閑話:隠れ転生
私の父、吾妻 吾巳に関する記憶は必ず競艇場とセットだ…江戸川、戸田、船橋に在るレース場を転々とする日々。
レース場の湖が激しく波打ち6艘の小型ボートが白く泡立つ水飛沫を引き連れながら第一コーナーへ我先にと侵入して行く。差したり捲ったりと忙しく入れ替わる順位に観客達は一喜一憂する。
1コーナーを周る寸前、ボートに搭乗した6色のレーサー達が各々のタイミングで一斉に立ち上がり、船が起こした慣性の法則を味方に付けるべく必死にハンドルを握り締めて身体を揺らす。
父はそんなキラキラ光る水面を走るボートへ、顔を真っ赤にして必死に叫んで声援を送っていたっけ…
ある日、珍しく的中した舟券を換金する場所に並んでいた父の前に居たお爺さんが急に苦しみ出した。
胸を押さえて蹲ってしまったお爺さん。父は多少の焦りを見せながらもそのお爺さんの脈を計り瞳孔の開き具合を確認してから救急車を呼ぶように係員に指示を出す。
そして当時レース場に必ず用意されていたAEDを躊躇なく父が使用したお陰で、その日お爺さんの命は長らえられた。
私は横で茫然と呆けた顔をして父の袖を掴んでいただけ… 私は当時まだ4才だったらしい…
私が自分の年齢を知ったのは母に引き取られて苗字が衣世田に変わってからだった… 何故父と別れて暮す事になったのか知らなかった。 何故母と離れ離れに暮していたの?何故苗字が変わったの?何故父は私を迎えに来ないの?
《なんでお父ちゃんは帰って来ないの?》
私が母にそう訊ねると、決まって母はとても哀しげに私の頬に手を添えてこう言った。
《お父ちゃんは悪い事をして捕まったんだよ》
私が父を最後に見た時、父は人助けをしていたはずだ。そんな父が悪い事をしたなんて信じられなかった…いや、信じたくなかった…
《お父ちゃんは悪い大人じゃ無いもん!》
私がそう言って泣き出すと、母は私を抱きしめて声を殺して一緒に泣いた。母の温もりと耳元の荒い息遣い、そして時々嗚咽を堪えて漏れる小さな小さな母の泣く声
…母が呟く。
《そうかもね…》
母はそう言って私を抱き締める腕に力をいれる。
《真樹が良い子じゃないから?》
母が私の頭を優しく撫でる。
《そうじゃない、違うよ》
《じゃあ?悪い子だから?》
母が身体を離して私を見る。瞳は涙に濡れている。
《いいえ。あなたは悪くないよ…》
《お父ちゃんに会いたいよぉ〜…》
その日、私は強くなりたいと強く願った…
父を連れて行って返さない警察。新しく出来た私の友達を虐めて泣かして喜ぶオバサン。私の友達を騙して私の大嫌いな警察へ突き出した髪の毛を鶏のように赤く染めたお兄さん。…母を泣かす私の言葉も…
みんなみんな、大嫌い…私の大切な人を虐めたり泣かせたりする人も、母を困らせてばかりいる私も、全部まとめて大嫌いだ…
………
……
…
「衣世田、残念だがピッチャー交代しよう。君には未来が有る。これ以上投げたら左肩が壊れてしまうかもしれない。今も痛みが有るんだろう?だから…ライトの坂下 萌と交代…良いな?」
監督がタイムを取り自らマウンドまで歩いて来た。 (本当は自分でも分かってる)たぶん次に全力で投げたら、私の肩を支えてくれた大事な何かが千切れると思う。単に私の感覚だけど…肩の痛みと情け無さで涙が溢れてくる。チクショー!私はなんて弱いんだ…
私は集まってくれたチームメイトの顔を見渡す。
皆、私の心配をしてくれている。無理しないで、私達を信じて任せて、最終回まで点が取れなかった私達のせいなんだから…
マキちゃんは悪くないんだから…
誰かがそう言った。
そうかもしれないと思った。 私だけが悪いんじゃないとも思う。 私達はチーム皆で決勝まで来たんだ。 勝ちも負けもそれは皆で分かち合うべき… けど…私が悪くないなら皆が悪いの?… 違う、と思った…誰も悪くない! けれど、もし負けたら…皆は自分が悪かったと考えるのかな…もちろん私も……それは嫌。物凄く嫌だな…そう思った。
(なんて簡単な事で悩んでたんだろう…)
次の一球を私が投げれば良いだけ。もちろん敬遠は申告しない。 だって私はあと一球しか投げれない。 ここでもし打たれて負けても私が悪いだけだ…私の我儘なんだし。 それに、もしかしたら空振りしてくれるかもw バッターボックスで何回も素振りをして私を待つ打者、彼女はオリンピック強化選手。ガタイも良いし目も良い。ボール球は見逃され、厳しいコースを狙いたストレートは全てファールされる。私達は彼女からワンストライク取るだけでヘトヘトになっているのに、彼女は笑顔まで浮かべる余裕が有る。チクショー、あんた凄えよ… その彼女をツースリーまで追い込んだのは私達だ。 このチャンスをモノにしたいのは相手も同じだろう。 肩が壊れるから逃げる?まさか…勝つためなら肩なんて壊れたってかまうものかよw
私は顔を上げて監督と皆を見る。皆、不安そうに私を見ている。皆にそんな顔をさせて申し訳なく思う。
「監督、皆、心配掛けてごめんね… だけど私、投げたい! これが最後の一球になっても構わない。 こんな最高に整ったマウンドを降りたくないよ! ツースリーまで追い込んだ四番打者相手にイモを引くなんて女が廃るってもんでしょ♪ …だからね、監督?」
皆は笑ってくれたけど監督だけは、とても困った顔をしあて私を見つめている。 何故だかお父ちゃんを思い出した。監督は一度目を閉じてから私を見た。
「衣世田、お前の気持ちは分かった。 衣世田に任せる… みんなもそれで悔いは無いんだな?!」
「「「──はいっ!!!!」」」
皆が監督に返した。私の背中をバシバシと叩いて気合いを注入して行く…痛い。思わず笑みが溢れた。
「よしっ!晴れ舞台だぞ衣世田♪ 悔いの無いよう全力で行けよ!!! ヘタレて変化球なんぞ投げんな!全力でやっちまえ!」
「はいっ!!!!」
私はたぶん、あの時、私の生涯で一番の"嬉しい"を皆から貰ったんだと思う… みんな、ありがとう…
………
……
…
◆
「……マキちゃんっ!」
何だかとても懐かしい夢を見た…
私は高校生になってソフトボールから離れた。 だってもう、私達が必死にその背中を追い掛けていたマキちゃんはマウンドに立てないんだから… 中学生最後で最高の舞台で、マキちゃんの投げた球が私の後ろに引かれた白線を大きく超えて行くのを見送った …本塁打。
打った本人が驚いたように一拍打球を見送っていた。さっさと走れよ豚ゴリラが!よくもマキちゃんの渾身のストレートを打ち返しやがって… くそっ!
気付けば視界は歪み、私の瞳から溢れた涙が止まらない。チクショー!私がもっと投球練習に力を入れていれば、マキちゃんの肩の負担を減らせたかもしれないのに…悔しいよ…けど今更、何を言っても後の祭りだ。私は涙を拭う事も忘れてマウンドで茫然としているマキちゃんの元へ走る。
他の皆は、その場で泣き崩れていた。
私も泣いている。けれど中学最後の試合はマキちゃんと共に泣きたかった。抱き締めてあげたかった。マキちゃんは最後までマキちゃんで居てくれたのだから。マキちゃんは、肩の故障を気にしてイモを引くような女じゃなかった!最高だった。最高にカッコ良かったよ!…今この瞬間に同じグラウンドで共に泣けた事を一生誇りに思うよ。
マキちゃん、ありがとう…
………
……
…
「マッケイン中尉、どうされましたか?先ほどあのハーフリングを見掛けてから様子が変です。あのハーフリングと面識が?」
私達は地獄のダンジョンレベリングを先週終え、今は一週間の特別休暇を堪能している。 私には前世の記憶が残っている。駅のホームで電車を待っていた時、マキちゃんと仲の良い遠藤くんを見掛けて声を掛けようと近付いた時、彼が見知らぬ人に突き飛ばされる現場に、たまたま居合わせてしまったのだ。
思わず彼を助けようとして手を延ばしたのが失敗だった。電車に撥ねられた彼の身体が私に直撃した瞬間までは記憶にある。
なんてツイてないのかしら…
そう思っていた。ヨーダと名乗るハーフリングの頭で寝ている妖精を見るまでは…これは間違いなく運命だ。
マキちゃん、やっぱり私達はずっ友なのね♪
もう離れないんだから……




