第九十四話 すべての道は名張に続く
「道、だと……」
クロイが、低く呟いた。
竪穴にいる者たちも、
大体は同じような表情をしていた。
なにを言っているのか分からない。
そんな顔だ。
当然だろう。
「はい。道です」
俺は、もう一度言った。
「名張が欲しいのは、
三野の環濠ではありません」
火床の火が、ぱちりと鳴る。
「名張は小さな村です。
兵も少なく、倉も十分ではありません」
これは、隠しても仕方がない。
名張が弱いことなど、
ここにいる、誰もが知っているのだから。
「三野の環濠を奪ったところで、
それを治め続けることは最初から不可能です」
この時代は直接統治が基本だ。
そのためには、名張の指示に従う、
忠実な将が何人も必要になる。
そんな忠実な将ですら、
本拠から離れるほどに野心に目覚めて、
最終的には独立されてしまう。
報告、連絡、相談に時間が掛かり過ぎる。
それらを短縮化する必要がある。
つまりは道、通信、それによる組織化。
それらを構築をなくして、
直轄地を増やすことには意味がないのだ。
どれだけ領土を広げようが。
離れた土地から、順次、
独立されていくだけなのだから。
――――――――――
「道など、どこにでもあろうが」
イワネが言った。
「道とは、ただの踏み跡ではありません」
俺は、首を横に振る。
「人が安心して歩ける道。
荷を奪われずに運べる道のことです」
「今までは、力のある者が、
それぞれの道を押さえてきました」
「さらには、どの環濠にも属さぬ悪党が、
荷を奪っていくことすらあります」
俺は、土の上に指で線を引いてみせる。
「名張から北へ進めば、三野。
西へ進めば、三輪に繋がります」
線を一本。
さらに、もう一本。
三輪、名張、三野が、
一直線の道に繋がっていく。
「ただ、道が繋がるだけでは荷は増えません。
通る者は怯え、隠れ、流れが滞ります」
「それを、名張が守ると言うのか」
クロイが問う。
さすがに、話が早い。
「名張だけでは無理です」
俺は即答した。
「だからこそ、繋げるのです」
「名張は、名張の道を見る。
三野と波多で北の道を見て、
三輪が西の道を見る」
「そうすることで、
荷と、人が往来を始めます」
火床の火が揺れる。
その光が、
クロイの目に映っていた。
――――――――――
「荷が通れば、何が変わるのでしょう……」
ナトリの声が、わずかに震えた。
先ほどよりも身を乗り出している。
思考が先へ進み、未来を考え始めている。
そんな目をしていた。
「波多の糧、名張の木材……、
三輪の交易品が巡ることでしょう」
「それぞれに足りないものを、
他から、得られるようになるのです」
「だが、いつも倉が、
余るほどに満ちてるとは限らぬぞ」
「だからこそ、道がいるのです」
「足りない時にこそ、道が、命を繋ぎます」
ナトリが、じっと、こちらを見ていた。
この意味を身をもって一番知るのは、
おそらく、ナトリだろう。
「道があれば、飢えた環濠は助けを求められます。
そして、荷が増えれば、争いが減ります」
「逆ではないのか」
クロイが言う。
「人が集まれば、奪う者も増えるぞ」
「だから、道を守る者が必要になります」
「誰かが責任を持って守る道でなければ、
ただの獣道と変わりません」
クロイの目が細くなった。
この人も、もう気づいている。
俺が、どこへ、話を運ぼうとしているのかを。
――――――――――
「名張は、三野を奪うつもりはありません」
俺は言った。
「その逆です」
「三野と波多には、常に、
強くあってもらう必要があるのです」
高彦は強かった。
だが、足らぬ時には他所から取り上げ、
逆らう者は力で斬り伏せる。
その強さは、豊かさを、
作りあげるものではなかった。
「三野が安定すれば、名張が助かります。
名張が安定すれば、三野にも荷が届きます」
「この流れの、どこに、
名張が三野の環濠を奪う必要がありましょう」
「なるほど、だから、
道を繋げば争いが減るわけか」
クロイは感嘆の声をあげた。
「争い、奪おうとするほど荷が減り、
損をするということですね」
さすがにナトリは呑み込みが早い。
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「では……そのつまり、
名張は、三野に何を求めるというのだ」
クロイが、改めて問う。
「三野から名張、それから、
三輪までを繋ぐ荷車の通れる道の開拓」
「そして、その間を往く者たちの安全を守る、
武の提供を求めます」
「それだけでいいのか?」
「それだけです」
沈黙が落ちた。
そのためなら、この本環濠は返すし。
三野の民を奪い上げることなどもしない。
する理由もない。
「ふむ……」
クロイは火床を見ていた。
しばらくの間、何も言わなかった。
そして。
「我は、名張と道を繋ごうと思う……」
ぽつりとクロイは呟いた。
その言葉を、誰も遮らなかった。
三野の息子の口から出たその言葉が、
父の時代の終わりを告げていた。
竪穴の中に、火の音だけが静かに響く。




