第三十二話 菟田の川を越えて
三輪にむかう山間の道。
人の背ほどに伸びた草を、
先行する者たちが、押し倒して進む。
そうしてようやく、
獣の道に、人の往来が重なっていく。
そんな程度の草道である。
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「こっち、通れるぞ」
先頭を歩くのは、オシ、ジン、サンの三人。
低い枝を刈りとり、ぬかるみを手指で示し、
崩れやすい斜面を先に踏んで通りやすい位置を探る。
その後ろに屈強な男衆の本隊が続く。
イミコは、そのうちの一人の「背負い」に乗せられていた。
道が細く、登りも急な山道。
さらに、この時代は基本的に素足だ。
幼き俺達に無理をさせぬよう、
三輪側の用意した屈強な「背負い」の者たち。
「……にぃに、まだ、あるくの……?」
「ああ」
「つかれない……?」
「少しはな」
イミコは眉を寄せ、それから小さく頷いた。
「……むり、しないでね……」
そんな様子に、背負っている男衆が、
すこしだけ口元を緩める。
そういうイミコも、
先ほどまで自分の足で歩いていた。
那婆理の川から、
菟田と呼ばれる川に変わる頃まで。
平野は、険しい山道となったことで、
イミコは「背負い」に乗ることにしたのだ。
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「巫女様の言うとおりだ、イミナ殿」
後ろから、三輪之真人の声がした。
振り向くと、マヒトは歩幅を緩めて、
俺の横へ距離を寄せてくる。
その恰好は、村の広場とは違う姿をしていた。
整った政の衣ではなく、
裾を絞り、帯も結び直してある。
足もとは、歩きやすくまとめられていた。
「無理はなさらぬほうがよい、
子の足に、この道はきつかろう」
マヒトの足取りは現場の慣れすら感じさせる。
「背負いを使っても、誰も咎めぬ」
「お気遣いありがとうございます。
ですが、私は歩いておきたいのです」
「なぜ、そこまで……」
「今後のために、身体を作りたいのがひとつ」
マヒトは黙って聞いている。
「あと、実際に道を歩いて、どれほど遠いか、
どこが辛いか、どこで列が乱れるのか、
そういうことを身体で覚えておきたいのです」
「本当に、子とは思えぬ物言いをするのだな」
マヒトが言葉を失っている。
その横ではシラガが苦笑していた。
「そう見せてるだけかもしれませんよ」
「それは、できぬ者にはできぬよ」
「……にぃには、すごぃ……」
背の上のイミコが誇らしげに、
背負いの男衆の肩口から顔を覗かせていた。
――――――――――
菟田の川沿いを歩き。
やがて、険しい山道が傾きを緩めはじめた。
木々の隙間から見える青空が広くなる。
「ここらへんですな」
先行していたオシが足を止める。
山間を抜けた先に、
石の多い河原がひらけている。
野営をするのに都合がよさそうだ。
「……おおきぃ、おみず……」
イミコが声を漏らした。
「水もある、風も抜けすぎぬ……うむ、ここにしよう」
マヒトは河原を見渡し、短く頷いた。
「三輪は、まだ遠いのですか?」
俺の隣へ位置取るマヒトに尋ねてみた。
「このあと、また険しい山道が控えているが、
明日の日暮れ前には到着できるだろう」
名張の村を出立したころの緊張した面持ちは、
すっかりと無くなっていた。
「この辺りに詳しいのですね」
「うむ、この辺りは我が一族を始め、
氏族の者たちが狩猟などに利用しておるからな」
そこで、不意に一拍。
「もう、我らの庭のようなものよ……」
その言葉には、どこか、歯切れの悪さを感じた。
「明日には三輪か……」
俺は、見知らぬ山間から、
頭上に広がる青々とした空を見上げた。
名張の村を出て、最初の夜が来る。
この山のむこうには、果たして、
何が、俺達を待ち受けているのだろうか……。




