第八十七話 ★高彦:勝利を告げる煙
◇ 【三野臣高彦】視点 ◇
ついに、戦いの火蓋が切られた。
丘の下から、クロイの兵が駆け上がってくる。
迎え討つように、我が兵も槍を構えた。
風が鳴る。
草が揺れる。
兵どもの息が、
ひとつの獣のように荒くなる。
――――――――――
「矢を射かけよ。敵を寄せつけるな」
弦が鳴り、矢が空を裂く。
幾重もの矢の雨が丘に降りそそぐ。
「矢が来るぞ、盾を用意」
クロイの号令で、
兵たちは、頭上高くに盾を掲げる。
「こちらも矢を撃ち返せ」
前衛が矢を受けながら、
後衛が、必死に矢を撃ち返してくる。
「ふむ、よく訓練された動きだ……」
だが、こちらは丘の上。
あちらは丘の下。
矢の届く力も、狙える場所も、
地の利によってまるで違ってくる。
「左の弓持ちを、さらに外へ」
すこし離れたところでは、
フクロウが、伝令を走らせている。
将の声は大きくなければならぬ。
だが、大きな声だけでは、
細かな動きまでは伝えきれない。
細かな声を、必要なところへ走らせる。
それで、初めて陣は動くのだ。
――――――――――
矢の射かけ合いが続いた。
だが、お互いに倒れる兵は少ない。
時間だけが過ぎていった。
クロイは機を伺っているのか、
慎重すぎるほどに、その距離を取ったまま。
「この距離の矢では、
互いに、決め手には欠けるが……」
だが、それもよい。
こちらは上、あちらは下。
盾を上げさせ、足を止めさせ、息を乱れさせる。
立たせておくだけで兵は疲れていく。
また、倒れる者は出ていないが、
負傷する者が見てとれる。
もちろん、クロイの兵に被害は大きい。
さらに時間が過ぎるほどに、
我と、クロイの軍の差が開いていく。
時間は、こちらの味方だ。
――――――――――
そんな時。
「む、陣形を変えてきたか」
クロイの兵が、中央に集まっていく。
盾持ちを一箇所に集め、守りを固め、
力任せに抜けるつもりだろう。
前方からの弓に対して、
たしかに、それが正しい判断だろう。
我が、何も手を打たぬのなら、だがな……。
「弓持ちを、左右へ広げて、
側面に弓が通るようにせよ」
正面を守れば横が薄くなる。
横を守れば、前が鈍る。
我が、その選択を強いた時点で、
すでに勝ちが決まったのだ。
「くっ、左右にも盾をまわせ」
クロイの悲痛な号令が丘に響きわたる。
前方から、左右にも盾持ちが広がる。
それは貝のように身を固くした。
「馬鹿め、それでは前へ出られまい」
我は笑った。
盾を固めれば足は鈍る。
足が鈍れば、丘を登れぬ。
耐えるだけでは、
いずれ、兵の息が切れる。
「惜しいな、クロイ」
将としての器はあろう。
だが、兵が足らねば、
どうにもならぬ。
戦は、知恵だけでするものではない。
兵の数、兵の腹、兵の足。
そして地の利。
それらを整えた者が勝つのだ。
――――――――――
陽が、傾き始めるころまで。
派手な突撃もなく、
槍と槍が噛み合うこともなかった。
互いに矢を射かけ、
盾を上げさせ、また射かける。
「つまらぬ戦だ……」
だが、勝つ側にとっては、
つまらぬ戦ほど、ありがたいものはない。
クロイの陣は崩れていない。
だが、削れていた。
兵は疲れ、血が流れている。
それに比べ、我が軍の槍持ちは、
その体力が温存されている。
怪我をしている者すら、いない。
「そろそろだな」
あとは最後のひと押し、
我が、槍持ちの総突撃にて崩れるだろう。
思ったより、あっさりと終わりそうだ。
我は、最後の号令をかけるため、
手を上に掲げる。
その時――
「なんだ、あの煙」
兵たちの間から声があがる。
「煙……昼に見た、
あの細い煙のことか?」
我は、丘の上から、
地平のむこうに視線をむけた。
違う。
場所が違う。
昼の煙は、波多の環濠より外れ。
その高みから上がっていた。
それは細く白い煙、
なにかを伝えるための煙だった。
だが、今見える煙は、もっと遠く。
「あの方角は……」
三野の本拠となる環濠……。
我の、治める環濠だ。
「それに、あの色は」
細い合図に用いる煙ではない。
「黒く、太く……濃い煙……」
あれは、物の焼ける煙だ。
「フクロウっ」
煙から目を離さずに大声で呼んだ。
「はっ」
「あれは、どこだ……」
フクロウは、
すぐには答えなかった。
その沈黙が、妙に長く感じられる。
「我らが環濠のように見えます」
瞬間、丘に強い風が吹いた。
丘の草がざわりと鳴る。
丘の下では、クロイの兵が、
まだ盾を固めている。
その、さらに向こうには、
波多の兵の姿もある。
そのはるか遠くで。
我らの環濠から、
黒い煙が、上がっている。
物の焼け、村が焦げる、
あの濃い煙が立ち昇っていた。
我は、今、なにと戦っているのだ――




