第五十九話 空に隠れる村
◇【三野之黒犬】視点◇
「アラカの隊と連絡がつかないだと」
報せを聞いた時、
私は、名張の環濠を前にしていた。
空はまだ明るいが、
陽は、傾き始めていた。
環濠の向こうには柵。
閉じられた門。
環濠の橋は、こちらで押さえている。
名張の者どもは逃げられない。
この戦は最初の想定通り、
三野の、圧倒的な勝利に終わる。
そう、思っていたところだった。
――――――――――
「何が起きたというのだ」
アラカは、四十の兵を連れて山に向かった。
名張の兵は、すべてを合わせても、
三十は超えないだろう。
その半分が丘に潜んでいたとしても、
アラカが遅れを取るとは思えない。
ましてや連絡が途絶えるほどの被害など。
「丘の方、妙に静かですね」
ナトリが隣から声を掛けてくる。
「分かっている」
先程まで風に乗って聞こえていた、
けたたましい笛の音が、今は、もうない。
アラカが名張の丘を制圧した。
そう信じたいところだが――
「急がねばならんな……」
私は、名張の村へ視線を戻す。
環濠の隙間から見える村の内部には、
人の気配があった。
家々のあいだに松明の火。
風に揺れる赤い旗。
広場には、大きな火が燃え盛っていた。
村から微かな物音は聞こえる。
身を潜めて隠れているのだろうとはわかる。
だが、具体的な声が聞こえなかった。
怒声も、悲鳴も、子供の泣き声、
犬の声すら聞こえてこない。
「名張の者ども、門を開けよ。
我ら三野は抵抗せぬ者の命までは取らぬ」
何度目かの呼びかけを行う。
だが、返事はない。
無駄な被害は出したくなかったが、
ゆっくりしてもいられない。
「全員、俺に続け」
私は弓を構え、矢を放つ。
一本の矢が環濠の柵を超えて、
放物線を描いて、名張の村の内側に落ちる。
ビュン、と矢音が上がった。
私に続き、弓を持つ者たちが、
柵の内側へ矢を射かける。
人を狙った矢ではない。
村に隠れる者たちを動かすための矢だ。
だが、悲鳴は上がらない。
人影も逃げない。
ただ、風に吹かれて、
静かに布が揺れるだけだった。
――――――――――
私は、環濠の向こうを睨みつける。
「なぜ、射返してこない……」
アラカの隊を丘で止める力があるなら、
なぜ、この門を守らない。
名張の村に兵が居る、
その前提が間違っているのだろうか。
「村を……村人を見捨てて、
すべての兵を丘に潜ませたというのか?」
ありえない。
我ら氏族が守るのは村だ。
その人たちであり、最後に畑と糧だ。
どこかの戦場でちいさな勝利を得ても、
肝心の村が落とされたら、なんの意味もない。
「兄上、このままでは、日が暮れます」
ナトリが不安そうな声をあげる。
「仕方ない、村の門をこじあけるぞ」
私の「伍」から五人が盾を前に出しながら、
慎重に橋を渡っていく。
普通なら、ここで矢が来る。
門を破るため、橋の上で足を止める者など、
射ち手にすれば恰好の的だ。
だから、できるだけ三野の被害を減らすため、
この力業を避けたかったのだが。
「矢が、来ませんね……」
ナトリが、小さく呟いた。
「そうだな」
矢が来ない、石も来ない、罵声すらない。
それはありえないことだ。
分かってきた。
分かりたくないことが、分かってきた。
「正気か、こいつら……」
名張の村は、すべての兵を丘に回したのだろう。
この村を……村の者たちを見捨てて……。
村を守らず、兵を、すべて丘へ。
反吐が出る。
そこまで、名張は落ちぶれていたのか。
「敵の抵抗はない」
木を打つ音、石斧が、名張村の門を叩く。
誰も守らぬ門を破ることなど、容易なものだ。
「全力で門を破れ、柵を壊せ、
日暮れ前に中に入るぞ」
めきり、と木が裂ける音が響き渡り、
門の一部が内側へ落ちた。
「稲置の筋に名を連ねる者のすることか。
名張の者ども、後悔させてやる」
――――――――――
「こ、これは……一体……」
名張の村の中は、赤かった。
夕陽に染まる赤、松明の火による赤。
そして、広場の中央で燃える、大きな炎の赤。
それは、誰もいない広場で、なお高く燃え盛っていた。
火の周りに人影があった。
「そこの者達、抵抗しなければ命までは……」
人影に近づいて、
私は、その足を止める。
「なんだこれは」
それは、人ではなかった。
木の枝を組み、草を詰め、布をまとわせたもの。
人の形をした、ただの人形だ。
両手のように伸ばされた枝には、
幾つもの松明が、くくりつけられている。
首のあたりには、貝や、木片が吊るされていた。
風が吹くたびに、かち、かち、と。
まるで歯を鳴らして笑っているように、音を立てている。
「なんなんだこれは……」
私は、思わず目の前の「それ」を蹴倒した。
めきっと鈍い音をあげて、地に落ちる。
「探せ、家の中を見ろ、倉を見ろ」
まさか、村を捨てたというのか。
そこまでするというのか。
「いません!」
「こちらも、人の姿はありません!」
そこまでするなら、それでいい。
ならば、そのすべてを奪いつくすだけだ。
人を逃がすことはできても、
村の生命、倉に残した糧は持ち出せない。
我らが、その命を賭しても村を守る理由を、
知らぬわけではあるまい。
「あ、兄上……倉が……」
ナトリが、名張の村の倉から出てきた。
その顔は青ざめていた。
「思ったよりも少なかったか」
病み上がりの寒村である。
そういうこともあるだろう。
だが、ここまで舐めた真似をされた以上、
手心を与えるつもりはない。
「空です……種も、干し肉も、なにもありません……」
「なん、だと」
腹の底が冷えた。
そんなことがあるものか。
村を捨てるにあたり、
それぞれの持てる程度は持っていくだろう。
だが、空というのはどういうことだ。
「兄上、こ、ここは、
本当に名張の村なのですか?」
ナトリは、不安げな表情を浮かべる。
「当たり前だろう、川筋も、環濠も、あの丘も、
いまさら見誤るはずがない……」
そう口にしながら、
ふと、まわりを見渡してみる。
広場で大きく燃え盛る、大きな火。
村中に立ち並ぶ、人を模した異様な人形。
これ見よがしに立てられた、見慣れぬ「隠」の印。
その布が、風にたなびいている。
「これはなんだ……」
場所はあっている、間違っているはずはない。
ここは「名張の村」だった場所だ。
だが、そこに兵がおらず、人がいなく、糧もない。
これは、村といえるのだろうか。
ならば、この間、
私たちは何を囲んでいたというのだ。
――――――――――
火のそばで、人形が揺れる。
かち、かち、と、
その胸に垂らした貝を鳴らしながら。
ここに、何もかもがあるように見えて、
ここに、名張はなかった。
大きな風が吹き、巫女の火が揺れる。
赤い夕暮れの中。
風にはためく「隠」の模様だけが、
不気味にたなびいていた。
ここは、なんだ――




