第八十三話 ★高彦:波多を囲む
◇【三野臣高彦】視点◇
波多の環濠は、静まり返っていた。
「囲みを狭めすぎるな、
逃げ場を消せば、鼠でも噛むからな」
我の率いる百の兵が、そのまわりを取り囲む。
槍持ちを前へ、弓持ちを後ろへ。
逃げ道になりそうな細道には、山道を知る者を置いた。
「東の見張りはどうだ?」
隣の、三野之梟へ問う。
「クロイ様に動きがあれば、
すぐに、報せが走りましょう」
三野之黒犬。
あの小賢しい息子が、
この状況を黙って見過ごすはずがない。
波多の環濠が落ちれば、次は、自分の番。
それが、わからぬような愚鈍ではない。
必ず動きを見せる。
それでよい。
とくと見せてやろうぞ。
おぬしらの父の爪が、
まだ、いささかも鈍っておらぬことを。
――――――――――
「波多の環濠から、人影数名」
橋のむこうへ視線を向ける。
息子のひとり、三野之鳴鳥の姿があった。
「父上」
ナトリの大きな図体が、橋に膝をつく。
その声は震えていない。
だが、顔色が悪い。
ろくに物を食べてないのかもしれない。
「…………」
我は返事をしない。
沈黙は、それだけで重みを持つ。
ナトリの横で、老いた男も膝をついた。
「三野臣高彦様……、
我は波多之古鷹にございます」
「……知っておる」
昔は、この辺りで名を馳せた腕自慢も、
寄せる年波には勝てぬようだ。
それらの後ろに護衛らしき者が数名。
だが、槍も、弓も構えていない。
争う意思がないことを、
ナトリは、我に見せにきたのだろう。
――――――――――
「なぜ、我が来たか、分かっておるな」
ナトリは、わずかに顔を伏せる。
「名張より持ち込まれた品のことかと」
「事実だと認めるのだな」
「隠していたわけではございません」
ナトリは慎重に言葉を選んでいる。
「コダカらが、名張の旧知の者を訪ねた際、
名張臣より、個人的に渡されたもの」
「名張の倉から、波多の倉へ納めたものでは、
断じてございません」
そういって、ナトリは、さらに頭を下げた。
「父上、波多に反意はございません。
私は三野の子にございます」
その言葉は本意であろう。
温厚なナトリらしい、裏表を感じさせない声だ。
だが、それだと、こちらが困るのでな。
「先の、名張攻めの後でなお、
名張に訪ねられる旧知の者がいる、とな……」
ナトリの肩が、わずかに動いた。
「負けるはずのない三野の敗走。
身内に不届き者がいなかったかと思っての……」
遠巻きに見ている、波多の女。
竪穴の入口で息を潜める、波多の子。
槍を手に震えている、波多の若衆。
みな、我らを恐れている。それでよい。
「アラカの不審な死、その背後に、
糸を引く者があったなら、絶対に許せぬ」
「そんなことは、決してありませぬ」
ナトリが、これまでにない声をあげた。
悔しいことに、あの戦。
アラカの力不足だったことは確かだろう。
戦のあとの報告を受けて、
我は、べつに疑ってはいない。
だが――
「アラカを殺し、三野の兵を傷つけ、
面目を踏みにじった村から施しを受ける者を、
我らに信じよというのか」
今、このまわりが見てる前では、
疑いがあるという形にした方が都合がよいのだ。
――――――――――
「恐れながら、あれは、この私め、
コダカが勝手に受けたものにございます」
コダカが、土に額を近づけた。
「コダカ、おぬしは、波多の者だったな」
「……はっ」
「波多は、誰の下にある?」
コダカは、すぐには答えなかった。
波多の古狸には、耐え難い屈辱であろう。
「……三野臣高彦様の下にございます」
怒りをこらえきれず、声が震えておるわ。
「ならば、波多の者が受けた物は、
誰の下にあるべきなのだ」
「……三野臣様の下に、あるべきかと」
「そうだ、分かっておるではないか」
我は頷いた。
「父上、あれは、わずかなものです」
ナトリが顔を上げる。
「あの程度、三野の足しにもならぬ量、
なにも、そのような物まで取り上げなくても」
古くから仕えてきた忠臣のため、
ナトリは、必死に懇願してみせてきた。
環濠の長としては正しい反応だ。
戦はできぬが、
環濠の長としては、それなりに使える。
波多の筋を背負う者でなければ、
重用してやっても、よかったのだがな……。
「量の問題ではなかろう」
我は、ナトリの言葉を遮った。
「三野の倉を預かる波多が、
名張の情けに縋のが問題だと言ってる」
橋の向こうで、護衛の一人が、
唇を噛むのが見えた。
誰のせいでこうなった、
……とでも言いたいのだろう。
コダカは動かない。
ナトリだけが、我を見ている。
すでに、父を見る目ではなかった。
自らの主にむける目でもない。
倉を奪いに来た「略奪者」を見る目だ。
その目を、もう少し早く持てたならば、
事態は変わったかもしれんがな。
――――――――――
「ナトリ、反意はないと言ったな」
我は、一歩前へ出る。
「ございません」
「ならば、示せ」
三野の槍が揺れる。
「名張より受けた物を、三野へ差し出せ」
「父上、それは……」
「そして、波多の倉を、三野に開けよ」
一陣の風が通り抜ける。
それは、とても冷たい冬の風だった。
「それは……あまりにも……」
ナトリは言葉を失っていた。
それもそのはず。
他所者に倉を開かせる。
それは、環濠を明け渡すという事を意味する。
「波多に反意がないと言うなら倉を開け、
三野臣の前に、その腹のうちを見せよ」
ナトリは答えない。
コダカも、護衛たちも、動かない。
だが、環濠の内側にいる、
波多の者たちの息が止まるのを、
我は確かに感じた。
それでよい――
恐れよ。
思い出せよ。
波多の倉が、誰の下にあるのかを。
力を持たずして富を持つ者が、
どのようになるのかを。
波多には、思い知らさねばならぬ。




