第六十九話 黄金色の田
「……わぁ、きれい……」
稲穂が頭を垂れていた。
秋の風が吹くたびに、
重く実った穂がざわわと揺れる。
春には、頼りないほど細かった苗たちが。
巫女の沢の水辺で、名張の陽を浴びた稲は、
水田の一面を黄金色に染めていた。
――――――――――
ぴぃ、と――
あたりに笛が鳴りひびく。
戦の場で何度も耳にした音なのに、
ここでは、どこか明るく楽しげに感じた。
「さあ、始めるぞ!」
イワホコの野太い声が飛ぶ。
男衆が籠を担ぎ、女衆が裾をまくって田へ入る。
名張の者たちが総出で動き出した。
女衆が腰を落とし、実った穂へ手を伸ばす。
子どもたちは落ち穂を拾う。
落ちた一粒さえ、
この時代では貴重な米だった。
男衆の籠に穂の束が重なっていく。
ひと束、また、ひと束。
流れるように収穫作業が進んでいく。
「みんな、笛の音に遅れないよう……に、きゃあ」
アサメがまわりに声をかけた時、
泥に足を取られて、尻もちをついてしまった。
ばしゃっと派手な水音が、名張の田に響きわたる。
まわりに、どっと笑いが起きる。
「泥の神に、礼を捧げたぞ!」
「豊作の礼じゃな!」
そんなくだらない言葉が飛び交う。
そのひとつひとつに、
どこか、ぬくもりを感じた。
そんな時。
ぴぃ、と笛が鳴る。
笑っていた者たちが、
すぐに、また手を動かす。
その足は止まらない、列は乱れない。
けれど、誰も苦しんでいない。
皆が笛の音に合わせ、
ひと穂ずつ、名張の未来を摘み取っていく。
その顔は、どれも明るかった。
――――――――――
「火の巫女様、こちらへ」
そんな時、ユラに支えられながら、
イミコは田の浅いところに足を入れていた。
「ひゃ……ぬるってした……」
イミコの反応に、
まわりの女衆に笑顔が浮かぶ。
「……っ」
思わず伸ばしかけた手を、
俺は、途中で止めた。
これから、イミコを支えるのは、
俺だけではいけない。
* * *
山で孤立して過ごしていた頃、
イミコの世界には、イミナだけだった。
だが、名張の村に受け入れられてから、
その世界は少しずつ広がっている。
舌足らずだった言葉も、
ゆっくりと上達している。
ユラや、アサメをはじめ……。
他の村の人たちに囲まれて、
成長しているのが、目に見えてわかった。
* * *
「……にぃに」
そんなことを考えていると。
黄金色に垂れた穂先を大事そうに抱えて、
俺の、目のまえに立っていた。
「どうした?」
「この子たち……重い……」
それは、苗を植えた区画の稲。
これまでの「直播き」の田から収穫した穂より、
その実の育ちは、目に見えて違っていた。
この結果は強い。
来年は、もっと広い区画で、
多くの「苗植え」が行えるだろう。
「春は、あんなに細かったのに、
こんなに、いっぱい……」
イミコは、振り返り、まわりに広がる、
黄金色の田をみわたした。
「これ、みんなで、育てたんだね……」
誰かが鼻をすすった。
誰かが笑った。
丁度、ぴぃ、と笛が鳴る。
今度の笛の音は、
どこか、誇らしげに聞こえた
――――――――――
夕暮れの近づく頃には、
田の大半を、刈り終えていた。
「ふむ」
シラガが、畦の上に立った。
村人たちの視線が集まり、笛の音が止む。
「豊作じゃな……」
かすれた声だった。
だが、その一言は、まわりの全員へ届いた。
「名張に、これほどの穂が垂れたのは、
いつ以来であろうな」
ひとりの女が、顔を手で覆った。
飢えに苦しんだ時を思い出したのだろう。
若衆が、堪えきれなくなり拳を上げる。
「豊作じゃ!」
子どもたちが続く。
「ほうさく! ほうさく!」
たちまち、田のまわりに歓声が広がっていく。
「これじゃ、倉が足りぬぞ」
そんな名張の盛り上がりを、
イワホコが、なかば呆れたように笑った。
「名張で、そんな心配をする日が来るとはな」
タケは、騒ぐ村人たちから少し離れて、
静かに穂束を見下ろしていた。
「これなら、みんなで冬を越せそうですね」
俺は、小さく呟いた。
「だが、浮かれすぎるなよ、
実りの匂いというものは、外にも届く……」
タケらしい言葉だった。
それでも、そこに不快な表情を、
浮かべる者はいなかった。
その警戒が名張を守るために必要だと、
もう、今は、皆が知っている。
――――――――――
収穫を終えた「巫女の沢」に陽が落ちる。
イミコは、ユラのそばで、
眠たそうに目をこすっている。
その腕には、小さな稲穂が一束、
まるで、宝物のように抱えられていた。
「収穫は十分だ、だけど……」
俺は、村の外れへ目を向ける。
そこには、春から、
積み続けてきたものがある。
落ち葉に草、灰に獣の糞。
土と、草と、灰で重ね、
時を置いたもの。
そろそろだ――
今年の豊かな実りは、
水を整え、人の動きを「整えた実り」だ。
だが、三輪へ示さなければいけない「農」は、
これらの先にあるものだ。
来年は、土に、力を戻していく。
このあと、秋のうちに種を播く麦。
今年の冬を超え、来年に実りをくれる大事な糧だ。
ここに、あの「肥えた土」を用いる。
「来年の収穫は、
こんなものじゃないぞ……」
いまから、俺の胸は、期待に高鳴っていた。




