第三十五話 三輪の客間
三輪の高床の大きな神殿。
その一室は不思議な静けさに満ちている。
「土とは、まったく違うな……」
俺が一歩足を踏みしめるたび、
板の床が、ぐっと乾いた音を返した。
土の地面を踏むのとは違う。
沈まず、湿らず、足の裏へ、
木の硬さが、まっすぐ返ってくる。
ひさしく忘れていた文明の感触だ。
三輪の国――
その中心に位置する、総木造の高床式建物。
その、正堂前の客間である。
俺とイミコ、シラガに、マヒト。
四人で待たされていた。
「もうすぐ呼ばれるとは思いますが……」
客間に到着してから数刻。
マヒトは、しきりに気を遣ってくれる。
曲りなりにも三輪の者である以上、
身分は遙かに上となるのだが。
だが、それが、三輪之真人の良さと、
言えるのかもしれない。
そして、道中を共にしてきた従者たちとは、
神殿の入口で別れていた。
この建物に入れる人数は絞られてるようだ。
「マヒト殿、そう気にせんでも、
旅の疲れを癒すにはちょうどよいわ」
シラガが柔らかな表情を浮かべた。
今回の旅路の最後まで、
シラガは、しっかりとした足腰をみせた。
だが、木の床へ腰を下ろすと、
身体の疲労が一気にあふれ出してきたのだろう。
それほどまでに、木の床は違った。
「……ゎぁ……にぃに、すごぃね……」
イミコは、到着して、しばらく休んだあと、
今では元気に建物を見渡している。
「すこし見てまわろうか」
「……ぅん……」
俺は立ち上がり、イミコの手を取ると、
ゆっくりと客間を歩き始めた。
四方を板壁で囲われた、広い一室。
俺達以外にも、多くの人たちが、
点々と固まって呼ばれるのを待っていた。
年を重ねた男たち、気性の荒そうな若者たち。
部屋の隅には、争いごとの裁きを願いに来たような、
険しい顔つきの一団も見える。
この場に居る誰も、声は小さく、無駄には喋らない。
待つことに対する作法が場には保たれていた。
「……うちと、ぜんぜん、ちがうね……」
イミコが寄り添いながら小さな声で言う。
「ああ」
俺の目は建物に向く。
ちいさな身体とはいえ、
俺が一人、丸々と収まりそうなほどに太い柱。
部屋全体の床を持ち上げ、梁を渡し、
さらに、屋根の重みまを受けるための太さだ。
「イミコ、見てごらん」
「……ん?」
「あの太い木が柱が、
下から、ずっと、上まで建物を支えてるんだ」
「……ささえてる……」
しかも、一本や、二本じゃない。
これだけの立派な柱を揃えて、
まっすぐ立て、見事な建築技術を見せている。
たいしたものだ。
「……にぃに」
「ん?」
「……なんで、ゆか、たかく、してるの?」
とてもいい質問が飛んできた。
未だに、イミコの言葉は拙いけれど、
物事の理解が進んでいるのがよくわかる。
「地面は濡れるからだよ」
「……かんけいあるの……?」
「雨が降り、土が湿ると、虫に……腐りも来る。
でも、床を持ち上げれば風が下を抜けて、木が長持ちする」
「……かぜ、とおると……ながもち……?」
「そのとおり」
腐食に対する理解ができるまでは、
概念で受け取ってもらえれば、それで十分だ。
「あと、えらい人や、大事な物を、
地べたから離して見せる意味もあるんだと思う」
「……みせる……?」
「ここは、ふつうの家じゃない、
……って、ひと目で周りにわからせるんだ」
「……ふつう……じゃない……」
イミコは、きょとんとしてから、
板の床と、柱と、天井の高さを見回した。
「……ほんとだ……」
その素直な声に、少しだけ笑みが漏れた。
――――――――――
そうこうしている間にも、
客間の奥に、他の一組が呼ばれていった。
入れ替わるように若い侍女が数人。
水の器を載せた盆を手に、部屋へ入ってくる。
一人の侍女が、俺たちの前にまで、やって来た。
「どうぞ」
美しい所作で、木の器が差し出される。
年は、俺たちより上か。
十の前後といったところだろう。
「ありがとうございます」
差し出された器を、俺が受け取る。
その一瞬。
「えっ」
娘が、大きく目を見開いて俺を見た。
そして、その視線は、
ゆっくりと横へ動いていく。
その視線の先は、イミコだ。
そんな、イミコも、その娘の顔を、
じっと見つめていた。
まるでなにかを深く語りあうように、
無言のまま、しばらく互いに見つめ合っていた。
「……どうぞ」
それから、何事もなかったように、
侍女は水の器を差し出した。
「……ぁりがと……」
「あの……君は」
「……ユラと申します、ただの侍女にございます」
そう言うと、ユラは静かに立ち上がり、
他の客のもとへ歩いていった。
水を運ぶだけなのに、なぜか、妙に印象が残った。
「……にぃに」
「ん?」
「……あの子、また会える……」
「どうして、そう思う」
「……なんとなく……?」
イミコは、自分でもうまく説明できないらしい。
ただ、不思議そうに首を傾げていた。
――――――――――
それから、さらに半刻程の時が経ち。
「三輪之真人殿、君が、お呼びです」
客間の入り口に案内の者が現れて。
マヒトが、すっと立ち上がる。
「さあ、行きましょう」
「よし、いくか」
俺は、床へ手をついて身を起こす。
「……んっ……」
イミコが、俺の袖を握ったまま、立ち上がる。
「やれやれ、どうなることやら」
シラガは、杖を取り、ゆっくりと腰を上げた。
正堂の奥は見えないが。
この先に、三輪の国の中心があるのだ。
俺たちの出番が、
ついに、まわってきた。




