第二百十四話 イミナの縁談
「嫁ですか?」
「うむ、嫁である」
「早くないですか?」
「ほう、なぜですかな?」
「なぜって……」
おもわず俺は言葉を詰まらせた。
「ごらんの通り、自分は、まだ子供なので」
「頃合いとしては丁度よかろう」
阿倍臣は、不思議そうに首を傾げる。
「ええ……」
俺は、助けを求めて、
隣にいるシラガへ目をむけた。
「まあ、おぬしほどの頃ならば、
縁談のひとつやふたつ、あっても、
おかしくはないのう……」
どうやら、この時代では、
さほどおかしな話でもないらしい。
* * *
いや。
ちょっと待てよ。
そもそも、どうして阿倍臣が、
いきなり俺に嫁取りの話を持ちかけてきた?
阿倍臣は、三輪君の片腕ともいわれる人物。
それが、今、名張の市庭を目にした。
三輪へ続く道も整っており、
周囲の環濠との往来も増えている。
なるほど――
婚姻によって俺と縁を結ぶことで、
名張との繋がりを作ろうというつもりか。
だとすれば相手は、阿倍の筋。
あるいは、三輪の一門の娘だろうか。
* * *
「お相手というのは、どちらの方なのですか?」
「うむ」
阿倍臣は、待っていたとばかりに頷いた。
「葛城王の一門に、年頃の娘がおってな」
「葛城?」
どこか聞き覚えのある名だった。
「えっと、たしか……」
頭の奥にある「膨大な知識」から情報を探る。
「幻の、葛城王朝……?」
なんだそれ。
* * *
葛城――
古代の大和で、皇族たちとの縁組に、
なにかと名の出てくる豪族。
だが、どのように大成し、
なぜ歴史の表舞台から姿を消したのか。
後世においても、謎の多い氏族である。
* * *
「ま、まことに、葛城王の一門と……?」
俺が、首を傾げていると、
隣のシラガが阿倍臣へ顔をむけていた。
「うむ」
「それはまた……なんとも……」
さきほどまで、平然としていたシラガが、
表情を引き締めていた。
おいおい、当事者を置いてきぼりにして、
話を進めるのは止めてくれ。
「その葛城王というのは、
一体、どういった方なのですか?」
「知らぬのか?」
シラガが、その目を丸くする。
「ええ、まあ……環濠の外のことですし……」
「ああ、そうじゃな……すまぬ、
あまりのことに混乱しておるようじゃ……」
シラガは、少し考えるように顎へ手を当てた。
それから一拍。
「葛城はのう、この大和に、
古くから根を張る王の筋なのじゃ」
「王、ですか……?」
王と言えば、タケが「那婆理の王」を名乗り。
一応、まだ外には出していないが、
俺も陰ながら「隠の王」を自称している。
そこに、もう一人の「王」の登場。
「三輪君らが、この地へやって来るよりも、
昔から根付いておる王の筋じゃ」
「なるほど」
この大和で、古くから、
人々を束ねてきた王ということか。
「葛城の縁は広く、その力も大きい、
三輪君とて軽んじることのできぬ相手じゃ」
三輪山の麓に広がる、
あの大きな三輪の環濠を思い出す。
あれに並ぶほどの力なのか。
「では、葛城王というのは、
三輪君よりも偉い方なのですか?」
「ほっほっ」
それまで、隣で黙って聞いていた阿倍臣が、
愉快そうに声をあげて笑った。
「そう簡単に、比べられるものではない」
「そうなのですか?」
「三輪君には三輪君の、葛城王には葛城王の力がある。
それぞれに従う者、古くからの縁も違うのでな」
「はぁ……」
ちょっと待て――
そんな、大勢力との縁談を、この俺に?
「おおごとじゃないですか……」
「だから、とんでもないことじゃぞ」
シラガに真顔で答えられた。
いやいや、だから、
なんでそんな大事な話。
阿倍臣は、こんなにも、
軽々しく持ちかけてくるんだ?
今夜の夕餉をどうするか――
そんな軽い温度感で。
俺は、改めて目の前の男を見る。
阿倍臣は、相変わらず、
柔らかな笑みを浮かべていた。
どこまでも食えない男である。
――――――――――
「阿倍臣、ひとつ、
伺ってもよろしいですか?」
「なんでも聞くがよい」
「どうして阿倍臣が、葛城王の縁談を、
持ってこられるのですか?」
「……ほう、あいかわらず頭がまわるのう、
どうしてそれを疑問に思う?」
こちらの反応を楽しむように。
いや、実際に試しているのかもしれない。
「阿倍臣は、三輪君の……、
その、お近しい方と聞き及んでおりますゆえ」
三輪の環濠での話し合いの場。
阿倍臣は、その二番席に座る男なのだ。
それなのに、
三輪と距離を置く葛城王との縁談。
なにから、なにまでが胡散臭いのだ。
「私にも、古い縁がありましてな……」
阿倍臣は、こちらの顔を眺めながら笑う。
「古い縁、ですか?」
「人の縁というものは不思議なものですな。
ひとつ繋がれば、また別の縁へと繋がるものだ」
それだけ言うと、阿倍臣は口を閉ざした。
いや。
なんの答えにも、
なっていないんですが。
「いかがですかな、
悪い話では、ないでしょう?」
「正直、いまだに実感が湧かず……」
確かに、その噂の、
葛城王ほどの大勢力と縁を結べるならば。
名張の大きな後ろ盾となるのだろう。
だが、その縁で、
相手が何を求めているのか。
そもそも、相手の娘が、
どんな人物なのかさえ分からない。
そんな縁談の話を、
今、ここで決められるはずがない。
一体、どう答えたものか――
――――――――――
阿倍臣は、せかすでもなく、
ただ穏やかに俺を見つめている。
シラガもまた、何も言わない。
まわりの市庭では、相変わらず、
商人たちの軽快な声が響いていた。
そんな中。
くいっ。
不意に袖を引かれた。
「……ん?」
その先に視線を落とす。
イミコがいた。
その小さな指先が、
力強く、俺の袖を握っていた。
「イミコ……?」
声をかけると、イミコは一度、俯いた。
それから、なにかを確かめるように、
ゆっくりと顔を上げる。
その瞳には。
今にも、こぼれ落ちそうな不安の色が浮かんでいた。
「にぃに……いっちゃうの……?」




