第六十八話 みんなで守った種
名張山の早朝。
俺は「隠の倉」にいた。
三野との戦の前に移した種籾を、
俺は、布の種袋に分けていく。
いずれは、実りのよい穂から種籾を選り分け、
より良い稲を残していきたい。
だが、それをやるのは、まだ早い。
「よし」
畑で撒く分は、かなりの量になった。
俺一人で運べる量でもない。
だけども、今日から少しずつ村に戻していく。
その、最初の一包みを分けている。
布の端を結び、それらの重さを確かめる。
ひと袋は軽い。
けれど、この種袋の中に、
秘められた名張の「未来」は実に重かった。
「……にぃに、なにしてるの……?」
俺の背後、倉の入口のあたりから声がした。
そこにはイミコが立っていた。
寝起きなのだろう。
その長い黒髪は、ぼさぼさ乱れていた。
目元には眠たげな色が残っている。
「種籾を、少しずつ、村へ戻すんだ。
田に戻す大事な種だからね」
イミコは、俺の手元を覗き込む。
「イミコも……」
小さな袋へ両手を伸ばしてきた。
「重いかもしれないよ」
「……もつ」
真剣な表情だった。
俺は少し笑い、小さな種袋を渡す。
イミコは、それを胸に抱えた。
大切なものだと分かっているのか、
指先に、力がこもっているのが見てわかった。
――――――――――
高床の倉から、一歩、外へ出ると、
朝の空気が肌に触れる。
頬に冷たく、けれど澄んでいた。
倉から見る名張の山。
その眼下、はるか下には名張の村が見える。
朝の炊事を告げる細い煙が、
いくつも、ゆっくりと上がり始めていた。
「足元、きをつけて」
俺たちは二人で山道をくだる。
「……ありがと……」
かつては獣道に近かった細い道。
いまでは、ずいぶんと踏み固められていた。
「みんなの道だね……」
イミコが、小さな足で土を踏みながら言った。
村の女衆が荷を運んだ。
子供や、年寄りが山へ逃げた。
男衆が、戦の後始末に行き来した。
人が往来すれば獣道は「道」になるのだ。
――――――――――
その時。
東の山の端から、朝日が昇った。
朝日が川面に触れ、
火を映したかのように水面が光輝く。
畑の葉先に宿った露が、
ひとつ、またひとつと光を返した。
名張の屋根が、
順に、明るくなっていく。
「……きれい……」
イミコが、ぽつりと呟いた。
俺も足を止める。
種を運ぶ途中だった。
それでも、目のまえの美しい光景に、
自然と目を奪われていた。
村があり、田があり、畑がある。
そして、今、俺達の腕の中には、
その村を未来に繋げるための「種籾」がある。
「……この種を……にぃには、守ったんだね……」
イミコが、小さな種袋を抱きしめた。
「俺だけじゃないよ、
名張の、みんなで守ったんだ」
「でも、にぃにが……守ろうって、言った……」
そんなイミコの言葉は、
すっと、俺の胸のなかに入ってきた。
* * *
ただ、俺は、イミコを守りたかった。
それだけだった。
この子を寒さから守り、飢えから守る。
名もないまま泥の中に沈んでいく未来から守る。
そのために火を起こし、水を整えた。
村へ降り、気づけば、その火の周りに一人。
また一人と、人が集まってきた。
* * *
そして、今、眼下には、
朝日に照らされ輝く村がある。
俺達の腕の中には、
みんなの手で守り抜いた種がある。
俺が拳を握り、天に誓った想いが、
今では、俺たちの腕一杯にまで広がっていた。
「にぃに……イミナも、この景色、見てるかな……」
「そうだな、イミナも……」
そんな、
ふとした言葉で。
俺の足元から、
一気に、地面が遠ざかる。
イミナも――
「え、いつから……気付いて……」
声が、震える。
喉が、からからに渇く。
「んー、なんとなく……」
イミコは、なんでもないといった様子。
俺が、一人で動揺をしていた。
「にぃにと、イミナ……全然違う……」
「それは、そうだろうけど……」
イミコは、まだ幼い。
そんな変化に気付かないと思っていた。
……そう、思い込みたかったのかもしれない。
「イミコは、怖くなかった?」
我ながらに愚門だった。
言葉にしてから、深い後悔を覚えるほどに。
いきなり、兄が。
見ず知らずの別人になっているのだ。
恐怖に決まっている。
「んー……っ……」
イミコは、少し考えてみせてから。
首を横に振った。
「ぜんぜん、こわくなかったよ……」
イミコは種袋を片手で抱えなおす。
それから――
空いたほうの小さな手を、
俺の胸の上に、そっと重ねてきた。
「だって、イミナ……にぃにと、一緒に……、
今も、そこにいるんだよね?」
「なんで、そう思うの?」
「におい……にぃにの中に、
イミナの匂いもする……そんな感じ……」
「匂い、か……」
やっぱり、この子には、
物事の本質を見る目がある。
理屈でもなく、言葉でもなく、
もっと深いところを見通しているのだろう。
――――――――――
「ずっと黙ってて、ごめん。
いつか、言おうと思ってたんだけど……」
これは本音だ。
イミコに、下手な嘘を吐いてはいけない。
「イミナから頼まれたんだ。
妹のことを、守ってくれって……」
いつぞやの身を焦がすような、
イミナの感情の激流。
あれを、俺は、そう思っている。
「そう、だったんだ……」
イミコの目が、ゆっくりと揺れる。
それは、
悲しみの色ではなく。
どこか、懐かしいものに触れた、
そんな慈しみの表情に見えた。
「寒い時も……おなか、すいた時も……、
イミコが、泣いても……イミナ、怒らなかった……」
「そうだね」
それは、俺の記憶ではない。
でも、その記憶は、
この身体の奥深いところに残っている。
「だから、つぎは……」
イミコは、ゆっくりと呟く。
一度、種袋へ視線を落とし、
それから、朝日に照らされる名張を見た。
「イミコも……守りたい……、
この種も……火も、村のみんなも……」
その声は小さかった。
だけど、よく通る綺麗な声だった。
「にぃにと、イミナと……みんなと、一緒に……」
胸の奥深くで、
なにかが静かに揺れている。
そう感じさせるものがあった。
それが、俺の感情なのか。
この身体に残る、イミナの想いなのか。
はっきりとは分からない。
だけど、皆を守りたいと思う、
その気持はひとつだ。
「ああ、守ろう、この名張を……、
ここが、俺たちの村だ」
絞り出すように俺は呟いた。
「うん」
イミコは、嬉しそうに笑っていた。
■【185年:夏七章「三野の名張侵攻」~完~
次からは「八章「実りの名張」編が始まります。
これまでに苦労が実を結び、名張が一段階、大きく、豊かになります。
そして、次の動乱へむけて強くなる修行編となります。
引き続き、名張の村の皆を、お見守り頂ければ幸いです。




