いやすいんよw 分かりやすwww)
「あ!そんな、大丈夫だよ。急に声掛けた私達も悪いから… けど、連取くんてC組の衣世田さんと付き合ってるのかと思ってたから、声掛けにくかったんだ〜」
「衣世田って…マキの事だよね?違う違うw あいつとは家が隣りで幼馴染ってだけだよ。付き合うとか無い無いw」
そう言ってやれば、平河さんは分かりやすく笑顔になった。めっちゃ嬉しそうやんw 分かりやす!この娘も来月あたりには落せそうじゃね?はあぁ、つまんねぇ女… やっぱ面喰い女は尻軽ばっかりや…
「そ、そうなんだ〜…衣世田さんてメチャクチャ美人だし身長も高いでしょ?モデル体型だし…女子の後輩の子にもすっごい人気有るのよ?確かファンクラブも有るはず…」
「はあっ!? それマジで言うてる?ギャハハハハハッ!マジウケるw それ本人にも伝えとくわw ぶふふっ、ぷっ、ふ、ファンクラブて…アハハハハハ…」
「え?…連取くん、イントネーションが…」
おっと、アカンあかんw
「アハハ… ああ、ごめんね。そろそろ行かなきゃ。
平河さん、誘ってくれてありがとうね!今度、時間作るからさ…(次は二人で遊びに行こうよ…)、じゃあ皆は楽しんできてね?バイバイ♪」
「えっ!?…あ、うん!ま、またね!誠くん♡」
ちょっと囁いてやれば平河さんは真っ赤な顔で手を振り返す。ホンマにチョロそうな娘やなw ガキのくせにメス顔してんで… 気やすぅ名前呼ぶなやクソ女… はぁ、我ながら病んどるのぉ…
俺は昼間、部室で見た真樹の変顔を思い出し、今夜ログインするのが楽しみで仕方ない。ファンクラブの話をしたらノリとマキは、どんな顔するんやろ♪ワクワクが止まらへんw
昼間のマキの変顔が瞼に浮かんでは消える。
(クックック… 早う予備校終わらへんかな)誠は思わずニヤニヤしてしまう口元を隠すように小走りしながら帰り路を急いだ…
◆
「…おい。てめえ今何て言った?ああ?!」
「え!…い、いやぁ俺はその… あ、あくまでも噂、そ、そうだ、う、噂を思い出しただけだッて!」
「『真樹は玉とバットを扱うのが上手い』だったかぁ?…ああ!? 今さっき確かに、そうほざいたよなっ!? シャレじゃ済まさねぇぞ… 俺はダチをコケにされて黙ってるようなヘタレじゃねぇ!!!」
紀雅が襟首を持ち上げて顔を近付けているのは、来年就職する予定の工務店で働く先輩だ。身長191cmのノリマサに凄まれて言葉遣いが可怪しくなってはいるが、彼は今年22才になる立派?な社会人ではある。
「いやいやいや、コケになんてしてないって!ただノリマサくんなら、女なんて選り取りみどりだろうに、何故あんな無愛想で阿婆擦れたゴボウ女と蔓んでるのが勿体ないなぁ〜、な、なんてねぇ…?
──ぅぼほぉっ!?…ギャッ!ぐぼぉはぁっ……あが…アバババば……ご、ごべん、ば、……ざ………」
───ゴツゴツッ!ゴキゴキッ、ガッガッガッ…
興行中のプロレス会場かフルコンタクト空手の試合中でしか聴かれないような拳で骨を打つような打撃音が暫く続く。無表情に先輩社員になるはずだった男の顔を殴り続ける紀雅を周りの社員が漸く止めたのは、仲間から"カジくん"と呼ばれ一目置かれて半グレ集団に片足を突っ込んでいた格闘技経験者の彼の前歯が全て折られた後だった…
◆
「はあ……」
奇しくも"レント"こと連取 誠と似たような溜息を吐きながら遠藤 紀雅は駅のホームで電車を待っていた。就職予定でアルバイトしていた工務店は先ほどシッカリ、クビを言い渡されている。
「ダチの悪口を言うなって言ったのに… あいつバカ過ぎじゃねぇ?…ん〜?けど阿婆擦れって、どういう意味だ?…まさか褒め言葉じゃない、よな? …あれ?」
慌ててスマホで言葉の意味を検索する。羅列された言葉の数々は決して人を褒める時に使う言葉では無かい。とりあえずホッとする紀雅。
「やっぱり悪口じゃねーかっ!あの野郎〜…次は指も折っとくか… いや、いっその事、まるっと産廃車に押し込むか…」
などと凡そ高校生らしからぬ凶悪な思考に身を沈ませながら紀雅はこれから遊ぶゲームで幼馴染たちと会話するのを楽しみに思う。
(阿婆擦れか…意味は分からねーけど、言ったらマキがどんな反応するかたのしみだな♪早く電車来ね〜かな…)
◆
5才になったばかりの頃に三人は幼馴染になった。
父親が服役したために離婚した真樹の母親が実家に娘と引越してきたからだ。元々、紀雅と誠の住んでいた公営住宅は築年数も古く、低所得者層か孤独な老人しか住まないような地域である。
当然のように治安も悪く、月に一度くらいの頻度で殺人か孤独死の起るような土地柄だった。
公営住宅から最寄り駅までのアーケード街には閉店した店も多く、開店している店の明かりよりシャッターが閉じたままの店が目立ち、うらぶれた雰囲気が漂う。
駅前通りには指定暴力団の事務所が複数点在しており、軒を連ねたまま寂れた風俗店の前には破落戸が道行くサラリーマンに頻りに声を掛けていた。
貧乏人の子沢山を体現したような家庭が多い地域だったが、逆に遊び相手が豊富になり子供達には返って良かったのかもしれない。皆元気に夜更けまで外で遊ぶような悪ガキばかりだった。そんな現代日本とは思えない、昭和初期のような賑やかな環境で三人は幼馴染になった。
しかし、社会に不満を抱えた者や、スネに傷を持つ一癖二癖有るような大人が集まる劣悪な環境は、自然と地域の治安も低下させた。向上心の無い人間が多く集まり、怠惰を煮詰めたような掃き溜めに三人の住まいは在った。
器量に恵まれていた誠は小一の時に変態女から散々に弄ばれ性被害の犠牲者になった。表には出さないが今だに深いトラウマを抱えている。
小賢しく小生意気で身長に恵まれていた紀雅は、より悪知恵の回るチンピラに良いように利用され、自覚も無く年寄り相手の詐欺の片棒を担いだりさせられていた。たまたま違法な薬を捌く手伝いをさせられていた時に地元警察に補導され、諸々の余罪で家裁送りとなった。
他所の土地から来た真樹は父親こそ犯罪者ではあったが、育った環境が良かったのか、はたまた天真爛漫な母親の影響なのか、或いは本人の生来の気質であったのか、何事にも ひたむきに取組む、明るく真っ直ぐな少女だった。
明るい場所ほど濃く暗い影が伸びるように。深く傷付いて闇に囚われていた誠と紀雅が、天真爛漫な真樹の明るさに引き寄せられたのは、ある意味必然だったのかもしれない。
そんな真樹が、中学三年生の時に部活のソフトボール部全国大会で決勝まで勝ち上がった。希望の無い掃き溜めの様な場所に暮らす人々が、同じ掃き溜めから出た小さな希望を応援したくなる気持ちは理解できた。
決勝戦には自治会がマイクロバスまで用意して応援に駆け付けた。バスは補助席まで埋まった。
地域の皆の声援を一身に受け、真樹は7回裏(ソフトボールの最終回)まで無失点。 完全試合は目前、スコアボードは0対0の同点だった。
最終回ツーアウト、最後のバッターは4番センターのオリンピック強化選手。それをツースリーまで追い込んだ真樹。
しかし強敵を前にしても真向勝負を挑む真樹が、利腕の左肩の痛みに顔を青ざめさせている。額には大量の汗が浮かんでいる。
監督さんも汗を掻きながらタイムを取ってマウンドに駆け寄る。チームメイト達もマウンドに集まってきた。
必死に真樹を説得するように身振り手振りを加えて話し掛ける監督とチームメイト。 けれども真樹は涙を拭い、監督さんに何回も何回も頭を横に振りながら唇を噛み締めていた… 何だっけ…?
『玉とバットの扱いが上手い阿婆擦れ』なぁ…
思い出す度に湧き上がる怒りに顔が熱くなってるのが自分でも分かる。たぶん真っ赤になってるなw
やっぱアイツは産廃車に突っ込むしかないな…許せそうにねぇわw あの時の真樹の姿が脳裏に浮かぶ。 紀雅は拳を握り締めたまま駅のホームに近付く電車へ乗り込もうと前に出た…
結果的に紀雅は手を下していない。
ただ、半グレにもなれなかった一人の成人男性が、紀雅達の住む街からいつの間にか居なくなっていた事を紀雅は大人になってから噂話程度に聴いたが、それが"カジくん"だと紀雅思い出す事は無かっただけの話だ…




