第五十六話 ★荒鹿:三野の爪
◇ 【三野之荒鹿】視点 ◇
俺は、示さなければいけない。
三野を継ぐ者として生まれてから、
日々、身体を鍛えてきた。
槍の稽古では、誰にも負けぬ。
狩りでは、大猪も仕留めた。
今や、三野の「武の爪」と誰もが呼ぶ。
だが、目に見える手柄だけが、
いまだになかった。
――――――――――
「よし、この向こうだな」
夏草を踏み潰しながら、
俺は、三野の兵を連れて南下する。
「ふっ、父上には感謝だな」
今回、俺、三野之荒鹿が、
三野臣高彦に代わり全軍指揮を執る。
後ろを振り返れば、
そこに、百の兵の姿があった。
男たちは槍を持ち、弓を背負い、
その腕には粗い木盾を提げている。
その誰もが、俺を慕っている。
今回の名張侵攻にむけての士気も高い。
その百の行軍に鳥は逃げ、獣は藪に潜む。
俺達の槍の柄の当たる音を山道に響きわたらせる。
「名張の者どもに、
さあ、三野の足音を聞かせてやれ」
後ろから声が湧く。
誰も、俺たちを阻むことはできない。
――――――――――
「兄上、そう、あまり先を急がれるな」
背後から、静かな声がした。
弟の三野之黒犬だった。
その背は高いが、俺よりも肉は薄い。
槍を持つが、白兵戦よりも、
弓で距離を取る戦を好む変わり者だ。
周囲から「知の爪」などと呼ばれている。
まあ、たしかに、昔から頭のまわる奴だったが。
「急いては事を仕損じるぞ」
「それはそうだが、相手は名張だぞ」
思わず、俺は笑ってしまった。
名張の村。
その名は古く、由緒もある。
だが、今となっては山際の寒村に過ぎない。
さらに、病で人を減らしているという。
「報告では出せる兵の数は、二十程度、
逆に、これで、どうやって負けるというのだ」
「油断するなと言っている、
兄上の、いつもの悪い癖であろう」
「それは、たしかにそうだが……うむ……」
だが、俺とて、なにも考えていないわけではない。
「今回の肝は、三輪だ……、
我らが警戒するのは西からの敵にある」
三輪が手をまわし、落ちぶれた名張を拾いあげ、
三野の鼻先に据え置いたのだ。
ならば、早いうちに出る芽を叩き折り、
本来あるべき姿へ、戻さなければならない。
「見よ、あの丘を……、
立ち昇る二つの黒い煙を……」
俺は、名張川のむこうに見える、
小高い山を指差した。
以前、この道を通った時と同様に、
その山頂からは黒い煙が立ち昇っている。
三野の行軍を、村に伝えているのだろう。
そこから、大急ぎで、
三輪に救援を求めに走ったとして。
どれだけ急いでも、それなりの時間は掛かる。
「だからこそ、陽が沈むまでに、
すべてを終わらせてしまえば良いのだ」
名張は恐れるにあらず――
これは油断ではない。
兵の数という揺るがない事実だ。
だからこそ、あとは奴らの狙いの先を読み、
その逃げ道を慎重に塞ぐだけでいい。
――――――――――
「に、兄様がた……」
今度は、横から野太い声がした。
腹違いの弟、三野之鳴鳥である。
「あの、くれぐれも……殺しすぎないように……」
「戦の前に言うことか」
「戦の前にしか言えないじゃないですか……、
田を作る手を減らしては取る意味がないですから」
「お前は、いつも倉の話ばかりだな」
だから、周囲から「倉の爪」などと呼ばれるのだ。
父からは、戦うことよりも物資の管理など、
裏方の雑用をまわされる始末だ。
「倉を取ってこそ、勝ちと言えましょう」
「ふんっ、そんなもの、
相手を従わせれば自ずと付いてくるものだ」
戦とは、相手の士気を挫いてしまえば良いのだ。
名張を折るなら、タケを折ればよい。
那婆理之稲置の筋を引く男。
山を知り、狩りを知り、那婆理の民を束ねる男。
あの男に膝をつかせば、名張は槍を下ろす。
火の巫女だろうが、三輪に担がれた童だろうが、
そうなれば我らに倉を開くしかないのだ。
――――――――――
そうこうしている間にも、
名張川が見えてきた。
川の向こうには柵があり、
幾本かの、赤い旗が立っている。
そこには見慣れぬ「隠」の印――
「健気にも、あの数で、守る気か」
思わず口元が緩む。
戦力は圧倒的なのだ。
この数を前にして、土壇場で怯み、
戦うことなく降伏を申し出る。
そんな可能性も、考えてはいたのだが――
「俺にとっては、ちょうどいい、
実際に槍を振り、その力を示せるのでな」
俺は、そう言って、背後の兵たちを鼓舞した。
背後から威勢の良い声があがる。
皆、ひさしぶりの戦に意気揚々となっているのだ。
「クロイ、見ろ、あれが名張の構えだぞ」
あまりの粗末な柵、それらの間もスカスカだ。
兵の数から、その配置まで丸見えだ。
名張が、戦に慣れていないのがよくわかる。
「川を遠回りすれば、
あの柵を避けて村に向かえるが……」
三野の「知の爪」と呼ばれるクロイが、
名張の柵を眺めながら、水を差してくる。
名張の川など膝下の深さしかないのだ。
「あの程度の数、軽く蹴散らして、
一刻も早く先に進むほうが大事だろう」
ちょっとした遠回りが、
百の行軍ともなれば膨大な遅れになる。
「彼らを避けて先に進んで、
後ろから挟み撃ちされるのは嫌かな」
三野の「倉の爪」が呟いた。
「それは確かに」
クロイは小さく頷いてみせた。
「さあ、そうと決まれば、
おまえら、名張の川を渡るぞ!」
俺が、背後の兵たちに声を掛けると、
威勢の良い声が返ってきた。
やっぱり、戦は勢いが大事だな。
「それじゃ、目指すは……」
そんなとき、名張の川のむこう側、
柵の端にひとつの影が動いた。
太い腕、日に焼けた顔。
ひときわ大きな槍を担いだ男。
タケだった。
「目指すは、あの那婆理の男だ」
三野の「武の爪」である俺の率いる部隊、四十。
そのうちの半数、二十が、
先陣を切って名張の川に入っていく。
「クロイ、ナトリ、
お前たちは俺の後から来い」
「承知」
「は、はい……」
俺は、それだけを伝えると、
後詰めの二十を率いて名張の川に向かった。
相手が、どれだけ少数であろうと、
決して気は抜かない。
それが、偉大なる父である三野臣高彦の教えである。




