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卑弥呼転生 ~「偽りの巫女」を祀る兄~  作者: 露李鈴
【185年:夏】七章「三野の名張侵攻」

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第六十話 手ぶらの勝者

◇【三野之黒犬みののくろい】視点◇



 ここにいる意味がない。


 名張の村の広場で、私は、そう悟った。



――――――――――


 三野に持ちかえる村人の姿は無く、

 倉には糧もない。


 持ち帰るべきものが、何ひとつない。


 それなのに、ここには危険だけがあった。




「どうします、村を焼きますか」


 ナトリが、巫女の火を見上げながら、

 小さく呟いた。



「焼いて、何を得る……」


 村を焼いて、敵に、

 すこしでも被害を与えようにも。


 ここには、人も、糧もない。


 村を焼くとなれば時間を食い、

 煙が上がり、火の始末にも兵を割く。


 その反面、名張に与える被害はわずかだ。



「兵の腹立ちは収まるだろうがな」


 私は、広場の中央で燃える火を見た。


 この何もない村で、なお、赤く揺れている火。



「あれも、足止めするためのものだろう。

 無暗に触れるなよ……」


 火に、意味があるように見せる。

 旗に、意味があるように見せる。


 それらに構っている間に、日が落ちる。

 その間にも周りが見えなくなる。



 手間をかけて、あの炉を破壊したところで。


 あとから作り直せるのだ。


 なんの意味もない。



――――――――――


「名張は隠し倉を作ったのでしょう、探しますか?

 時間をかければ見つけられるかも……」


「時間をかければ、な……」


 私は、空を見上げた。



 赤かった空が、

 暗く沈み始めている。


 丘の上には、まだ煙が残っていた。


 名張が、三輪へ知らせる煙か。

 三野を欺くためだけの煙だったのか。


 もう、それすら分からない。



「山は広い、隠し倉を見つける頃には、

 三輪の兵が近づくかもしれぬ」


 その時に挟まれるのは三野だ。



「何より、山に入ったのはアラカの隊だ」


 四十だ。


 三野の「武の爪」とまで称されたアラカが、

 四十の兵を連れて山に入ったのだ。


 それが、戻らない。


「その山へ、今から、俺たちが入るのか?」


 ナトリは答えなかった。


 分かっているのだ。

 山に入れば、アラカと同じ道を辿ると。




「全員、村を出ろ。

 火も、旗も、捨て置け……」


 兵たちが動き始める。


「何も得ずに……」


 ナトリは悔しそうに唇を噛む。


「何も失わぬために、だ」



 巫女の火の周りで、人形が揺れていた。


 かち、かち、と。

 貝の鳴る音が、背中にまとわりつく。



 私は、もう振り返らなかった。



――――――――――


「せめて、畑を刈っておきますか」


 環濠の外へ出たところで、

 ナトリの目が、環濠の外側に広がる田畑へ向いた。


 三野の「倉の爪」らしい言葉だ。


 正直、私も一瞬迷ったが。

 横に首を振った。



「駄目だ、兵を散らすことになる」


 田を刈るには、兵を散らさねばならない。


 今、暗がりに兵を散らせば、

 万が一、名張に襲われた時に対応ができない。


 田の陰、畦の影、林の端から笛が鳴るかもしれない。


 犬が吠え、矢が飛び。

 気付いた時には兵を削られているかもしれない。



「固まって退く、それしかない」


 私は空を見上げる。

 赤が、黒へ変わろうとしている。


 もう時間がない。



――――――――――


 来た道を戻り、

 名張の丘の麓に差しかかる頃には。


 日は、ほとんど沈んでいた。



「隊を整えろ。槍を外へ向けろ。声を絶やすな」


「アラカの……兄様の隊は、どうしますか」


 ナトリの声は小さかった。



 私は、丘を見上げる。

 木々の奥は黒い。


 その先にアラカがいるはずだ。


 あるいは、いたはずだった。



「麓までは寄る……だが、奥には入らぬ……」


「……兄上」


「兄上が勝っているのなら、そのうち戻る。

 丘を制圧したなら、こちらが入る必要がない」


 実際、そうであってほしい。



「だが、兄上が負けているなら、

 そこには、四十を呑むだけの者が潜んでいる」


 見捨てるのではない。


 見捨てざる得ないのだ。



 アラカは兄だ。


 態度は荒く、事を急ぎ、

 常に己の武を示したがる男だった。


 だが、三野の「武の爪」という誇りでもあった。


 その三野之荒鹿あらかを置いて、退くのだ。


 この判断が正しいと思っていても、

 腹の底が冷えてくる。



「生きていれば、戻られる……」


 ナトリに言ったのか。


 自分に言い聞かせたのか、

 もう、俺にも、分からなかった。



――――――――――


 その時、山の奥から、犬の遠吠えが響いた。


 長く、細く。



 続いて笛が鳴る。


 ひゅう、と。



 それに答えるように、

 続いて、低い笛が鳴り響く。


 ポオォ、と。



 名張の丘は、まだ、生きている――



「兄上は、やはり……もう……」


「口にするな」


 私は、ナトリの言葉を遮った。


「退くぞ、ここでさらに兵を失えば、

 それこそ、三野が揺らぐ」



 兵の誰かが振り返ろうとするたび、

 私は、短く命じた。


「前を見ろ」


 何度も、自分にも言い聞かせる。


 振り返るな。


 振り返れば戻りたくなる。



――――――――――


 背後で、また、笛が鳴る。


 夜の闇に溶けるような音だった。



 なにひとつ得ることなく、

 六十の兵を率いて、私は、来た道を返す。


 その背に問いかけるかのように、

 犬の遠吠えが、名張の山中に響き渡っていた。



 私は、振り返らなかった。


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