第二百二十話 架橋編:名張の「川流れ」
ざわざわ――
夏の風が、頭上の木々を揺らす。
「……わっ、草、いっぱい……」
名張川の上流にある山深い場所。
生い茂った枝葉に遮られる日差しが、
木漏れ日となって、足元の草木を照らしだす。
「イミコ、手を離さないでね」
土を踏むたびに落ち葉が音を立て、
湿った土と、夏草の匂いがわきあがった。
――――――――――
「で、ここがそうだが」
名張川の源流に到着する。
タケは、足を止めると周囲を見渡した。
あたりには、太い木々が立ち並んでいる。
「おお……」
俺は、思わず空を見上げる。
陽射しを遮るほどの無数の枝が、頭上に広がっている。
その木の幹は、大人が両腕を回しても、
まったく届かないだろう。
「このあたりは、太く、立派な木が多いんですね」
そっと幹に手を当ててみる。
厚い樹皮のざらつきが、掌に伝わってくる。
「そりゃあな」
タケは、近くの木を軽く叩く。
「こんな山深いところじゃ、
伐った木を運ぶだけでも大仕事になるからな」
「確かに……」
「だから、ここら辺は手付かずだ、
普段は麓に近いところから伐るからな……」
タケは、山の下へ目を向けた。
「丸太を担いで山道を下りるのは骨が折れる。
橋に使うとなりゃ、相当な数が要るだろうからな」
「ですよねぇ」
ざわりと風が吹き抜ける。
これほど立派な木が、
この、名張の山には幾らでもある。
それでも、運ぶことができなければ、
使うことさえできないのだ。
これらを、どうにかできないものか。
――――――――――
「にぃに~、おみず、きれい」
「本当だね」
木々の切れ間から、
名張川の水面が覗いていた。
夏の陽射しを受けてきらめく川面。
葉擦れの音に混じって、
水が石に当たる音も聞こえてくる。
川といえば――
昨日の渡し場でも筏の話が出ていたな。
「例えば、ここの丸太を、
川で運ぶことはできませんかね?」
名張の川に指をさしてタケに視線をむける。
「川で、だと……?」
「丸太を担いで運ぶより、
川の流れを使えないかと思いまして」
「丸太を、川に流すってことか?」
タケは首を傾げる。
「そのままで川に流すと、
どこに行くか、分からなくなりますが」
「ちょっと、見てください」
足元に落ちていた枝を拾い、地面に向ける。
木陰の土を平らにならし、
そこに何本もの線を描いていく。
「例えば、丸太を何本か並べて、
こうやって繋ぐんです」
細長い丸太を並べ、
その間へ、縄を結ぶ絵を描いた。
「筏か……」
「ここに人が乗って、
川の流れに沿って下るんです」
俺は、筏の絵に人影を加える。
「なるほど、川流れだな」
タケがしゃがみ込み、
地面に描いた絵を覗き込んできた。
「川流れ?」
「なんだ、知らねえのか?」
タケは、少し意外そうに笑った。
「木を何本か結んで、
昔から、川を下ることがあってな」
「ほうほう」
「川下の村へ行く時に使ったり、
若い連中が面白がって乗ったりしてな」
タケは、懐かしそうに山の下へ目をむける。
「俺も、若い頃は何度かやったもんだが。
下るのは面白えが、戻ってくるのが面倒でな」
「それは確かに」
「ん?」
タケが、ふと地面の絵を見つめ直す。
「つまり、これは筏に荷を積むんじゃなくて、
筏、そのものを運ぶのか?」
「はい、筏の縄を川下で解けば、
そのまま、使える丸太になりますから」
「なるほど、確かに、筏をばらせば、
そのままで丸太じゃねえか!」
タケの声は、めずらしく弾んでいた。
「うまくできるなら、この辺りの木を、
名張の橋造りの丸太に使えるかもしれません」
俺は、頭上に広がる木々を見上げる。
うまくいけば、
それは橋造りだけに終わらない。
名張の木々を、
川の流れに乗せて運ぶ。
それは、いつか、
名張の新たな産物になるかもしれない。
――――――――――
「にぃに、いかだ、のれるの?」
イミコが、地面の絵を覗き込んできた。
「俺は乗らないよ」
「下手なやつが、川流れをすると危ねえからな」
タケも頷いた。
「えっ……」
イミコが、慌てて俺の袖を掴む。
「大丈夫、俺も無理に乗らないし、
村の皆にも無茶させないよ」
「……よかった」
イミコは、安心したように頷いた。
「だが、太い木を何本も結ぶとなれば、
相当な大きさになるぞ」
タケは、もう一度、地面の筏を指さした。
「大きすぎると難しくなるんですか?」
「小回りが利かなくなれば、
浅瀬や、岩場を越えられるかどうか……」
「川を知る人たちの協力が必要ですね」
「昨日の船頭や、川流れに慣れた若衆に、
それとなく声をかけてみるか」
「お願いします」
夏風が、山の木々を揺らす。
その下を名張川の水が流れていく。
俺は、足元の土に描いた筏を見下ろした。
古くから名張に伝わるという「川流れ」。
その知恵を、今度は丸太を運ぶために使えるならば。
そう――
これが、後の「名張川の筏流し」へと繋がる、
最初の一歩になるかもしれない。
本話の「川流れ」は「名張の人々が小さな筏で川を下っていた」という本作独自の創作設定です。
一方で「名張川の筏流し」は実際に存在した木材の運搬方法となります。
名張川の木材の運用に奈良時代から始まったとされています。
東大寺の建立に使われた木材も、名張川を利用して運ばれたと伝わっています。
本作では、その歴史の始まりを早めて、この古代の名張の人々による新たな試みとして挑む形として描いています。




