第八十二話 ★高彦:戦の準備をせよ
◇【三野臣高彦】視点◇
「皆、迅速に戦の準備をせよ」
我の号令に、
竪穴の者たちが一斉に頭を垂れる。
次の瞬間には、
三野が慌ただしく動き始めた。
いつ見ても、この瞬間は胸がすく。
誰もが無駄なく最大限に動く。
それを実感できる瞬間だ。
――――――――――
「梟はいるか」
我が呼ぶと、火明かりの端から、
ひとりの男が姿を現した。
三野之梟。
古くからの側近である。
武の者ではないが、
夜の音を拾い、人の顔色を読む。
環濠の隙間に入り込むような男だった。
「波多のほうは、いかようだ」
「予定より、波多の環濠は安定しております」
それは、本来ありえないことだ。
波多の腹を細らせ、こちらを仰がせる。
そのつもりで、倉から取り立てたはずなのだ。
「名張より、波多に品が持ち込まれたとか。
食べ物に、薪などを幾らか……」
また、名張か。
最近は、何をするにも、
その名を耳にする。
三野の地で好き勝手な振る舞い、
実に腹立たしい限りだ。
「三野の名を冠するナトリが、
名張ごときに施しを受けるなど許されぬ」
三野之鳴鳥。
豊穣な波多の筋を引く者。
かの地を手にするために、
わざわざ、波多の娘を側室に迎えた。
アレは、大した器量もない女だったが。
その腹に生まれた息子も、槍ひとつ満足に持てぬ。
鈍く、愚かな息子だった。
それでも、波多の倉を得るために、
これまで泳がせてきた。
それを、いきなり横から、
名張などに奪われてたまるものか。
「まずは、波多の環濠を囲む」
「はっ」
「それから話を聞くとしよう。
あの腑抜けに、我と戦う器量はあるまい」
話し合い、と言葉にすれば、そうなる。
だが、兵に囲まれた環濠で交わす言葉など、
ただの言葉ではない。
服従して、全てを差し出すか、
抵抗して命を捨てるか。
それを選ばせるための場に過ぎない。
――――――――――
戦の支度を整えて外へ出ると、
吐く息が白かった。
まだ、冬の寒さが残っている。
「クロイには、使いを出したか」
その名を口にした瞬間、
まわりの兵たちが緊張に固まった。
三野之黒犬。
アラカを失った今……。
三野の前に立つべき男のはずが、
我の呼び出しに応じなくなっていた。
「二度にわたり使いを出しましたが……」
フクロウが、わずかに間を置いた。
その時点で答えは分かっている。
「返事は、ございませぬ」
竪穴の奥で、誰かが息を呑んだ。
我は、そちらを見ない。
まわりに怒りを見せすぎてはならない。
怒りは刃だ。
見せる時を誤れば、自分の手を切る。
「ならば、クロイも待っているのだろう。
我が波多へ向かうのを」
クロイは見ている。
波多を、詰めにいく我を。
ナトリが動き、波多がどう揺れるかを。
そのうえで、自分の兵を動かすつもりなのだろう。
実に腹立たしい息子どもだ。
だが、クロイは、
我が子ながらに油断もできない。
幼いころから小賢しいヤツだった。
「それにしても……、
こうも揃って息子に嫌われるとはな」
おもわず自嘲の笑いがこぼれた。
「我に槍の才能はあっても、
子育ての才はなかったようだな……」
ふと、空を見上げると、
今は亡き、アラカの顔が見えた気がした。
我の前で槍を振るうことを誇った、
武の道に生きた息子。
そのアラカは、もういない。
ならば、作り直すだけだ。
腐った根を掘り返し、従わぬ者を一掃する。
そのうえで、
また新たな子をこさえればよかろう。
「三野は、我が作り上げたのだ」
代々の地ではある。
だが、この我が整え、最大限に引き上げた。
いずれは、北の阿閉を飲み込み、
西の三輪を制する。
その予定だったのだが。
まあ、また、我の手で立て直すだけよ。
「兵を百、動かし、
三野の本環濠には十五を残す」
フクロウの目が、わずかに動いた。
「十五のみで、ございますか?」
「波多のむこう、黒犬の兵もまとめて、
相手にするやもしれぬ」
「御意」
それ以上、言わなかった。
――――――――――
「それでは皆の衆、
これより、波多へ向かう」
まわりに聞かせるように声を張った。
準備を整えた兵の列が、
大きくざわめく。
「愚かな息子どもに代わり、
我、三野臣高彦が直々に戦を見せてやろう」
歓声が湧き上がる。
戦の前の、この昂り。
いくつ歳を重ねようとも、
最高の刺激である。




