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卑弥呼転生 ~「偽りの巫女」を祀る兄~  作者: 露李鈴
【185年:夏】七章「三野の名張侵攻」

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第五十八話 森に食われる

◇ 【三野之荒鹿みののあらか】視点 ◇



 なぜ、倒れた敵の姿がない。


 なぜ、槍を交えた跡がない。



「止まれ」


 なぜ、前を進んだ二十の背だけが、

 俺の前から消えている。



「声を立てるな……道を、外れるな……」


 息を呑む気配が、背後に広がる。



 森は静かだった。


 いや、静かすぎる――



 怒声も、悲鳴も。


 どこか遠くへ、

 沈んでしまったように感じる。


 ただ、風が葉を揺らす音だけがある。


 それから――



 ひゅう、と。


 細い笛の音が鳴った。


 右からか、左からか。

 分からない。


 だが、その音に合わせるように、

 横合いの茂みが揺れた。



「そこだ!」


 後詰めの五人が動いた。

 槍を構えて、茂みへ向かう。


「馬鹿、うかつに――」


 俺は、言葉を飲み込んだ。


 横に敵がいるなら、放ってはおけない。

 側面に敵を残したまま進めば、それこそ挟まれる。


「……深く入るな、声を出し、すぐに戻れ」


「はっ!」




 五人が茂みに入る。


 草を踏む音、枝を折る音。


「いたぞ!」


「逃がすな!」


 それから、短い怒声。


 次に、何かが倒れるような音。

 そして静かになった。



「おい」


 俺は呼んだ。


「どうした。返事をしろ」


 返事がない。


 風が吹き、葉が揺れる。


 茂みは、何事もなかったように、ただそこにある。




「……茂みに入るな」


 俺は、残りの兵に命じた。


「敵が潜んでいる。道の上に固まれ。盾を構えろ」


 残った男たちが、慌てて盾を寄せる。


 その瞬間、

 ひゅっと音が走った。


 横の茂みから矢が飛んだ。



「ぐっ!」


 一人が肩を押さえて膝をついた。


 命を取る矢ではない。

 だが、槍を振るう力を奪う矢だった。



「くそ、あそこだ!」


 怒った男たちが矢の飛んだ方へ走る。


「待て、行くな!」


 俺の制止る声より、足が早かった。

 五人が茂みに踏み込む。


 だが、そこには誰もいない。


 揺れる草。


 折れた枝。


 それだけだった。



「ぐあっ」


 次の瞬間、反対側から矢が飛んでいた。

 三人が崩れる。



「なんだ……」


 俺は、思わず呟いた。


 こちらは、二十で入った。


 五人が茂みに消えた。

 二人が倒れた。


 五人が走り、三人が膝をついた。



 今、俺の周りには、

 何人が残っているのだ――


 徐々に身を削られ、声は減っていた。


 それが、何より気味悪かった。



「なんだ、これは……」


 右から、犬が吠えた。


「ひいっ」


 兵の震える声が響きわたる。

 それから、すぐに左からも吠えた。


 近い。


 いや、遠い――


 どちらだ。


 何匹いるのだ――




 犬の声が、ぴたりと止む。


 次の瞬間に、また笛が鳴る。


 ぴい、ぴい、と。



「ひい、まただ……また、この声だ……」


 今度は、四方の森に音がこだまする。


 名張の兵は、十人ほどだったはず。

 タケの周りにいたのは、たかがその程度。


 いくらかの伏兵と合流したとて、

 たかが知れている。



 なのに。


 今、右にもいる。

 左にもいる。


 前にも、後ろにも、何かがいる。




「戻るぞ、負傷した者を抱えろ」


 まわりに残っている兵に伝える。


 これは逃げではない。

 立て直しだ。


 いったんクロイと合流し、ナトリと兵を合わせる。

 それから、もう一度、この丘を押し潰す。


 それでいい。


 そう思った。


 そう思わなければ、

 この場で、足を止めてしまいそうだった。



――――――――――


 引き返そうとした時、

 ポオォ、と低く硬い笛の音が鳴った。


 それまでの細い音とは違う。


 腹の底に響く音だった。




「ぎゃっ」


 直後、茂みが裂けた。

 槍の柄が飛び出し、足を払われた兵が倒れる。


「ぐぁ」


 さらに、倒れた兵にくわが突き立てられて、

 草の茂みに引きずり込まれていく。


「助け――」


 声は、そこで途切れた。



 瞬間、俺は――


 俺達は駆けだしていた。


 ただ、この山から逃げるように。




「なんだ、これは」


 息が荒くなる。


「なんなのだ、これは」


 こんなものは、戦ではない。


 槍を合わせ、盾をぶつけ、

 男と男が正面から力を競うものではない。



 これでは狩りだ。

 山で、獣を追い詰めるやり方だ。


 その瞬間、肝が冷える――



 俺は名張を笑った。


 山で、獣を相手にしてばかりで、

 戦を知らぬのだと。



 だが、今。


 その、山のやり方で、

 追い詰められているのは誰だ。



 獣のように逃げ道を見失い。

 獣のように音へ怯え。


 獣のように、茂みの奥へ、

 追い込まれているのは誰だ。




「ふざけるな……」


 ひゅんっと、肩に熱が走る。

 肩口の衣が赤くにじむ。


 ただ、足を止めない。



「俺は、三野の爪だぞ……」


 ドスっと、背へ強い衝撃が走る。


 一瞬、息が詰まる。


 さらに太腿に痛みが走り、

 一瞬、足が、もつれそうになる。


 俺は、歯を食いしばる。


 この程度で足を止めてなるものか。



 俺は、三野の、武の爪だ。


 こんな森の中で、

 折れてよい男ではないのだ。



――――――――――


「走れ!」


 俺は叫んだ。



「道を抜けろ!」


 俺は、声を上げながら、走り続ける。



 誰が残っているのか。

 何人いるのか。


 もう分からない。


 ただ、

 背後で声がした。


 すぐ近くで、草が揺れ。


 また、犬が吠えた。



 わずかに聞こえてた足音が遠ざかる。

 誰かの声が、途切れた。


 死んだのか、捕られたのか。

 もう、俺には、なにも分からない。


 ただ、今は、前へ。


 前へ。




「開けた場所へ出るぞ!」


 木々の間から明るい光が見えた。


 森が切れる。


 開けた場所だ。



 俺は、もつれる足を、

 叱りつけるように踏み出した。


 草を抜ける、影が薄くなる。

 一気に視界が開ける。


 その先に、男が立っていた。


 タケだった。



――――――――――


 タケは、槍を担いで、

 ただ立っていた。


 息ひとつ乱していない。



 その後ろには名張の山が見える。


 そのさらに上で、

 二本の黒い煙が立っていた。


 あれほど近くに見えた煙が、

 今は、ひどく遠い。




「よう、若鹿」


 タケが言った。


 その声は、低く、落ち着いていた。


 瞬間。


 俺の中で、何かが切れた。



「ふざけるな」


 足は痛む。


 肩の動きも鈍い。


 息も荒い。


「ふざけるな、ふざけるな、ふざけるな!」


 それでも、槍は、この手にある。



「タケェッ!」


 俺は叫び、踏み込んだ。

 最後の力を振り絞り、槍を突き出す。


 だが、遅い。


 絶望するほどに身体が重かった。



「…………」


 タケは、

 半歩だけ身体をずらし。


 次の瞬間、

 タケの槍が喉元へ届いた。



 声が、途切れる。



「ご、んな……の……」


 言葉にならない。


 膝から力が抜ける。

 槍が、手から滑り落ちる。


 空が傾いた。


 土が近づく。


 頬に、冷たい草が触れる。



 こんなもの、認めるものか。


 俺は、三野の武の爪だ。


 父上に、示さねばならぬ。


 三野の者どもに、示さねばならぬのだ。


 俺は。


 俺は、まだ――


 何も、示していない。




 遠くで笛が鳴る。


 それが、誰の笛なのか。

 何を告げる音なのか。


 最後まで、俺には分からなかった。



 身体が冷えていく。


 音が遠ざかる。


 そして、世界が閉じた。


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