第四十三話 帰るべき村
榛原の菟田の川が、
名張の川に合流する頃。
見慣れた山並みが近付いてくる。
最初に見えてきたのは、
村の畑を起こす若衆の動き。
鍬の上がる気配と人の声。
春の空気にのって、はっきりと届いてきた。
「おおっ!」
畑を起こしていた一人が、こちらに気付く。
「シラガ様だ」
「巫女さまに、イミナも……」
畑のあちこちで作業する者達が、顔を上げる。
「おう、大丈夫だったか」
畑作業を指示するイワホコが歩いてきた。
土の付いた手を腰に当てたまま、大きく息を吐く。
「たった数日だってのに、なんか見違えたな」
イワホコは、俺の姿を見わたしてから。
ふっと口元をゆるめた。
「三輪の国ってやつは、
人の面まで、変えるのかもしれんな」
まわりの若者衆から、笑い声が上がり。
畑の空気が一気にやわらいだ。
ああ、帰ってきた――
三輪では、言葉ひとつにも意味が隠され、
立つ場所には格が求められた。
だが、ここにあるのは、
土の匂いに、汗の匂いと、他愛のない軽口。
それが名張の村だ。
「きちんと回っているみたいですね」
俺は畑を見渡しながら言う。
その畑には、ちゃんと手が入っていた。
村の男衆が土を返して、
女衆たちが形を整えている。
春先の土起こしは村総出の大仕事のようだ。
「お前らが、外で動いてるなら、
こっちも土を動かしとかにゃ格好がつかんからな」
そんな、イワホコの言葉が、
俺の胸を熱くさせた。
――――――――――
名張の環濠の橋が見えてきた。
そのあたりに、ちょこんと立つ小さな影がある。
「……ぁ、コイシだ……」
イミコの顔が、ぱっと明るくなる。
橋のところではコイシが見張りをしていた。
こちらに気づいた途端、
少年の顔が、いっきにほころぶ。
「帰ってきた!」
コイシは駆け寄りかけた途中で、
はっ、と足を止める。
橋の見張りという役目を思い出したのだろう。
「……ただいま」
そんな、コイシの様子に口元を緩めながら、
イミコが小さく手を振った。
そこへ、草を踏むしめる音が近付いてくる。
重い獲物を担ぐ男たちの足音。
タケたち、那婆理の民だった。
「戻ったか」
タケは獲物を担ぎ直しながら、
じろりと、こちらを見る。
「三輪の国は、どうだった」
「とても大きかったよ」
俺は、それだけを端的に伝えた。
「そうか」
タケは鼻を鳴らす。
それだけ。
――――――――――
橋を通り、環濠を超えれば、
名張の村の広場だ。
アサメが、こちらに最初に気づいた。
「みんな、おかえりなさい」
アサメの言葉を口火に、
他の女衆の声が一斉にあがる。
「……ただいま……」
イミコの小さな声に、女衆たちが、
いっせいに頬をゆるめた。
村の広場の火は絶えていない。
仕事は止まっていない。
見張りも、狩りも、畑も、
子どもまでもが役目を持って動いている。
名張の村は、もう、自分たちで動き始めていた。
「……にぃに……かえって、きたね」
イミコが、そっと袖を引いた。
俺は、村の景色をもう一度見渡した。
畑があり、橋があり、火があり、人も居る。
だが、小さい……。
まだ弱い。
だけど、ここは俺たちの村だ。
三輪の国は大きかったが、
名張にも、その可能性はあるはずだ。
名張を、強くしてみせる。
その決意が、今、
はっきりと俺の胸の中に立っていた。
■【185年:五章】三輪の国 ~完~




