第七十話 火の巫女の収穫祭・前
名張の山に、
夜のとばりが下りる頃。
秋の冷えもまた、村へ降りていた。
だが、今夜ばかりは、
村の誰も竪穴に戻ろうとしない。
今宵は「収穫」を祝う宴。
村の広場では「巫女の火」が赤々と燃え盛る。
そのまわりには煤けた土器がいくつも並び、
白い湯気を立てていた。
――――――――――
「いいにおい……」
イミコが、俺の袖を握る。
広場の「巫女の火」にかけられた土器の中では、
主役となる「初穂の粥」が煮えていた。
それとは別に、広場の中央には。
米、粟、稗、豆。
それに、別茹でした栗。
干した菜、小魚、燻し肉などを添えもの。
それらが、村の皆に見えるように、
横一列に整然と並べてあった。
村の恵みに感謝を告げるための儀である。
どれもが、少しずつ。
それでも、いつもの食事とは、
比べようもないほどの御馳走だった。
米の甘い匂いと、煙を帯びた肉の匂いが、
名張の村を包み込んでいく。
「こら、まだですよ」
アサメが、笑って叱る。
「はやく食べたいよ」
恥ずかしそうに腹を押さえながら、
それでも、子どもたちが笑い合っていた。
腹の鳴る音に、笑える――
それは、食に飢える村では、
決して見ることのできない光景であった。
――――――――――
「火の巫女様」
ユラが、イミコの前で膝をついた。
その手には、初穂の粥がよそわれた、
小さな器がある。
米、粟、稗に豆を、
一緒に煮込んだ雑穀の粥。
その上には、
黄金色の栗が飾られている。
「わぁ、おいしそう……」
イミコの目が、ぱっと輝く。
だが、すぐに隣の俺に視線をむけて、
困ったような表情を浮かべる。
「みんなで、一緒、食べないの……?」
「皆で食べる前に、ありがとうって見せるんだよ。
水に、火に、田に、みんなの手に……」
「……ん……わかった……」
イミコは、その小さな両手で器を受け取ると、
広場の「巫女の火」の前へ進み出た。
巫女の火の光が、イミコの頬を赤く照らす。
器を、火の前に置くと、
一歩下がり、ぺこりと頭を下げる。
これらの儀の作法については、
あらかじめ、シラガに教わっていた。
――――――――――
「火のかみさま、いつも、ありがとう……」
イミコの言葉に村が静まる。
「水のかみさまも、田のかみさまも、
そして、この場のみんなも、ありがとう……」
イミコの澄んだ声が、名張の広場に響きわたる。
それは、まるで歌のようにも聞こえた。
続いて、イミコは、
火の前に置いた器をそっと取りあげる。
ふうふう、と息を吹きかけて、
その熱をやわらげる。
それから、小さく、ひと口。
その「初穂の粥」を口に含んだ瞬間、
イミコの表情は固まった。
「……おいひぃ……」
ただ、それだけの光景に。
俺の目からは、
不意に、一筋の涙がこぼれた。
* * *
初めて彼女と出会った日には、
泥水をすすり、野草の根を分け合った。
わずかに起こした小さな火を前に、
凍えないように身体を寄せ合い、夜を過ごした。
* * *
そんな子が、今――
村の皆に慕われ、見守られながら。
神の御前で「初穂の粥」を食べている。
これが、守りたかったものなのだ。
目のまえの光景に、
あらためて俺は決意を固くした。




