第七十五話 冬支度の名張
◇【イミナ】視点◇
「さて、行くか」
早朝の山の小屋で、
俺と、イミコは荷づくりをしていた。
土器、火切弓、干した薬草。
栗の袋に、替えの衣。
冬のあいだ、
俺たちは、山の小屋を離れる。
名張村の竪穴住居で暮らすことになった。
「村で、過ごすの……たのしみ……」
籠に荷を詰めながら、
イミコは、頬を緩ませている。
「冬の間だけだけどね」
「うん……でも、みんなと一緒……」
かつては、恐ろしいだけの季節。
それが、今ではイミコは胸を弾ませている。
そんな変化が、なにより嬉しかった。
「あまり浮かれすぎて、転ばないようにね」
「……んっ」
イミコは、大事そうに籠を背負い直した。
――――――――――
山道を下り、名張村の広場に入ると、
いくつもの籠と土器が並んでいた。
村は、冬支度の最中だった。
「すぐ食べる米には、この黒札。
春まで残す米には、こちらの赤札を」
広場の中央では、アサメが、
忙しなく女衆へ指示を出していた。
春に火の管理を任せてから、
アサメは、見違えるほど頼もしくなった。
火床、食べもの、子どもたち、病人の世話。
村の内側を支える仕事の多くを、
今では、彼女が束ねている。
近頃は、シラガも、
アサメの言葉によく耳を傾けていた。
「あら、イミナさま、火巫女さま」
俺たちに気づいたアサメが、笑顔を向ける。
「隠の倉から、今日の分です。
村へ運ぶ分はこれで最後になります」
俺は、小さな袋を差し出した。
「ありがとうございます」
アサメは袋を受け取ると、
すぐに、赤く焦がした木札を結んだ。
文字はまだないが、印は作れる。
「札を始めてから楽になりました。
一目で見分けられますし……、
口伝えよりも、ずっと確かですから」
「大事が起きる時は、いつも、
些細な間違いの積み重ねですからね」
俺がそう言うと。
「本当に、その通りです」
アサメは苦笑してみせた。
その目元には、わずかな疲れが見えた。
皆の見えないところで、
様々な調整を担っているのだろう。
その苦労は、外から見えるよりも、
ずっと大きいはずだ。
イミコが、そっと前へ出る。
「いつも、ありがとう……、
みんなで、村、まもっていこうね」
たどたどしい声だった。
それでも、アサメは目元を押さえた。
「火巫女さま……ありがたき、御言葉です……」
村人たちの視線が、一斉にイミコへ集まる。
温かさと畏れが混じった目だった。
イミコが村の中心になっていく。
それは、俺が望んだことでもあるけれど。
その信仰が日に日に濃くなっている。
そんなことに、俺は、
わずかばかりの不安を覚えていた。
――――――――――
広場を抜けたあと、
薪を貯める倉へ立ち寄った。
乾いた木の香りが、
ふんわりと鼻をくすぐる。
「おお、イミナ殿……ぬしらの過ごす竪穴は、
もう少し村の奥になりますぞ」
シラガが笑顔で出迎えた。
「ええ。少し見ておきたくて」
そう答えて、倉の中を見渡す。
壁際には割られた薪が積まれていた。
その他に、細い枝、太い薪、
火つけの草束が整然と並んでいる。
冬のあいだ、この薪が村の命を守る。
「ずいぶん集まりましたね」
「村の子らや若衆が、よく働いてくれてのう」
シラガの声に、隠しきれない誇らしさがあった。
三野との戦を越えてから、
村には目に見えて活気が戻っている。
誰かに命じられるだけではない。
それぞれが、自分の役割を考えて動き始めていた。
「まきのにおい、すき……」
「火になる匂いだからな」
「ひに、なる……」
イミコは小さく頷いた。
火が尽きることの恐ろしさを、
俺たちは痛いほど知っている。
だからこそ、積まれた薪の山が、
ただの木ではなく、命そのものに見えた。
――――――――――
頭上高くに陽が昇るころ、
俺たちは、目的の竪穴住居へ着いた。
「あ、イミナさま……火巫女さま……。
竪穴の支度は整っております」
ユラが、入口で出迎えてくれる。
草屋根は厚く葺かれ、
入口には風除けが設けられ、
その壁際には乾いた草が敷かれていた。
「これは、ずいぶん立派ですね……」
冬の間だけ過ごす場所だから、
簡素でいいと伝えておいたはずなのだが。
ユラは静かに頭を下げる。
「火の巫女様に、寒い思いを、
させるわけにはまいりませんから」
「ありがとう、ユラさん……すごい……」
イミコが目を輝かせた。
炉の石ひとつ、草の敷き方ひとつ、
風の入り方まで考えられている。
「にぃに……ふゆ、こわいけど、でも……、
もう、さみしくないね……」
胸の奥が静かに熱くなった。
かつての冬は、泥のような小屋の中だった。
たがいの体温に縋りながら、
ただ、朝が来ることを祈っていた。
それは、イミナの記憶として、
確かに残っている。
「そうだな」
だが、今は違う。
家のまわりに、人がいる。
分け合えるだけの食べものがある。
村を守る火がある。
「もう、ひとりじゃない」
俺は、イミコの頭に手を置いた。
イミコは、嬉しそうに笑った。
――――――――――
◇【タケ】視点◇
その日の夜、名張の山中に、
一陣の風が吹きこんだ。
「なんだこれは……」
狩猟を続けて、いつもよりも、
遅くなってしまったが。
そこに、急に現われた違和感。
他の那婆理の者達に目配せをする。
まわりも静かに息を殺す。
名張の山中。
みっつの影が、
よろめきながら歩いている。
獣にしては不用意であり、
三野からの襲撃にしては弱々しい。
そんな、不穏の影が、
名張の村に向かって歩き続けていた。




