第三十三話 榛原の夜
夜の暗がりに菟田の川の流れが、
さらさらと響きわたる。
俺達は河原で焚火を囲み、
粟と、稗の粥を、すすっていた。
「このあたりは、人の手が入ってますね」
「お、わかるかっ」
三輪之真人が声を弾ませる。
「この榛原のあたりは、三輪や、
阿部の筋の狩りにも使われるからな」
マヒトは、まるで自分事のように誇らしげに語る。
「三輪に、阿部……ですか……」
北には「伊賀」や「三野」。
皆、有名な氏族である。
だが、それらが歴史上に姿を現すのは、
卑弥呼の時代よりも、
まだ、後の話だったような気も――
「……おいしぃ……」
イミコは器を両手で抱えて、
ひと口、すすっては、小さく息を吐いた。
――――――――――
「二人は、年の割に腰が据わっておる」
マヒトが呟いた。
「それに比べて、マヒトさまは、
村でも肩に力が入り過ぎておったの」
この一行の中で最年長にあたる、
オシが、軽口を叩いた。
「三輪君からの、初めての大事なお役目、
気を張られて当然だろう」
目の鋭い男……ジンが、口をはさむ。
「お役目、無事に果たせそうで良かったですね」
一番若手の、サンは陽気な声をあげた。
「あまり言うな、私のことは、いいのだ」
最後に、マヒトが話を締める。
この四人の距離は特に近いようだ。
気心の知れた、家族のような空気があった。
――――――――――
夕餉を終える頃には、
それぞれ、持ち場へと散っていた。
焚火の周りは、
俺と、イミコと、マヒトの三人。
「……ねむぃ……」
イミコは、俺の袖を握ったまま、
うつらうつらとしていた。
「寝ていいよ」
「……んっ……」
イミコの目が、ゆっくりと閉じていく。
背負われようとも、この小さな身体で、
山越えは一苦労だろう。
「二人は、その……親と、子のようだな……」
マヒトは、不思議そうな表情を浮かべていた。
「あ、いや、すまない……、
二人が兄妹というのは聞き及んでいるのだが」
そんな、マヒトの横顔は、どこか幼く見えた。
この時代、成人が済んでるとはいえ、
まだ、十代半ばの若者だ。
「マヒト様の御家は、三輪君のほうで?」
「いや、私の父は榛原を任される臣の一人でな」
そこで一拍。
「末席とはいえど、本来なら、
三輪を名乗れるような立場ではないのだ……」
どこか恥じるように、それでいて寂しそうだった。
「それが、どうして三輪君のもとに?」
「当代の三輪君、意富多多泥古様が……」
「私ごときを見出してくださり、
三輪の家に務めさせてもらう運びとなってな……」
いつの間にか、マヒトが敬語になっていた。
その言葉には抑揚がない。
「マヒト様の器量が認められたのですね」
「それは、本当に光栄なことでありまして……」
言葉と、視線の輝きが一致しない。
よろしくない兆候だ。
「……すこし、重く感じているですね……」
「そう、なのだろうか……」
マヒトの視線が急に落ちた。
「そう、かもしれぬ……、
息が詰まっていたのかもしれぬ……」
ぽつりと、マヒトが呟く。
「本家からの期待もあり、
私を慕い、ついてきてくれた者たちもいる」
そこで一拍。
「だからこそ、うまくやらねばならぬと……、
そう思えば、思うほど……こう、うまく息が……」
俺は、静かに聞き続けた。
それらは、十代半ばの若者に背負わせるには、
あまりにも重た過ぎる「責」なのだ。
――――――――――
しばらくして。
ひととおり吐き出した頃には、
マヒトの瞳は、輝きを取り戻していた。
「つまらぬ話をした、すまぬ、忘れてくれ……」
「はい、忘れました」
俺は、軽くおどけて見せる。
「こんなこと、誰には言わぬのだがな……」
「相手は年端もいかない子供ですから」
「そんな、なんの責任も背負わない、
ただの子の戯言が、ひとつありますが……」
俺は、マヒトに視線をむけた。
「聞かせてくれ……」
マヒトは静かに頷いた。
「あまり背負わないことです」
「ふむ」
マヒトがわずかに顔を上げる。
「期待に応えようとするのは良いことですが、
過ぎれば、己を擦り減らします」
「家のため、己を犠牲にする覚悟はあるぞ」
マヒトは躊躇なく答えた。
この時代の感覚なら、そうだろう。
「それが、家のためにならないのならば?」
「……なに?」
焚火が、ぱちりと鳴った。
「無理をして己が潰れた結果は、家に返ります。
残された者たちはどうなりますか」
この時代に合理を持てというのは難しいだろうに。
マヒトは、俺の言葉に最後まで耳を傾けた。
三輪君が、その器量を買っただけの才は、
本物かもしれない。
「こんな幼子に諭されるとは、
いやはや、これほどまでのものとは……」
やがて、マヒトが、深く息を吐いた。
「物の怪の類とでも、
ジン殿から、聞かされてましたか?」
「まさしく、そこまで読むかっ」
マヒトが笑ってみせた。
それは、ずっと自然な笑顔だった。
「……ん、にぃに……」
イミコが、眠ったまま、俺の衣を指先でつかみ直す。
俺は、その小さな頭を撫でた。
「お前たちは、ずいぶんと寄り添っているのだな」
「二人で、ここまで来たもので」
「……そうか……そうなのだな……」
マヒトは、それ以上は問わなかった。
――――――――――
そして、翌日。
夜明けと同時に、
行軍を再開した俺たちは。
菟田の川に沿い、榛原の地を抜けた。
「この先です」
マヒトの言葉に従い。
俺達は、丘の頂へと出た。
目の前に視界がひらけ、
あたり一面には人の営みが広がっていた。
人の住まいが重なり、道が走り、
その奥には大きな木造作りの建築物がある。
高床式だ――
大自然の中にありながら、
そこだけは人の理で整えられていた。
「これほどまでのものなのか……」
隣で、シラガが、深く息をついていた。
「……おっきぃ……」
イミコは、俺の手を握ったまま、目を丸くしていた。
「これが……三輪の国……」
丘の上から、俺達は、ついに三輪を望んだ。




