第三十六話 三輪を統べる君
三諸山の麓に建てられた神殿からは、
周辺のすべてが一望できた。
まさに、三輪を治める「君」にだけ許される、
その権力を象徴する絶景とも言える。
後に「三輪山」と称される山だ。
「……にぃに……?」
イミコが不思議そうに見上げてくる。
「ああ……つい、景色に見惚れてた……」
正堂に向かう廊下の右手側。
三輪の神殿を支える側柱も立派ながら。
その反対にあたる左手側。
太い丸太の手すり。
その、むこうには。
三諸山からの絶景が広がっていた。
三輪の平野に点在する環濠集落が見える。
これら、ひとつひとつに人々の生活があるのだ。
そして、川の形から、道、関所の配置に至るまで。
すべてが手に取るようにわかった。
「名張の皆さま、どうぞ、中へ……」
俺が、三輪の景色に魅入ってるところ、
案内に先を促されてしまった。
――――――――――
三輪の神殿、その正堂に足を踏み入れた。
その瞬間に空気が張り詰める。
「……っ」
正堂の奥へ導くように並ぶ、太く荘厳な柱。
梁は、その上を悠々と渡っている。
部屋の奥へ進むほどに光が落ちついて。
その正面の奥、一番高い壇上に男が座している。
あれが、三輪君意富多多泥古――
老いている。
だが、衰えてはいない。
その外見から、
年齢は、八十を超えているようにも見える。
髪は無く、頬は削げ、
そこに刻まれた皺は深い。
長い歳月と、数え切れぬ決断を、
そのまま、顔へ刻みつけたような相貌だった。
「ふむ……」
壇上にいる三輪君の目が、
まっすぐ、こちらに向けられる。
最初に俺。
次に、イミコへ視線が移った。
「ぬしら、おもしろいものを背負っておるのう」
三輪君は呟く。
その小さな声は、
正堂内に、よく通った。
なん、だ――
ぞくり、と背筋が粟立つ。
閉じてるかのような細い目。
その、薄っすら開いた隙間から覗かせる瞳は、
すべてを見透かしてくるような恐怖。
転生した俺の中にある、
ここに、生きるはずのない異物か――
イミコの内に立ち上がりつつある、
巫女とも、神ともつかぬ気配か――
あるいは、その両方か。
「なんじゃ、まだ、子ではないか……」
「ずいぶんと、みすぼらしい恰好じゃのう……」
正堂の左右から声が聞こえてきた。
中央に座する三輪君を中心に、
東の側には、祭りごとを司るような知的な顔つきの者。
西の側には、武に関わるだろう屈強な男たち。
座る位置にも、政治が反映されていた。
――――――――――
「三輪之真人、名張の客をお連れいたしました」
マヒトが一歩前に進むと、頭を垂れ。
顔を伏したまま告げる。
「名張の長シラガ、その従う兄イミナ、
そして、火の巫女と称されるイミコにございます」
三輪君は、その口上を黙って眺めていた。
「このたびは、三輪君のお招き、まことにありがたく」
シラガが深々と垂れる。
「村が病に傷み、立てなおす最中、
こうして、お目通りを許されたこと、
重く受け止めております」
シラガは、媚びることなく。
自分たちが何者で、どういう意図で来たかを、
きちんと言葉で形にしていた。
「名張に……那婆理……、
阿部臣の系譜、だったかな……」
壇上の奥から、三輪君はさらに目を細めながら、
ゆっくりと言葉を並べていく。
「はい、我ら阿部と同じく、
大彦命を祖とする一族にございます」
東の側、最奥に居る男が応じた。
序列でいうと二番手という事なのだろう。
鼻の下に黒々しい髭を生やしていた。
歳の瀬は四十頃、自信に満ちながらも、
一分の隙も逃さないという神経質そうな顔立ちだった。
「なるほどのぅ……」
三輪君は静かに頷いた。
この場で、本当に、
事実の確認をしてるわけではない。
今、この場で問われているのは、
名張村の出自である。
落ちぶれた寒村である名張は、
阿部の一族と「祖」を同じくするということ。
北で事を構えている「阿閉」や「伊賀」とも、
通じることになるということ。
そして、阿部臣は三輪に付いている。
それで、おまえらはどちらに付くのだ――
暗にそう告げているのだ。
「わしらとしては村の者が食え、病まず……、
自らの守れる土地となれば、それ以上は望みますまい」
シラガは慎重に言葉を選ぶ。
余計な野心も、策も、
隠している気配も見せまいとしている。
「ふぅむ……」
三輪君は少しだけの沈黙の後。
「あいわかった」
信じたとも、疑っているとも言わない。
だが、言葉としては受け取った。
その程度だろう。
「して……」
三輪君の視線が、
ゆるやかに、俺に寄せられた。
「なんでも、火の巫女だとか……、
それは誰のことで、名張では何が起きたのか……」
すべての視線が、イミコへ、集まる。
「あの歳で、人心を誑かしているのか……」
「裏で手を引いているものが……」
周りがざわつく。
この場の誰もが事態は把握済みだろう。
こちらも、求められているのは説明ではない。
名張の長としてシラガに求められたのと同様。
俺達も、試されているのだ。
それなら、やりきるしかない――
俺は、背を正す。
「こちらが……」
自分で思ったよりも、声は、落ち着いていた。
そして、隣のイミコを紹介するように、
ゆっくりと手を差す。
「火の巫女となります」
俺の言葉に、正堂の空気が、ぴたりと止まる。
嘘偽ることなく、下手に隠すこともせず、
真正面からの真剣勝負だ。
三輪君意富多多泥古は「古事記」にも記載され、
大神神社にも祀られている史実(?)上の傑物となります。
そんな大物を相手の舌戦、引き続き、お楽しみください!




