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卑弥呼転生 ~「偽りの巫女」を祀る兄~  作者: 露李鈴
【185年:夏】七章「三野の名張侵攻」

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第五十七話 十本の矢

◇ 【三野之荒鹿みののあらか】視点 ◇



 名張の川の水は浅かった。


 俺も、まわりの者たちも、

 このあたりの川には幼い頃から慣れている。


 視界の先では、先に川へ入った二十の兵が、

 水飛沫を立てながら淀みなく進む。


 右手には槍。

 左手には木盾。


 川の流れは膝ほどにも届かぬ。

 この程度なら、足を取られることもなかった。




「行くぞっ」


 俺は、後詰めの二十を率いて、

 前衛の背を見ながら、川へ足を踏み入れる。


 水が脛を打つ。

 冷たさが、皮膚を刺す。


 だが、それだけだ。


 川底のぬめりに足を滑らせないよう。

 尖った石を踏んで、足を切らないよう。


 そんなことは慣れたものだ。



 ――――――――――


「矢が来るぞ」


 前方から声がした。

 次の瞬間、川向こうから矢が放たれた。


 十本ほど。


 青空に弧を描き、空を裂いて落ちてくる。



「盾を上げろ!」


 前衛の先頭の男が叫ぶ。

 他の兵たちは、すぐに木盾を頭上に掲げた。


 乾いた音が連なる。


 かん、かん、かん、と。


 矢は盾に弾かれ、川へ落ち、

 あるいは、浅く盾に刺さっていた。


 その一本たりとも、俺たちの肉には届かない。


 誰も倒れない。

 誰も悲鳴を上げない。


 ただ、川面に矢が落ち、

 小さな波紋を広げるだけだった。



「なんだ、これだけか!」


 前衛の男たちが笑う。

 俺の口元も、自然と緩んでいた。


 たかが十本の矢。


 山で獣を囲んで射かける時でさえ、

 もっと、近くから多くの矢を射る必要がある。


 それが、この遠く離れた場所から、

 盾を構える俺たちに正面から射かけて、

 効果があるはずもない。



 タケは、そんなことすらわかってない。


 山で、獣ばかりを相手に、

 戦というものを知らないのだろう。


 那婆理なばりの民も、所詮は、

 時代に取り残された獣に過ぎないのだ。



「進め!」


 俺が声を張ると、前衛の二十が、

 一気に岸へと向かった。


 水を蹴り、泥を踏み、

 盾を構えたまま、駆け上がる。



 名張の者どもは、二射目を放たない。


 いや、放てないのだろう。


 射手も、矢も足りていない。


 先程より近づいたところで二射目を射れば、

 こちらに多少の被害は出るだろう。


 だが、そこで終わりだ。



 ――――――――――


 俺たちの前衛が岸へ上がると、

 タケは柵の守りを捨てて、身を翻した。


 那婆理なばりの民どもが、林に逃げ込んでいく。


 その先は木の生い茂る丘。

 二本の狼煙が立ち昇る、あの名張の丘だ。



「敵が逃げたぞ!」


「追え!」


 兵たちが勢いづく。


 俺は、川から上がり、

 濡れた足で土を踏みしめる。


 後ろを見れば、クロイの率いる三十の兵たちも、

 岸へ上がってくるところだった。



「俺はタケを追う、

 おまえは、ナトリと一緒に村を攻めろ」


 クロイが三十、ナトリも三十の兵を率いている。

 名張の村を攻めるのに十分過ぎる。


「兄上だけで、タケを……大丈夫ですか?」


「先ほどのタケの兵たちを見ただろう、

 たかが、十人ほどだ……」


 それに比べて、俺の率いる兵は、

 前衛二十、後詰二十を合わせて四十となる。


「俺の隊だけでも、多すぎるくらいだ」


 名張の出せる兵は、せいぜい二十。


 多く見積もっても、

 三十に届かぬ程度だろう。


 それを向こうは、村を守る者と、

 タケに従う者に分けている。


 ならば、なおのこと御しやすい。



 村に残った名張の者たちは、

 クロイと、ナトリで押し潰せるだろう。


 丘へ逃げ込んだ奴らを、俺の手で折る。


 ひとつずつ潰せばよい。


 それだけの話だ。



「たしかに、それはそうですが……」


 クロイは、まだ、何かを言いたげだったが。


 なにも、これらは、

 俺の勝手で言っているわけではない。


「この丘に、タケどもを残して進めば、

 前後から挟み撃ちにされる」


 それはよくない。


「この丘で、タケに時間を稼がれたら、

 それだけ三輪の兵が近くなる」


 それは最悪だ。



「おっしゃる通りではあります」


 クロイは、小さく頷いてみせる。


「ならば、後は任せたぞ。

 タケを仕留めたら、すぐに俺も後を追う」


「……承知」



 クロイの返事を聞いてから、

 俺は、槍を握り直して丘に足をむける。


「皆、行くぞ! 目指すは那婆理のタケだ」


 前衛の二十は、すでに、

 丘へ向かって走り始めている。


 俺は、後詰めの二十を連れて、

 後を追うように名張の丘を目指した。



 名張の丘の上では、

 二筋の黒い煙が、青空高く昇っている。


 名張の者どもが、

 三輪へ助けを求めているのか。


 それとも、村へ、脅威を知らせているのか。


 どちらでもよい。



 相手が、いかに足掻こうとも、

 俺たちの勝ちは揺るぎようもないのだ。


 陽が沈むまでに、すべてを終わらせる。


 タケの牙を折り、村を押さえ、

 名張の村の倉を開かせる。



 それで、この戦は終わりだ。



 ――――――――――


 名張の丘、その林の中に足を踏み入れると、

 わずかに空気が張りつめた。


 木々の影が、顔へ落ちた。

 湿った土の匂いが足元から上がってくる。


 前を行く二十の姿が、

 枝葉の向こうでちらついている。



「あそこにいるぞ」


 さらに先、タケたちの背が見えた。


「逃がすな!」


 前衛の誰かが叫ぶ。


 その声に重なるように、山がざわめいた。


 枝の折れる音。

 草を踏み荒らす音。


 怒声。


 そして、遠い悲鳴。



「ふっ、あとは時間の問題だな」


 俺は勝利を確信する。

 名張の者どもは、もう音を上げていた。


 やはり、弱い。


 川での矢も、ただの虚勢。

 丘へ逃げたのも、ただの悪あがき。


 すぐにタケは追い詰められ、

 槍を構え、俺と向き合うしかなくなるだろう。


 そこで、俺の武を示して、終わりだ。




「遅れるな!」


 気付けば、前衛の二十の姿が、

 見えなくなっていた。


 思ったより山道が険しい。

 足元には根が張り、斜面はぬかるんでいる。


 俺は、後詰めの男たちを急がせた。



 山の奥から声は聞こえる。


 怒声に、悲鳴。

 槍が何かを叩く音も。


 だが、不思議と、その場所が分からない。



 右から音が聞こえたと思えば、

 左に気配がある。


 上から音が聞こえたと思えば、

 足元の藪が揺れる。



「なにか、妙だな……」


 ふと、その場に俺は立ち止まる。


 その時、茂みから、

 バサバサと一斉に鳥が飛び立った。


 その羽音に混じって、細い笛の音が聞こえる。



 ひゅう、と。


 どこか遠くから。



 ポオォ、と。


 いや、近くからか。



 生い茂る樹木に隠れて道の先が見えない、

 名張の山を、俺は見上げる。


 前を進むはずの二十の背が、

 いくら足を速めても見えてこない。



 見上げる樹木の隙間から覗く青空には、

 今も、二本の黒い煙が見えている。


 そこに目印があるのだ。

 山に迷うことはない。


 山頂が近いはずだ。

 すぐそこに見えていたはずだ。


 なのに、森は深く、草は絡み、

 何者かの声だけが木々の間を跳ねている。



「なぜ、誰の死体も転がってないのだ……」


 そう呟いた時。


 また、どこか遠くから笛が鳴った。


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