第八十話 隠の火種
ナトリの使者の来訪から、
一夜が明けた。
まだ、薄暗い朝方。
東の山の端が白みはじめ、
名張に薄い朝日が落ちはじめるころ。
環濠の橋のそばに、
コダカ、ワカバ、カゲハの姿があった。
「よろしくお願いいたします」
波多の使者として、
コダカが、深く頭をさげる。
「こちらこそ頼んだ」
名張の村長として、
シラガが、返事をした。
波多との話し合いは、
おだやかな、まとまりをみせた。
だが、この瞬間も、那婆理の民たちによる、
村周囲の警戒を怠っていない。
それ以外の村の者達には、
今も、事情を知らせていない。
早起きしている村人たちは、
今、一時的に橋から遠ざけていた。
最後まで警戒を解かない。
今は、それでいい。
――――――――――
「こちらの籠をおもちください」
俺の言葉を合図に、
三つの背負い籠が運ばれてくる。
中には粟に稗、豆。
それに乾いた薪が入っていた。
「これは……いったい……。
昨夜の話では、まだ助けはないと」
コダカの目が見開かれる。
波多と、名張が繋がったことは秘密である。
だから三野之鳴鳥に助けは出せない。
「これは、ナトリ殿にではありません」
俺は静かに言った。
その後、シラガが一歩前に出る。
「これはわしから、コダカ殿へ、
昔から知る者へ、個人的に渡すものじゃ」
「私へ……ですか……?」
コダカは目を丸くした。
あくまで、名張臣白髪から、
古くから知る波多之古鷹へ渡す、
個人的な贈り物という形をとる。
そういうことだ。
「冬は容赦がありませんので。
環濠の火を絶やさず、どうか、ご無事で……」
俺は後ろから声をかける。
それは、波多の環濠、
すべてを救えるほどの量ではない。
それでも、冬の厳しさを、
凌ぐための足しにはなるだろう。
「かたじけない……ッ」
コダカは、深々と頭を下げた。
「ナトリ様に、よろしくお伝えください」
「必ずや……」
コダカは、震えを押し殺すように頷いた。
それから、波多からの使者たちは、
名張の環濠の橋をわたり、三野へと帰る。
人目を忍びながら、山を越えての、
厳しい道のりとなるだろう。
――――――――――
遠ざかっていく三人の姿を、
俺は、見送る。
そんな時、冬を告げる、
肌に刺さるような冷たい風が吹いた。
「これでよいのだな」
後ろのタケが、小さく呟いた。
「これが名張のためですから」
コダカに渡した冬を越える助けは、
同時に、三野を割るための布石である。
シラガから、コダカに対する、
個人的な贈り物だろうと。
そんなものを三野臣が見逃すわけもない。
量ではない。
名張が、波多の火を絶やすなと渡した。
その事実こそが重いのだ。
そうすれば、どうなるか……。
それは火を見るよりも明らかである。
「さすがに胸が痛むのう……」
シラガは、背中を向けたまま溜息をつく。
ひとつの村長として思うこともあるだろう。
「助けとしては確かなものを渡してます。
あとは、ナトリ殿次第ですよ」
「そうじゃな」
名張がひとつの環濠として生きてるように。
波多も、自分の足で地に立っている。
手にあるものを、どのように活かし、
目の前に転がる機を、活かすも殺すも。
あとは、長の責である――
――――――――――
動きがあるのは、おそらく来年の春。
雪がゆるみ、道が開き、
飢えの厳しさが表へ出始める頃。
三野に送った小さな火種が、
どのように、燃え広がるのか。
あとは、ゆっくりと見させてもらおう。
火は、三野へ渡った。




