第六十六話 ★白髪:山を閉じる
◇【名張臣白髪】視点◇
「タケは、アラカの目を奪った」
囲炉裏の火を見つめたまま、
わしは、ゆっくりと口を開いた。
「目を奪うだけでは敵は減らぬが、
迂闊に手を出せば、わしらが呑まれる……」
「それで、どうしたのですか」
マヒトが身を乗り出した。
「そっと触れるのじゃ」
「横から触れては離れ、
後ろで声を出し姿を消す。
前から石を投げては、また退く」
「そうやって、少しずつ、
三野の兵を崩していったのじゃ」
――――――――――
「そもそも、わしらの三人組は、
それぞれが別の役割を担っていたのじゃ」
タケの描いた三つの円に、印を加える。
「タケの兵は、那婆理の民を中心とした、
屈強な者たちで固めた」
それが壱の円。
「イワホコの隊は、槍を持って、
茂みから直接打ちかかる名張の男衆」
それが弐の円。
「そして、わしの隊は……若い者が多くてのう……」
わしは、少しだけ苦笑しながら、
参の円に印をつけていく。
「若衆は石を投げては、鍬を振り上げ、
声を張っては、倒れた敵を引き込んでいった」
若衆たちの中には、本来なら、
戦の場に出ることのない年も混ざっていた。
そんな若者を戦の場に引き出したのは、
村の長である、わしの力不足が招いた事であろう。
もうしわけないばかりじゃ……。
正直、名張の戦える兵は、
二十が限界であっただろう。
だが、前で戦えない者たちにも、
安全な役まわりとして兵の頭数を増やした。
そして、それが、
三野の計算を大きく狂わせたのじゃ。
――――――――――
「三野の最前線に、
タケの隊が弓を射った時じゃ……」
わしは続ける。
「奴らは、初めて、
茂みに足を踏み入れた」
今でも、その瞬間を覚えている。
「タケの隊を追い、矢を射た者を探し、
声のする方へと踏み込んできた」
わしは、年甲斐もなく興奮した。
「その足元に、わしらが、いるとも知らずに」
まだ若いころ、槍を持ち、
初めて戦に出た時のことを思い出した。
血肉沸き立つものじゃ。
「そこを、討ったのですか」
「討った者もおれば、押さえた者もおる」
わしは、言葉を選びながら答える。
「山の中では、三野の伍も、
次第に五人ではおられなくなる……」
不安に恐怖、そして混乱。
「先の一人、遅れる二人、後ろで声を掛ける二人、
わずかに間が開いていくのじゃ……」
「そうなれば、あとは簡単じゃ……」
イワホコの三人組が、
茂みから、槍を突き上げる。
山の上を見上げていた三野の兵が、
足元からの奇襲に崩れ落ちる。
倒れた者は、わしらの若衆が、
茂みの奥へ引きずり込み、木に縛りつける。
そして、笛を鳴らし、すぐに場を離れる。
「あとは、それの繰り返しじゃ」
――――――――――
「だが、三野も馬鹿ではない」
わしは、土に描いた線を少し太くした。
「仲間が消えると、獣道に戻り、
茂みから距離を取って、身を固める」
「その時は……」
マヒトの真剣な眼差しが、わしの顔を射抜く。
「近づかぬ……身を固める敵には、
皆で石を投げつける」
「名張の矢で、三野の盾を抜けぬのでは?」
「そうじゃ……だが、それでいい……」
タケの十本の矢と同じである。
「相手を倒すためではなく、削り、動かせる、
そのための投石じゃ……」
相手が動けば、勝てる場所だけを選んで刺す。
勝てぬ場所では逃げ、動きを止めれば射る。
笛で追い立て、動けば刺す。
そんな時、パチッと火の粉が爆ぜた。
囲炉裏の火の向こうで、
イミナが、静かにこちらを見ていた。
あの子が教えてくれたことは、
まことに単純で、まっとうな道理じゃ。
勝てぬ場所で戦うな――
勝てる場所を作れ――
そんな単純なことを成すためには、
名張の山と、三人組と、笛が必要だったのだ。
――――――――――
「そこで一番重要なのが、イワホコじゃ」
わしは、イワホコへ視線を向けた。
「イワホコは敵の足元を突きながら、
その位置を、徐々に山の下へ動かしていった」
床に描いた三野の列、
その背後に、一本の横線を引く。
「敵が数を減らすにつれて、
少しずつ、逃げ道を塞いでいったのだ」
「三野の者たちは、山で、自分の位置を、
見失っていたように見えたな」
イワホコが、ぼそっと呟いた。
「目の前にいるはずの名張が横にいるだけで、
暗い森の中で、方向感覚は失われていくでしょう」
イミナ殿が、さらっと笑顔で答える。
それは、深い山のなかで遭難した経験でも、
あるかのような言葉だった。
「恐ろしい話だな……」
イワホコが呆れたような声を上げながら、
イミナへ、視線を向けていた。
――――――――――
「途中からは、三野の兵を、
山中に誘導する余裕すらあったのう」
「なんと、それほどまでに」
マヒトが息を呑む。
「アラカの最後、タケの前に出たのも、
決して偶然ではないのじゃ……」
場の空気が変わった。
「アラカは、自らで道を選んでいた、
そう思っていたのだろうが……」
「アイツらの進み道を選んでいたのは、俺だ」
イワホコが短く呟いた。
「ふん……」
タケは何も言わなかった。
ただ、腕に巻かれた布を指で撫でている。
その目は、火の奥でも床の上でもなく、
どこか遠くを見ているようにも見えた。
――――――――――
「線に描けば分かりますが……」
マヒトが、床に残った跡を見つめながら呟いた。
とても熱心な若者だ。
「実際に、山の中で、
これほど上手く動けるものなのですね」
「上手く動けたから、今、生きておるのじゃ」
わしは、苦く笑ってみせる。
一歩違えば、
タケは捕らわれていた。
一音違えば、
三人組は追いつかれていた。
一息遅ければ、
アラカの槍が名張を貫いたのだ。
「そうして、名張の丘の口を完全に閉ざしたら、
あとは、ゆっくりと兵を飲み込んでいくだけじゃな」
囲炉裏の火が、小さく揺れる。
わしと、イワホコの話は、ここで終わりじゃな。
この評定。
最後の統括を話すのは、
もちろん、あの童じゃろうて……。




