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卑弥呼転生 ~現代知識で邪馬台国を作り、倭を統べる兄~  作者: 露李鈴
186年:冬九章「三野の大乱」

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第八十八話 ★高彦:失われた帰る場所

◇ 【三野臣高彦みののおみたかひこ】視点 ◇



「なぜだ」


 思わず、声が漏れる。


 日が傾き始めていた。

 丘には長い影が落ちている。


 その丘の下では、クロイたちの兵が、

 静かな動きを見せていた。



「なぜ、貴様らが、兵を退くのだ」


 まだ、勝負はついていない。


 兵が崩れたのではない。

 恐れをなして逃げるのでもない。


 盾を構えたまま、槍を乱さず。

 整然と前線を下げていく。



 まるで、そのすべてが、

 はじめから予定されてたように。



――――――――――


「タカヒコ様、これは……」


 フクロウが、不安げな声を漏らした。


 この男と、長く行動を共にしてきたが、

 かような声を出すのは珍しい。



「わからぬ……」


 丘の麓では。


 次々に、波多の兵が橋を渡っていき、

 環濠の門をくぐり、内へ戻る。


 そして、波多の環濠の門は、閉ざされた。



 一方、クロイの兵は、

 環濠よりも南の小高い丘へ向かう。


 波多の環濠からの援護の矢が届くよう、

 寄り添うように陣を構えた。




「環濠を攻めれば、我らを橋で足止めし、

 その間にクロイの兵が横から突き……」


「南の丘を攻めれば、環濠から、

 ナトリの兵が横腹を突くわけか……」


 つまり。


 攻められた側が固く守り、

 もう片方が、こちらの側面を突く構え。


 もう、むこうには、

 攻める意思がないということでもある。



 数刻前までは、

 我らが、丘の上で受ける側だった。


 我らは、クロイが上がってくるのを待ち、

 それを受けていればよかった。


 それが、あの黒煙の上がった瞬間。


 すべてが一変した。



 この我らが。


 三野臣高彦みののおみたかひこの率いる兵が。


 時間に追われる側へと、

 その立場を、入れ替えられたのだ。



――――――――――


「追いますか」


 フクロウが聞いてくる。


 まだ、クロイの殿しんがりの兵たちは、

 丘を下っている途中である。



「今、この瞬間にでも丘を駆けおりて、

 奴らに槍を突き立てれば、

 手傷を負わせることはできよう」


 退く兵は弱い。

 背を見せる兵は脆い。


「だが、それが、何になるというのだ」


 我らが失ったものは、

 丘の下における勝ち負けではない。


 三野の環濠だ。


 我らの帰る場所であり、

 兵の腹を満たす倉、そのものだ。


 クロイの兵を散らしたところで、

 三野の環濠は戻らない。



「波多の環濠まで奪い切れるならば、

 まだ、道はあるが……」


 それは、クロイも承知の上だろう。

 だからこその守りの構え。


 勝つことを目的とせず、

 クロイに、守りに徹されたならば。


 今から波多の環濠を奪い取るのは、

 さすがに厳しい。



「せめて、一刻前に我が動いていれば……」


 この丘で、クロイの兵を叩き潰しておけば。



 自軍の被害を恐れずに全力で攻めれば、

 今頃、我は勝っていたのだ。


 だが、揺るぎない勝利の中で、

 被害を最小限に抑えようとしてしまった。


 そこに、余裕を持ってしまった。



 その間に、

 この戦の意味が――


 何者かの手によって塗り替えられた。



 もう、この野戦の勝ち負けでは、

 この盤上は動かぬだろう。



――――――――――


「三野の環濠に戻りますか?」


「馬鹿を言うな」


 我は、黒煙の上がる方角を見た。



「事態はもう変わった。

 この盤は、我の負けだ……」


 口にした瞬間、胸の奥がひどく冷えた。

 だが、認めねばならぬ。


 認めぬ者から死んでいくのだ。




 三野の環濠が敵の手に落ちた。


 そこに誰がいるのか。


 門がどうなっているのか。

 橋は、倉は、どうなっているのか。


 何も分からぬ。


 容易に奪い返せるかもしれない。

 だが、その先に予想を超える者がいた場合。


 最悪、我らが百の兵が挟まれる。


 それは最悪の手だ。


 何も分からぬ場所へ、

 迂闊に飛び込むことはできぬ。




「では、この丘に留まりますか」


「それもできぬ」


 百の兵は力だ。

 だが、百の腹は重い。


 持たせてきた糧は数日分にすぎない。


 環濠を失った以上、

 そこから先の腹が満たせない。



 そして、最大の問題は、

 我らの兵が目にしていることだ。


 我らが環濠の方角に立ち昇る。


 あの黒煙を――



 これ以上、

 ここに留まれば兵の心が腐る。


 敗色が濃くなれば、

 兵は自然と瓦解していく。


 その前になんとかせねば。



――――――――――


「北へ退く」


 我は告げた。


殿しんがりを決めておけ……急ぐが、乱すな。

 崩れればクロイに食われるぞ」


「北、となると……阿閉臣あとじのおみを頼るのですか」


「しかたあるまい」


 その名、口にするだけで、腹正しい。




 阿閉あとじ――


 北の山を越えた先に、村を構える者たち。


 阿閉に、伊賀。


 我ら三野と、

 祖を同じくする者たち。




「百の兵を引き連れていくのならば、

 受け入れてもくれよう」


 阿閉に着く頃には、

 もう、百は残っていないかもしれぬが。



 敗戦となれば兵の統率は崩れる。


 勝手に家へ戻ろうとする者。

 敵に寝返ろうとする者。


 兵は、あっという間に散り散りとなる。

 そのような惨状を幾度も見てきた。


 そうなる前に動かねばならぬ。




 我は、黒煙を睨む。


 どこだ。


 どこで、我の盤は狂ったのだ。


 波多の環濠を囲んだ時か。


 クロイと対峙した時か。



 いや――


 あの、白く立ちのぼる謎の煙か。



 我は、いつから。

 敵の盤上で踊らされていたのだ。


 いくら考えても答えは出ない。


 ただ、黒い煙だけが、

 夕暮れに染まる空へと伸びていた。


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