第五十四話 見せかけの柵
名張の最北端を守るための防衛ライン。
それが、名張川となるわけだが。
その「こちら側」の岸に柵を張るわけだが。
暑い――
青空高くに昇る太陽が、
じんわりと頭を焼き付けてくる。
体中に汗を感じながら。
まっすぐに丈夫な枝を地面に打ち込む。
それから横木を渡し、蔓で縛る。
決して太い木ではない。
侵攻を止めるには柵の高さも足りてない。
ところどころに隙間があり、
力任せに押すだけで軽く揺れる程度。
だが、遠目から見る分には、
敵を防ぐための柵に見えるだろう。
――――――――――
「ここで、三野を迎え撃つのか」
額の汗を拭いながら、
イワホコが木槌を片手に寄ってきた。
「ここで三野と戦えば、寡兵の私たちは、
一刻として持たないでしょう」
しれっと俺は答えてみせた。
瞬間、イワホコは表情が固まった。
「……なら、なんで柵を作ってんだ?」
もっともな疑問である。
柵自体が、敵を攻撃するわけではない。
ここに兵を敷き、敵を迎え討つのでなければ、
この柵には意味がないのだ。
「ここに立つ旗を見て、
三野の兵は、どう見ますかね……」
柵の内側に並ぶ、数本の旗。
白い布に、赤土で描かれた「隠」の文字。
名張の川風を受けて、
布が、ふわりと揺れていた。
「だから、ここで戦うんだろ?」
イワホコは、先程と同様に繰り返す。
「三野の兵に、そう思ってもらうために、
柵を設置してるんですよ」
俺は、ちいさく笑いながら言った。
イワホコが、そう考えるということは、
この策が上手くいくという安心材料となる。
「……この柵を、三野に噛ませるのだな」
タケの低い声が響いた。
「猪の前に、わざと弱い枝を置き、
そこを破れば前に進めると思わせる……」
そこで一拍。
「獣は、自分の正しさに自信をつけて、
さらに先へ進む……」
「それに近いですね」
さすが、狩猟に慣れている那婆理の民。
「川を渡る相手に、柵の内側から、
弓を射掛ければいいんじゃないか?」
イワホコが言う。
この時代、民が戦術を学べるわけもなく、
それは素から出た言葉なのだろう。
その発想は間違いではない。
「川を渡る敵を狙うのは、
確かに戦の理ではあるのですが……」
俺は、タケに顔をむける。
「タケさん、名張の川に向けて矢を」
「承知」
タケは、柵の後ろにまわり、
名張の川に向かって弓を構える。
ビュン――
弦の張り詰めた音が、
川辺でも、はっきりと聞こえる。
放たれた一本の矢は空を切り、
名張の川の中ほどより、手前に落ちた。
「敵が、名張の川に足を取られている所を、
狙い撃ちできたら良いのですが……」
この当時の弓に、
そんな威力はなかった。
特に名張村で用いられているのは、
狩猟に用いるための簡易的な短弓である。
「射ち手の頭数を用意できれば、
敵を倒しきることにも期待ができますが……」
「射ち手も少なければ、
矢の本数も、足りてないな……」
タケは、小さく呟いて、弓を静かに下ろした。
* * *
百の敵を前に、名張の兵は三十程度。
弓を引ける者となれば、
那婆理の民と、その他に数人程度。
その数、十人前後となるだろう。
敵が射程距離に入ってから、
一人三射できたとしても、三十の矢。
その矢の、すべてが当たるわけでもない。
となれば、そのあと、
柵に押し寄せる三野兵たち、
その数の暴力に押しつぶされるだろう。
戦術の定石でもある、
川を越えてくる相手を迎え撃つのに、
名張には、基本的な戦力で足りていないのだ。
それほどまでに名張は弱いのだ。
* * *
「ふぅ……」
俺は、澄みわたる青空を見上げる。
視界の端、名張の丘では
黒い二本筋の狼煙が昇っていた。
それは、急を告げる知らせだった。
その詳細は、先刻、
すでに俺の下に届いている。
――三野方面から武装した者あり。
――その数、七人ほど。
数は少ない。
斥候か、威圧を兼ねた下見だろう。
――――――――――
「奴さん、来たぞ」
タケが、吐き捨てるように言った。
名張川の土手、三野に続く道筋のほうから
見知らぬ男たちが姿を現した。
その数、七――
報せ通りだった。
その、先頭に立つ男が、
大きな肩を揺らしながら歩いてくる。
石槍を肩に担ぎ、悠々と、
まるで、ここが自分の土地であるかのように。
「おやおや。早くからご苦労なことで」
「……アラカ」
タケが険しい表情を浮かべる。
「あれは、三野之荒鹿です……」
那婆理の民の一人、最年長のオシが、
すっと俺の横について小声で呟く。
「三野臣の『三本爪』と称される重臣、
その内の一人になります」
「なるほどう……」
「名張も、ずいぶんと立派になったものだな」
アラカは、
名張の柵を見て、旗を見る。
「川端に枝を並べ、赤い布を立てれば、戦支度のつもりか」
それから薄く笑った。
名張の若衆の一人が、むっと顔を上げる。
イワホコが、目で制した。
「これはこれは、三野の重鎮の皆さまが、
こんな名張の村に何用でございましょうか」
シラガが前へ出る。
「タケ、まだ、そちらにいるのか」
村の長であるシラガを無視して、
アラカは、タケへと視線を移した。
「お前ほどの男が、老いぼれの後ろで柵を結ぶか。
そんな、ちいさな童まで引き出して」
アラカの背後の男たちに笑いがおこる。
「ふんっ」
タケは表情も変えずに黙っていた。
俺も、口を開かなかった。
相手の見たいように見ればいい。
今日は、アラカに、
見てもらわなければいけない。
名張は、川辺に粗末な柵を作っている。
その弱兵で、名張の旗を立てて、
健気にも名張の川を守るつもりでいる。
それだけを持ち帰ってくれたら、
それで良い。
そのために。
俺たちは、この名張の川で、
目立つように大勢で柵を立てていたのだから。




