第四十二話 歴史は流れる川のように
三輪の国を見てまわった日の翌朝。
村の環濠にかかる橋では、
すでに、出立の支度が整っていた。
「この者たちが責任をもって、
皆様を、名張までお送りします」
正式な使者としての布地の衣装で、
マヒトは、俺達を見送る。
「また、しばらくの間、よろしくのう」
名張から来た時と同じく、
一行のなかで最年長となるオシ。
「背負いの用意もありますので、
いつでも、お申しつけください」
目付きが鋭く、背丈の高いジン。
「さあ、準備はできてますよ」
若く、大柄な若者のサン。
その他にも、十を超える者達。
三輪を目指した時と同じ顔触れだった。
「よろしく頼む」
シラガは小さく頭を下げた。
今回の一行の荷は軽い。
三輪と交わした約束の品々は、
後日、寄越すようだ。
「いずれ、また、私も、
名張へ伺うこともあるでしょう」
マヒトは、シラガに首を垂れる。
「その時までに見せられるものを、
増やしておきますよ」
俺は、軽く答えた。
「……まひと……またね……」
俺の横で、イミコが小さく手を振った。
その場で、マヒトは小さく屈むと、
イミコと目線を合わせる。
「どうか、お達者で」
そして、俺たちは、三輪の国を後にした。
――――――――――
来た時と同様、いくつかの関所を抜けると、
すぐに足元が山道へと変わる。
「足元に気を付けるんじゃぞ」
先頭を歩くオシが声をかけてくる。
相変わらず、獣道を整えながら歩いていた。
皆、素足であるため、
石や小枝のひとつが危険物となる。
「……なにか、気になりますか?」
ジンが、俺に視線を向けてくる。
「えーっと、一度歩いた道でも、
その見え方は随分と違ってくるなーっと……」
「一度で、道、覚えたのですか?」
サンが不思議そうな声をあげた。
「森の抜け方に、谷の形、
おおまかな川筋の位置などは大体……」
「ほぅ、たいしたものじゃ」
オシが感嘆の声をあげた。
「地形は大事ですから」
防衛するにしろ、侵攻するにしろ……。
その土地の地形がわからなければ、
なにもできないのだから。
「本当に覚えてるのか?」
サンが、不思議そうに顔を覗き込んできた。
たしかに普通に考えれば、
童の戯言のように感じるかもしれない。
「えっと、次の丘を越えた先、
数日前、野営した川辺のあたりですよね」
そんな俺の言葉通り。
ゆるやかな丘を越えたところで、
榛原の川辺が見えた。
「……まえに、みんなですごした、とこだ……」
イミコが、嬉しそうな声をあげた。
「本当に、たった一度で……末恐ろしいものだ……」
後ろのほうで、ジンは呟いていた。
――――――――――
あたりが夜の闇に包まれながら。
榛原にある菟田川のほとりで、
野営の準備が整えられた。
そして、皆で夕餉を済ませた頃。
「イミナ殿、一つ……礼を申し上げたく……」
オシが声を掛けてきた。
あたりは夜の闇に包まれていようとも、
月明りが、その顔を照らし出す。
「マヒト様と、仲良くしてくださり、
ありがとうございました」
「えっと……それはどういう……」
俺は、返す言葉に詰まる。
「マヒト様が、変わられたのです」
横では、サンが笑顔を浮かべていた。
「三輪に戻ってからの間ですが、
その様子には、たしかな変化がありまして」
少し離れた所から、ジンが言葉を繋げる。
「変化ですか……」
「以前より、マヒト様は、
言葉をかけてくださるようになりました」
オシは、顔のしわを寄せて嬉しそうにする。
「我らを気遣うお言葉は、以前よりありましたが、
それよりも身近な話などを……」
三人以外にも、まわりの男衆たちは、
うんうんと大きく頷いてみせる。
皆、マヒトを慕っているのがよくわかる。
「そうですか……」
あの夜の川辺。
マヒトは、弱音を漏らした。
そこで、
俺から伝えた言葉。
それは、ささいな事ではあるが、
マヒトの変われる切欠になれたのなら――
* * *
歴史上において。
阿部之真人なる人物の記録はない。
史実において、彼がどう生き、
どう死んでいったのかを知る術はない。
だけど、彼の人生が、俺達との関わりによって、
より良いものに変わるとしたならば。
こんなに嬉しいことはない。
* * *
「イミナ殿のことも、よくお話になられます」
「俺のことを?」
「子どもとは思えぬ、まるで、物の怪のようだと……」
若いほうが大きく笑う。
「そして、理を立てる目があるとも……」
「買いかぶりすぎですよ」
「マヒト様が、あれほど素直に、
誰かを評されるのは、珍しいことです……」
「こちらこそ、マヒト殿が案内役で、
良かったと思っています」
その言葉に、二人は安堵の表情を浮かべる。
隣で、眠たげなイミコが呟く。
「……まひと、やさしぃもん……また、あえる……?」
「ああ、きっとな」
「……ぅん……」
それで満足したのか、
イミコは、俺の肩へ寄りかかった。
――――――――――
夜は、静かに更けていく。
川の音、火の爆ぜる音。
それぞれの寝息だけが聞こえてくる。
名張が得たものは、
農具や、物資に、人手だけに限らず。
人との縁も、また、
成果となり得るのかもしれない。
「明日には名張か……」
俺は、夜空の月を見上げ、
そっと息を吐く。
息は、もう白くない。
それはまるで、
春の訪れのように感じた。




