第八十五話 ★高彦:丘上の布陣
◇【三野臣高彦】視点◇
波多の環濠より北。
その小高い丘に、我は兵を並べていく。
急ぐ必要はない。
百の兵を乱して走らせるより、
ゆっくりと、確かに陣を整えるほうがよい。
槍持ちを前方に厚く固め、
弓持ちを後ろ、小高い丘に上げる。
左右には、足の速い若い者を散らす。
丘の斜面には、所々に草と低い木があり、
そこへ、弓持ちを置けば、下からは狙いづらい。
逆に、丘の上からは狙いやすい。
丘の下では、三野之黒犬の兵が動いていた。
その数、五十ほど。
こちらの半分。
それでも、クロイに従う者だけあって、
ただの寄せ集めではない。
その陣形に並ぶ足取りからも見てわかった。
だが、よく見える。
丘の上から、クロイの陣容のすべてが、
手に取るように見えている。
どこに兵を厚く置きたいのか。
どこを薄く見せたいのか。
どの道を空けて、こちらを誘いたいのか。
丘の上から陣容が覗ければ、
その、思惑までが自然と見えてくるのだ。
戦において、高い場所を取るということは、
ただ、弓が届きやすくなるというだけではない。
だから、我は、ここに先に陣取った。
クロイにも、それは分かっているはずだ。
兵の数で劣り。
さらに地形によって、
陣形においても不利を負うことを。
だが、クロイには、
どうすることもできないのだ。
そうなるように、我が、機を見定めて、
ここまで進めてきたのだから。
――――――――――
「今のうちに、攻めかけてはいかがでしょう」
三野之梟が横に来て、静かに言った。
「クロイ様が、波多と合流する前に叩けば、
数の利はさらに大きくなります」
我は、丘の下を見て笑ってみせる。
「波多の兵など、三十ほどよ」
「はっ」
「それも、腹を減らした弱兵……、
そんなもの、合流させてしまって構わん」
「おっしゃる通りで」
フクロウは黙って頭を下げた。
この男は分かっている。
ただ、あえて聞いてくるのだ。
我の思惑を言葉にさせ、
まわりの者にも、その意図を知らせるために。
こういう役目も、まあ、大事よのう。
「我らは、この丘で奴らが出てくるのを待つ」
我は告げた。
「丘を駆けのぼる奴らを、弓で削る」
「やつらの槍が、我らへ届く頃には、
兵の差は、さらに圧倒的となるだろう」
丘の下では、クロイの兵が、
横へ長く伸びていく。
普通に考えれば、
矢の被害を散らすためのものだが。
クロイは、そんな単純な男ではない。
こちらの形を見ながら、
なにかしら、揺さぶるつもりなのだろう。
だが、甘い。
そんなことで判断を見誤るものか。
この状況、手堅く進めれば、
我の勝ちは堅いのだ。
さすがのクロイであっても、
この時点で、すでに状況が悪すぎる。
――――――――――
「もし、クロイ様が、この丘を避け、
我らの本拠である環濠へ向かわれた場合は」
フクロウが、また問うてくる。
「そんな愚行、クロイがするとは思えんが……」
我は、丘の下の陣を見る。
「あやつが我らの本環濠へ向かえば、
望み通り、背後から押し潰してくれよう」
「陣形は丸見えなのだ」
我は指を伸ばし、丘の下を示した。
フクロウだけでなく、
近くにいた兵たちも視線を下へ向ける。
「我らを誘うための罠の構えなのか、
本当に三野の環濠を目指すのか、
その違いも、ここからなら一目瞭然だ」
一方的に相手の陣形が見られる。
それはつまり相手の動き、
その意図の先まで見て取れるということだ。
「タカヒコさま、あれを……」
フクロウが丘の下に指を向ける。
クロイの陣から、数人が進み出てきた。
中央には黒い衣。
三野之黒犬だ。
「ほう……」
我は目を細める。
クロイは、こちらへ、
まっすぐ登ってくるわけではない。
我らの矢が届かぬ、
ちょうどよいところで足を止める。
「我も出るぞ」
「良いのですか……?」
「会戦の前に、互いの言葉を交わす、
一種の儀のようなものだ……」
古くからの慣わしのひとつ。
最近では、戦のことばかりに気を取られ、
そんなことをする者も減ったが。
誰と、誰が戦い。
そこに何を懸けるのか。
それらを敵味方の兵の前に示す場だ。
さすが、ナトリとは違う。
我も、フクロウと、
数人の護衛を連れて丘の縁へ進んだ。
――――――――――
「父上」
丘の下から、クロイが大きな声を張り上げた。
「来たか、馬鹿息子め」
丘の上から、我も声を張り上げる。
互いの声が聞こえる距離。
だが、矢は届かない距離である。
この会戦前の儀において、
愚かにも油断して討ち取られる者なども、
過去には、いくらでもいる。
その点、さすがはクロイ。
遠すぎず、近すぎない、
実にちょうどよい距離を取る。
腹立たしくなるほどに、
よく測っている。
実に愉快だ。
「フクロウ」
「はっ」
「弓を下げさせよ。
だが、弦から指は離させるな」
「御意」
兵たちに、静かな緊張が走る。
――――――――――
我は、さらに一歩前へ出る。
丘の風が、我の衣の裾を揺らしていた。
「父に、その爪を向ける前に、
言うべきことがあるなら聞いてやろう」
クロイは、丘の下から見上げてくる。
怯えるでもなく。
怒るでもなく。
ただ、こちらを測ろうとする目。
アラカの目には、父である我に、
尊敬の意がこめられていた。
だが、クロイの目には、
それが微塵もない。
昔から、あの目が、
気に食わなかったのだ。




